
政治的というよりは比較文化の内容をたくさん含んだ書籍。だから比較文化の考察について思うのだけれど、文化は正邪の視点で裁くべきものではなく、ましてや主観的な自国寄りの比較文化など論外だけれど、完璧な客観性を維持できるのは稀。大抵、何がしかのバイアスがどこかしらに出てしまう。
比較文化の解釈においてすらそうなのだから、ましてや政治問題に絡む国民感情のすれ違いは、結局のところは「国家の視点での理屈」ではなく「人間の視点で感情を理解してよ」ということなのである。
著者は北海道大学の歴史地域文化学を専攻した文学博士だと書かれているし、カバー折り返し部分には、「気鋭の韓国人研究者による」と書かれているけれど、これを読んだ日本人が、著者の肩書やそれに沿ういかした形容だけで内容のすべてを正しいと受け取らないように、付けるべきところにはしっかりイチャモンを付けておいた。
また、奥様は日本人と書かれているのだから、この本の校正に関わっているだろうに、2つもあり得ない単語が書かれている。2010年10月初版。
比較文化の解釈においてすらそうなのだから、ましてや政治問題に絡む国民感情のすれ違いは、結局のところは「国家の視点での理屈」ではなく「人間の視点で感情を理解してよ」ということなのである。
著者は北海道大学の歴史地域文化学を専攻した文学博士だと書かれているし、カバー折り返し部分には、「気鋭の韓国人研究者による」と書かれているけれど、これを読んだ日本人が、著者の肩書やそれに沿ういかした形容だけで内容のすべてを正しいと受け取らないように、付けるべきところにはしっかりイチャモンを付けておいた。
また、奥様は日本人と書かれているのだから、この本の校正に関わっているだろうに、2つもあり得ない単語が書かれている。2010年10月初版。
【韓国で出版されている日本論の4分類】
分類4に該当するものに関して、
《参照》 『「ふろしき」で読む日韓文化』 李御寧 学生社
大学教授、魯成煥氏は『箸の間でみた日本文化』に中で今までの「日本(人)論」を大きく、1「敵国という視点での日本研究」 2「韓国史の延長線でとらえる日本研究」 3「日本を模範とする視点での日本研究」 4「客観的に日本を研究しようとする日本研究」に分けている。(p.19)
この4分類の冊数におけるパーセンテージが知りたいけれど、それは書かれていない。
なるほど。分類4に該当するものに関して、
「客観的に日本を研究しようとする日本研究」とは故ルース・ベネディクト氏の『菊と刀 - 日本文化の型』の影響から生まれたと指摘し、李御寧氏の『「縮み」思考の日本人』、朴俊熙氏の『拡大志向の日本人』、金容雲氏の『刀の文化と筆の文化』、韓準石氏の『文の文化と武の文化』をあげている。(p.20)
後ろの二つのタイトルをみると、どうも「文の韓国、武の日本」という単純なパターン化が見えてきそうで興ざめである。そんな単純な論旨で終わっているなら、到底まともな研究とはいえないだろう。イチャモンは下記リンクのコメントに書いてある。《参照》 『「ふろしき」で読む日韓文化』 李御寧 学生社
【 “尚武” と “尚文” 】
【両面感情】
ところで、アンビバランスとあるけれどこのような英単語はない。正しくはアンビバレント(ambivalent)。
韓国人の日本観に対する鄭大均氏の指摘、すなわち「韓国人の対日観に特徴的なのは、反日と親日、反発と誘引、敵意と敬意が交錯するアンビバランス(両価性・両面感情)の性格」があるという指摘は説得力に富む。この指摘は言い換えれば、韓国人の日本観には「優越意識」と「劣等意識」があることを意味する。(p.23)
どの国の国民も他国に対して多かれ少なかれこの様なコンプレックスを抱えているものだけれど、韓国人の日本に対するそれは、確かに平均以上の深さ(強さ)があるのは確か。ところで、アンビバランスとあるけれどこのような英単語はない。正しくはアンビバレント(ambivalent)。
【学習の「ねらい」とは裏腹であれば「反韓」的な人物?!】
チャンちゃんは平均的な日本人より日本文化に関する見識はあると思っているけれど、だからといって日本のことを無批判に受け入れてなどいない。政治的な意図などなく、日本の悪いところは悪いでキッチリこの読書記録のブログの中に堂々と書いている。そういうチャンちゃんは、日本人でありながら「反日」なのではない。同様に、呉善花さんも韓国人でありながら「反韓」ではないだろう。
