
『記紀』、特に『古事記』の中で多用されている「八」について述べた上で、伊勢神宮や高松塚古墳などを例に「八」が重要な呪術になっていることが記述されている。500頁に及ぶ厚い書籍だけれど、半分のページ数で書いてくれた方が、読者にとっても資源エコの面でも好ましい。正直なところ繰り返しが多すぎるので後半になって集中力が切れてしまった。でも価値のある書籍。2009年7月初版。
【キリスト教の8】
また、ギリシャ語で書かれたイエスの名前の数秘術上の数値は「888」になるとも書かれている。
初期キリスト教会堂は、八角形の部分を含む建築が多く、8を象徴する八角形の建物に復活の意味を込めたと思われる。勿論、現在までもその原理は続いている。(p.74)
イエス・キリストが生れたとされる馬屋は、イスラエルのベツレヘムの聖誕教会内にあり、その場所は八角形に縁どられているという。日本の厩戸王子(聖徳太子)も、八角形の夢殿と不可分である。また、ギリシャ語で書かれたイエスの名前の数秘術上の数値は「888」になるとも書かれている。
【古代日本の八】
① 『記紀』において、多くの神を表す言葉は「八・や」に限られていた。その代表が「八百万神(やおよろずのかみ)」である。また『古事記』においては、神の名を表現する数詞は「八・や」に、ほぼ限られていた。古代日本人は、聖数「八・や」を神々に捧げたのだ。
② 天皇は、「八隅知之大君(やすみししおおきみ)」と歌謡において歌われ、「八・や」で表現される。
③ 国家は、「八州(やしま)」と称され、「八・や」で表現されている。
私は、前記の3点から、つくづく、次のように思う。
〈古代日本人(八州人)は、神々に、天皇に、そして国家に、言霊の霊意が最も宿る聖数「八・や」を捧げたのである〉 (p.85)
② 天皇は、「八隅知之大君(やすみししおおきみ)」と歌謡において歌われ、「八・や」で表現される。
③ 国家は、「八州(やしま)」と称され、「八・や」で表現されている。
私は、前記の3点から、つくづく、次のように思う。
〈古代日本人(八州人)は、神々に、天皇に、そして国家に、言霊の霊意が最も宿る聖数「八・や」を捧げたのである〉 (p.85)
【八州と宮中八神】
御巫八神(宮中八神)について、
【伊勢外宮の構造と「御食津(みけつの)大神」】
伊勢神宮の外宮は、このように「八」に縁が深いのであるけれど、外宮の祭神とされる豊受大神にも「八」に関わる話があるという。豊受大神は、「眞名井で水浴していた八天女の中の一人」という話が『丹後国風土記』にある(p.194)という。外宮が、何故「八」なのかは、内宮との関係に絡んでいる。
御巫八神(宮中八神)について、
御巫八神の一神は八州(日本)の一州を意味し、八神で八州となる。つまり、「八神=八州(日本)」なのだ。八神のども神がどの州を指すかということではなく、それぞれの州(一神)の代表が集まって八州(八神)を形成しているという、その意味合いが大切なのである。
その御巫八神が、天皇を守護しているのだ。(p.125)
その御巫八神が、天皇を守護しているのだ。(p.125)
宮中八神については、
《参照》 『《ムーとユダヤ》そして《シリウス・プレアデス・オリオン》の宇宙神々の系譜』 山田雅晴 (ヒカル【伊勢外宮の構造と「御食津(みけつの)大神」】
伊勢神宮の外宮は、このように「八」に縁が深いのであるけれど、外宮の祭神とされる豊受大神にも「八」に関わる話があるという。豊受大神は、「眞名井で水浴していた八天女の中の一人」という話が『丹後国風土記』にある(p.194)という。外宮が、何故「八」なのかは、内宮との関係に絡んでいる。
【「七」に関して】
《参照》 『古神道入門』 吾郷清彦・松本道弘・深見東州 (たちばな出版) 《後編》
【聖なる数 ―― 八 】
「七」に関しては、『古事記』の世界と、現代の世界とでは捉え方が全く違う。『古事記』の中ではあまり良い意味ではない「七拳脛」が、一人出てくるのみである。
白鳥庫吉博士によれば、古代日本にとって、七の数は、どちらかと言えば「忌数」に入っていたと述べている。七が吉数に近い数となったのは、漢文化の「道教」が日本に入ってきた頃からだという。「道教」は奇数を吉数とするが、七が日本の吉数になったのは、具体的には「七夕」「北斗七星」などに関する祭りが行われるようになってからのことなのだ。(p.161)
古代日本の聖数は、あくまでも「八」である、ということを記憶しておきましょう。白鳥庫吉博士によれば、古代日本にとって、七の数は、どちらかと言えば「忌数」に入っていたと述べている。七が吉数に近い数となったのは、漢文化の「道教」が日本に入ってきた頃からだという。「道教」は奇数を吉数とするが、七が日本の吉数になったのは、具体的には「七夕」「北斗七星」などに関する祭りが行われるようになってからのことなのだ。(p.161)
《参照》 『古神道入門』 吾郷清彦・松本道弘・深見東州 (たちばな出版) 《後編》
