仁和寺 から東に歩いて15分ほどの所にあります。

ここに来たのは、中学校の修学旅行のとき以来でした。
哲学的な思索を好むフランス人の団体さんたちが石庭の縁側に座り込み、1人が熱心に語っていました。
観立ての枯山水にどれほど工夫があろうと、チャンちゃんはこのような庭園を好みません。建物を出て、石庭を取り囲む塀の外側にある苔むした庭園を歩いていた時、「日本庭園の本質は絶対にこっち」と確信していたのです。前日までの大雨は、石庭以外の苔むした緑の庭園をいっそう美しくし自然の息吹を増加させていました。本当に輝いていたのです。
砂漠の民にとって、枯山水の石庭は、緑豊かな文明を理解する足掛かりに成り易いのかもしれませんが、枯山水が作られた目的は、そもそも砂漠の民としてのルーツを持つ西洋人に日本を理解してもらうためではないのです。枯山水は、思索を好む哲学的な世界へ誘うためにあるのではありません。悟りと哲学は違うのです。
石庭を鑑賞する建物から出ようとした時、御朱印を受け取ったのですが、そこに「吾、唯、足るを知る」で有名な朱印が押されているのを見て、そのつくばいがここ龍安寺にあったことに初めて気づきました。建物に入った時、最初にそのつくばいの前を通っていたのですが、彫りが浅すぎて文字が見えていなかったのです。再度、よくよく見てみました。確かに彫られていました。もうちょっとタワシでゴシゴシ綺麗にしておいてくれないと分かりません。
《参照》 『即今只今』 足立大進 (海竜社)
【幸せって何ですか】
《参照》 『即今只今』 足立大進 (海竜社)
【幸せって何ですか】
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