チャンちゃんは「反日」であるどころか、カネのことにしか頭にない腐りきった日本の無教養な馬鹿オヤジどもより遥かに「日本を守る」という意識は強い。呉善花さんも帰化しているとはいえ「韓国を守る」という意識については同じはずである。
だからチャンちゃんは、“韓国人でありながら金完變氏や呉善花氏のように「反韓」的な人物も出てくる”と記述しいている著者を、まっとうな読書家ないし知識人ないし良識人とは、とうてい思えない。
韓国人には学校教育やマスメディアなどによって植えつけられた「対日優越意識」がある。ところが、その学習の「ねらい」とは裏腹に、金完變氏や呉善花氏のように、韓国人でありながら「反韓」的な人物も出てくるのが現実だ。・・・中略・・・。彼らの主張には耳を傾けるところもないわけではないが、基本的には何らかの政治的な意図で韓国のことを歪曲し、批難しているとしかいいようがない。(p.35-36)
チャンちゃんは韓国人と接することが多かった10年ほど前までに、当時出版されていた呉善花さんの著作をほとんど全部読んでいたけれど、「政治的な意図をもって韓国のことを歪曲し、避難している」と感じるような記述を読んだ覚えは全くない。「外国人ならではの客観的な視点で、日本文化をよく理解しているなぁ」と感心していたからこそ、ほぼ全部の著作を読んでいたものである。チャンちゃんは平均的な日本人より日本文化に関する見識はあると思っているけれど、だからといって日本のことを無批判に受け入れてなどいない。政治的な意図などなく、日本の悪いところは悪いでキッチリこの読書記録のブログの中に堂々と書いている。そういうチャンちゃんは、日本人でありながら「反日」なのではない。同様に、呉善花さんも韓国人でありながら「反韓」ではないだろう。
チャンちゃんは「反日」であるどころか、カネのことにしか頭にない腐りきった日本の無教養な馬鹿オヤジどもより遥かに「日本を守る」という意識は強い。呉善花さんも帰化しているとはいえ「韓国を守る」という意識については同じはずである。
だからチャンちゃんは、“韓国人でありながら金完變氏や呉善花氏のように「反韓」的な人物も出てくる”と記述しいている著者を、まっとうな読書家ないし知識人ないし良識人とは、とうてい思えない。
【正直な日本人】
拾った財布を警察に届ける日本人の行為について、金鉉球氏の著作を引用している。
この解釈は、おおかたの日本人を憮然とさせるだろう。
ちなみにチャンちゃんが学生だった頃、小銭が落ちていたので拾って交番に届けたら、たいそうな書類を作成することになり、それをしているおまわりさんの横顔に明らかに面倒そうな表情が見て取れたから、それ以後は、神社の賽銭箱に入れるようにしている。
拾った財布を警察に届ける日本人の行為について、金鉉球氏の著作を引用している。
結局、金氏の指摘をまとめてみると、日本人は自分が拾ったものを誰かに見られたのではないかという不安で警察署に届けるということだ。(p.48)
「日本人は正直なのではなく、不正直であることを怖れているだけ」という解釈。この解釈は、おおかたの日本人を憮然とさせるだろう。
ちなみにチャンちゃんが学生だった頃、小銭が落ちていたので拾って交番に届けたら、たいそうな書類を作成することになり、それをしているおまわりさんの横顔に明らかに面倒そうな表情が見て取れたから、それ以後は、神社の賽銭箱に入れるようにしている。
【本音と建前】
「立前」という日本語はないけれど、この本にはそう書かれているので、そのまま書き出しておいた。
日本国内においても、「建前」の奥深さは地域によって違うのである。下記のリンクに紐付くリンクを末端の4つ目まで辿れば分かるだろう。「建前」が必要となる原因も分かるはず。そしてそれは日本人に固有な原因もあれば、日本人だけに固有な原因ではないものもあるのです。
《参照》 『京都の秘密 経営の絶対ヒント 深見所長講演録5』 (菱研)
また、「本音と建前」論に関しては、言語文化の違いを知っておくことも重要。
「立前」という日本語はないけれど、この本にはそう書かれているので、そのまま書き出しておいた。
結局、日本人の「立前」を否定的にとらえる田氏も、それに批判的な朴氏も、日本人と違って「韓国人は自分の本心を素直に表現する」という評価を下している点は変わらない。いずれにせよ、韓国人が日本人の「立前」を取りあげていることには、あらかじめ韓国の言語文化が望ましいという価値判断が前提にされていると言えよう。(p.63)