【聖なる数 ―― 八 】
【開闢神の誕生と「八」】
『古事記』『日本書紀』における開闢神の誕生において、表面上はそれぞれ、「三・五・七」、「三→八・(神世七代)」などの中国の思想が出ている。しかし、日本古来の聖数「八・や」は、『古事記』『日本書紀』におおいて、姿を変えられながらも、潜在していたのだ。このことは忘れてはならない重要な点である。
特に、『古事記』における神々の誕生は、中国文化の吉数「三・五・七」によってバラバラにされ、古代日本の聖数「八・や」の存在は、表面から見えなくされてしまっていたのだ。(p.182)
しかし、神々を系統立てて並び替えることによって、開闢神の誕生は、元々、古代日本の「八の思想」であったことが分かるのである。(p.184)
系統立てて並び替えられた開闢神の一覧(天之御中主神を<太極>として、<陰神><陽神>8組のペア) が(p.183)に書かれている。特に、『古事記』における神々の誕生は、中国文化の吉数「三・五・七」によってバラバラにされ、古代日本の聖数「八・や」の存在は、表面から見えなくされてしまっていたのだ。(p.182)
しかし、神々を系統立てて並び替えることによって、開闢神の誕生は、元々、古代日本の「八の思想」であったことが分かるのである。(p.184)
【「内宮」と「荒祭宮」:天照大神と北極星神】
どんなふうに・・・・
深い呪術が施されている。
それは「北極星神・太一(たいいつ)」に、「太極」を、そして「北斗七星(八星)」に、「八卦」を配する呪術である。太一とは、北極星の神格化された神であり、「天皇大帝=天皇」を意味する。つまり、「天皇」のことなのだ。よって、「太極=北極星=太一(北極星神)=天皇大帝=天皇」となる。
そして、こここそが最も重要なポイントであるが、さらに太極に天照大神を配したのである。・・・中略・・・。
しかし、変である。北極星に天照大神を配する? 天照大神は、太陽神なのだ。ところが、太陽の神と北極星の神(太一)とを、伊勢神宮において密かに習合させたのが、天武天皇なのである。その事例解明としては、吉野裕子氏が見事に論じている。それは、伊勢神宮における「内宮」と「荒祭宮」の関係に見られる。
この件は隠密裏の呪術であるから、表には出ない。 (p.106)
伊勢神宮をリニューアルした天武天皇は、この時に太陽神と北極星神を習合したということ。それは「北極星神・太一(たいいつ)」に、「太極」を、そして「北斗七星(八星)」に、「八卦」を配する呪術である。太一とは、北極星の神格化された神であり、「天皇大帝=天皇」を意味する。つまり、「天皇」のことなのだ。よって、「太極=北極星=太一(北極星神)=天皇大帝=天皇」となる。
そして、こここそが最も重要なポイントであるが、さらに太極に天照大神を配したのである。・・・中略・・・。
しかし、変である。北極星に天照大神を配する? 天照大神は、太陽神なのだ。ところが、太陽の神と北極星の神(太一)とを、伊勢神宮において密かに習合させたのが、天武天皇なのである。その事例解明としては、吉野裕子氏が見事に論じている。それは、伊勢神宮における「内宮」と「荒祭宮」の関係に見られる。
この件は隠密裏の呪術であるから、表には出ない。 (p.106)
どんなふうに・・・・
【習合呪術の完成:伊勢神宮の宇宙軸】
しかしそれだけでは未完成。
伊勢神宮の天照大神には、中国の宇宙神、太一(北極星神・天皇大帝・天皇)が習合されているという。この習合を表面に持ちだすわけにはいかない。従って習合は隠密の内に行われ、太一が正宮の背後の谷の奥に密かに祀られた。これが荒祭宮である。(p.190)
内宮内に露骨に踏み込むというわけにもいかないので、別に荒祭宮を造った。しかしそれだけでは未完成。
この習合関係が、心御柱の真上に八咫鏡が位置することで、表現されていたのだ。
八咫鏡は、天照大神(太陽神)のご神体であり、心御柱の真上に位置している、心御柱と北極星を結ぶ軸を想定するならば、八咫鏡の真ん中を貫いていることになる。つまり、壮大な宇宙軸が存在していることになる。天照大神(太陽神)と北極星神(天皇大帝・太一・天皇)は宇宙軸でつながっていたのだ。(p.268)
八咫鏡の文字にも「八」が含まれているけれど、
八咫鏡は、天照大神(太陽神)のご神体であり、心御柱の真上に位置している、心御柱と北極星を結ぶ軸を想定するならば、八咫鏡の真ん中を貫いていることになる。つまり、壮大な宇宙軸が存在していることになる。天照大神(太陽神)と北極星神(天皇大帝・太一・天皇)は宇宙軸でつながっていたのだ。(p.268)
神宮徴古館へ寄り、見学のあと『神宮御神宝図録』を入手した。その図録から「御鏡」の形が、内宮と外宮で違うということを再確認した。御鏡の形式は、皇大神宮とその別宮は円形、豊受大神宮とその別宮は、八稜形の「八花崎形」であった。 (p.208)
【内宮を補佐する外宮】