かつてアジアからの留学生によく「日本人には本音と建前がある」と定番のように言われたものだけれど、「建前」を用いない民族なんていないだろう。日本国内においても、「建前」の奥深さは地域によって違うのである。下記のリンクに紐付くリンクを末端の4つ目まで辿れば分かるだろう。「建前」が必要となる原因も分かるはず。そしてそれは日本人に固有な原因もあれば、日本人だけに固有な原因ではないものもあるのです。
《参照》 『京都の秘密 経営の絶対ヒント 深見所長講演録5』 (菱研)
【イケズ京都の由来】
韓国の皆さんも日本に対するパターン化した受け売りの文化比較論を安易に口にする前に、自国内での実状を再考してみてはどうだろうか。また、「本音と建前」論に関しては、言語文化の違いを知っておくことも重要。
【なるほど。わかりました。前向きに考えます。】
1970年代、ニクソン大統領と佐藤総理のトップ会談で、ニクソン大統領の要請に対して佐藤総理は「ワカリマシタ」と答えた。しかし、・・・中略・・・日本は「ワカリマシタ」といったが、繊維製品の輸出を自制すると約束したことはないと答えたそうである。(p.87)
別の首脳会談の時だったのかもしれないけれど、「ワカリマシタ」ではなく「前向きに考えておきます」と答えて、後に「話が違う」と問題になったという事例を、竹村健一さん の英語関連の著作内で読んだ覚えがある。
これにはじつは日本の言語文化に対する知識不足がかかわっている。日本語の「なるほど」は相手の意見に全く賛同するときにも使われるが、また一方で賛成はしないが、とりあえず相手が何をいっているかは理解したというときにも使われる。このことは「わかりました」も同様だ。(p.87)
「前向きに考え」ても実施できないという結論になることだって、当然ある。
【冷たい日本人】
下記リンクは、中国人の例だけれど、「冷たい」ではなく「屈辱的」と表現されている。
《参照》 『中国嫁日記』 井上純一 (エンターブレイン)
ところで、韓国人はなぜ「日本人は冷たい」というイメージをもつようになったのか。それには日本の「割り勘」文化が深くかかわっているように思われる。(p64)
日本に来て間もない韓国人のみならず、中国人も同じように思うらしい。下記リンクは、中国人の例だけれど、「冷たい」ではなく「屈辱的」と表現されている。
《参照》 『中国嫁日記』 井上純一 (エンターブレイン)
【最も屈辱的な日本語】
【創氏改名に関して】
創氏改名は強制ではない。
強制ではないから日本名に改名しなかった人は3割もいた。客観的な嘘を書いてはいけない。
《参照》 『嫌韓流』 山野車輪 (晋遊舎)
在日韓国(朝鮮)人に対する「帰化」政策、すなわち同化政策はじつはその根が深い。つまり、日帝強占期(植民地時代)にも当時の朝鮮人は創氏改名といって、朝鮮の名字や名前を捨て、新しく日本の名字を創って、名前も日本ふうに改めなければならなかった。もちろん、当時の朝鮮人には自ら進んで創氏改名を望んだ人もいたであろう。が、基本的にそれは強制による「帰化」のひとつだったといえよう。(p.99)
違う。創氏改名は強制ではない。
強制ではないから日本名に改名しなかった人は3割もいた。客観的な嘘を書いてはいけない。
《参照》 『嫌韓流』 山野車輪 (晋遊舎)
【創氏改名】
【日本人は創造性がない?】
ひとことで言って、日本人は「下手な創造よりも確実な模倣の方がましだ」という考えを持っている。日本人は昔から、創造的な思考をすることにとくに価値を置かなかった。(田麗玉著『続・悲しい日本人』)
浅はかな見解である。《参照》 『ひらめきの導火線 トヨタとノーベル賞』 茂木健一郎 PHP新書
【「ひらめきは個人に宿る」 は 「フィクション」 である】
「日本人には創造性がない」も韓国人のパターン化された日本蔑視論の基幹をなす主張なのである。そう言うなら韓国人は創造的なのか? どこが創造的なのか?
企業もテレビ番組も日本のまねが殆どだろう。
《参照》 『トンデモ! 韓国経済 入門』 三橋貴明 (PHP) 《前編》
【韓国経済の三つの特徴】
それで韓国企業は日本企業より高品質なものがつくれているのか?ノーベル賞受賞が創造性を証明するものかどうか知らないけれど、科学技術に関する韓国人の受賞者が一人でもいるのか?
朴正子氏の指摘は的を射ている。日本を正しく認めたくない韓国人のメンタリティーには、近代に入ってから韓国が日本とくらべてさまざまな面で劣っているという意識がひそんでいるからであろう。(p.129)
《後編》 より