こうして内宮の荒祭宮に太一が密かに奉斎されたとき、外宮は当然、北斗七星を祀る北斗の宮となった。
その理由は、不動の北極星の神、太一は、北斗七星という軍(帝車)に乗って初めて宇宙に乗り出し、これを支配することができる、とされていたからである。
太一(北極星神・天皇大帝・天皇)を隠す内宮(天照大神)、北斗(帝車)を隠す外宮(豊受大神)、両宮のこの関係は、その門外不出のご遷宮の際、み正体を蔽う錦の文様によって暗示される。
その錦の紋様とは、太一の宮(内宮)を象徴する屋形紋の錦と、北斗の宮(外宮)を象徴する刺車紋の錦である。(p.190-192)
「“北極星と習合された内宮”を巡る“北斗七星が外宮”であるなら、「七」になってしまい「八」にならないではないか」、と思うだろうけれど、「七」では宇宙の神秘に合わないのである。やはりそこは、古代日本の聖数「八」にしなければこの国は守れない。だから、以下のように看做したのである。その理由は、不動の北極星の神、太一は、北斗七星という軍(帝車)に乗って初めて宇宙に乗り出し、これを支配することができる、とされていたからである。
太一(北極星神・天皇大帝・天皇)を隠す内宮(天照大神)、北斗(帝車)を隠す外宮(豊受大神)、両宮のこの関係は、その門外不出のご遷宮の際、み正体を蔽う錦の文様によって暗示される。
その錦の紋様とは、太一の宮(内宮)を象徴する屋形紋の錦と、北斗の宮(外宮)を象徴する刺車紋の錦である。(p.190-192)
【北斗八星と八卦】
《参照》 『プリズム・オブ・リラ』 リサ・ロイヤル&キース・プリースト (ネオデルフィ)
【はじめに】
更に、不思議に思われることがある。それは、北極星を回る北斗七星に八卦を配したことである。そして、北斗七星に八州を象徴させたのである。
即ち「八卦=北斗七星=八州(日本)」。
七星に八卦と八州を? と疑問に思うのは当然なことである。しかし、この件も、北斗七星に付随する「輔星(アルコル)」を加え、「北斗八星」とすることによって、可能となる。(p.107)
一般人的に考えれば、「北斗七星と言われている星座に、アルコルという輔星を加えて八星にするなんて、手前勝手なデタラメだろう」と思うかもしれない。しかし、密教(呪術)の世界を行使する人々たちは、「事実も象徴も究極的には同じもの」であることを心得ている。だから、このような呪術が可能なのであって、決して出鱈目なことではない。即ち「八卦=北斗七星=八州(日本)」。
七星に八卦と八州を? と疑問に思うのは当然なことである。しかし、この件も、北斗七星に付随する「輔星(アルコル)」を加え、「北斗八星」とすることによって、可能となる。(p.107)
《参照》 『プリズム・オブ・リラ』 リサ・ロイヤル&キース・プリースト (ネオデルフィ)
【はじめに】
【天に描く六十四卦】
しかし、呪術はこれだけではない、次なる驚くべき呪術を加えたのである。
北極星を中心として北斗八星を八方に配し、その北斗八星を一卦としたのである。
ならば、八卦を意味する北斗八星が、八方に配されるから、その数は、「北斗八星×八方」となり、「六十四星」となる。なお、北斗八星自体に八卦が配されているから、「六十四卦」ともなる。同様に、八州も「六十四州」となる。
六十四卦は、『易経』に記されている六十四卦と同じ数である。 (p.107)
北極星を中心として北斗八星を八方に配し、その北斗八星を一卦としたのである。
ならば、八卦を意味する北斗八星が、八方に配されるから、その数は、「北斗八星×八方」となり、「六十四星」となる。なお、北斗八星自体に八卦が配されているから、「六十四卦」ともなる。同様に、八州も「六十四州」となる。
六十四卦は、『易経』に記されている六十四卦と同じ数である。 (p.107)
【鞭懸(むちかけ)】
神社の屋根上部の両側から突き出ている装飾のような棒なのだけれど・・・
神社の屋根上部の両側から突き出ている装飾のような棒なのだけれど・・・
(伊勢神宮の)鞭懸の棒は、破風の頂点近くに、左右4本ずつある、合計8本。この8本は、もう片側の破風の頂点近くにあるから、それも足すと、総数16本になる。実に不思議な棒である。・・・中略・・・。この八本の形が末広がりの「八の字」に似ているのは、気になる偶然である。
なお、鞭懸の数であるが、神奈川県大山山頂に鎮座する「大山阿夫利神社本社」の鞭懸の数は、5本づつの10本で、総合計20本である。・・・中略・・・。その他の神社にも、このような例がある。(p.225)
鞭懸って、気にしていなかったので、今度から注意して見てみよう。なお、鞭懸の数であるが、神奈川県大山山頂に鎮座する「大山阿夫利神社本社」の鞭懸の数は、5本づつの10本で、総合計20本である。・・・中略・・・。その他の神社にも、このような例がある。(p.225)
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