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 タイトルに即した記述は序盤のみ。全体的にはどうもシックリしない文化論である。

 

 

【フレキシブルなふろしき】
 「身体」 に合わせて作る 「洋服」 と、「身体」 に合わせて着る 「和服」。 「身体」 を 「物」 にかえれば、「洋服」 は 「鞄」 に、「和服」 は 「ふろしき」 になる。「和服」 も 「ふろしき」 も、包むものの形を選ばない融通性、汎用性を備えている。
 韓国では、「ふろしき」 に相当するものを、「ポジャギ」 というそうである。但し、日本のふろしきのように単純な正方形というだけではなく、四隅に紐がついている。

 

 

【屏風文化】
 欧米人が個人の自由のために壁を厚くし、細分化していったときに、東洋三国の人たちは、壁を自由にするために、それを軽く薄くした。そして壁が人間を拘束するのではなく、人間が壁を自由にコントロールする。それを実現したのが、他ならぬ屏風であったのだ。それによって、堅い壁は柔らかい 「ふろしき」 に変換して、人間を包むことが可能になった。(p.63)
 プライバシーのレベルが違っているのだ。屏風文化圏では個人と集団、私と他人は対立した択一的なものではない。その場その場の状況によって開いたり閉じたりする融通性がある。だから日中韓の一人称は断固不同な西洋とは違い、「私、おれ、ぼく・・・」 というように変わる。(p.68)
 中国にも屏風はあっただろうけれど、城壁もあった。中国は明らかに城壁都市国家だったのだから、この点に言及しない記述は大まか過ぎる。
 また屏風に描かれた墨絵に関しても、日本人と中国人の感じ方は異なっている。中国から帰化した石平さんは、「中国人は、山水画を “単純に死の世界” と見ている」 と書いていた。日本人は、 “幽玄なる神仙の世界” と見ている。著者は、こういったことにも言及していない。
 東洋三国を一括りにするのは、強引過ぎる。

 

 

【 「工」 の世界】
 遠くかけ離れたものを結び付け、対立したものを融合させる 「工」 は、漢字文化圏のもっとも古い、天地人三才の精神を表している文字で、横にもう一つ線を引いた 「王」 の字と等しいシンボルを持っている。
 だから、 『説文解字』 には 「工」 がまた 「巫」 と同じ意味の文字として説かれている。(工巧飾也、象人有規榘、与巫同意)。なるほど、「工」 の左右に人の文字のような形を立てると、すぐ 「巫」 の字に代わってしまう。それは、巫女が舞うときの両袖の形をあらわすものといわれているから、「巫」 は舞楽で天と地をつなぐ媒介者ということになる。
 近代の視点からすると、正反対と思われる 「工」 と 「巫」 が、このような類縁性をもって手をつないでいるのは、楽しいことだ。(p.77)
 『説文解字』 が中国で著されたにしても、漢字を最も純粋に保っているのは日本だけである。韓国なんて漢字を廃棄してしまったし、簡体字にしてしまった中国は既に 『説文解字』 では解釈不能な国家になっている。

 

 

【単義と両義】
 「縫う」 意味しかない英語の sewing も、漢字文化圏に来ると 「裁縫」 になってしまう。「裁断する」と「縫う」 の両面性が一つになっている。(p.119-120)
 同様なのが、エレベーター と 昇降機。
 引き出し ( drawer ) を韓国語では 「ペダジ」 といい、「ペ」 は引く、「ダジ」 は入れる。
 西洋で二つの対立する単語を、東洋は一つの単語にしてしまう例が、出入口、昼夜。
 漢字文化圏は、言葉において、二項対立を超えている傾向があると書かれている。

 

 

【包みの美学】
 このように日本人は大切なものはみな 「奥」 に置いた。いちばん奥には神があるのだ。山の奥、心の奥、杜の奥 ――― 包みは物に奥を与え、物を神に近づける儀式である。(p.160)
 これが、包装過剰ゴミ多量生み出し文化国・日本を維持(?!)する、日本文化の核心たる 「奥ゆかしさ」 である。
   《参照》   『捨てない生活』  クライン孝子  ポプラ社 
            【日本の過剰包装】
   《参照》   『京都の秘密 経営の絶対ヒント 深見所長講演録5』 (菱研)
            【日本的美意識と銀閣寺】

 

 

【デタラメ性】
 1930年代のハクスリーが作りだしたユートピア(『すばらしい新世界』)とはちがい、ポスト産業時代を反映している架空都市ディアスパー(A・C・クラーク『都市と星群』)には、デタラメ性の抜け穴までちゃんと計画的に用意されている。 ・・・(中略)・・・ 道化役のケドロンのような人間がいて、絶えず 「適当な分量の無秩序」 をつぎ込む役割をしている。(p.195)
 科学の分野では、合理性だけでは説明できない事象を、遥か以前から研究対象にしているから、SF作家はそれを念頭において作品を作っている。西洋が合理主義によって推進してきた現実世界は、デタラメ性を許容してこなかったけれど、東洋とくに日本には、もともとデタラメ性(アンチ合理性、アンチ二項対立性、両義性)が内包されていた。
   《参照》   『宗教の自殺』  山折哲雄・梅原猛  PHP

 

 

【日韓の基層の違い】
 韓国人の悲しい文化の裏には、いつも、あの 「タル」(韓国民族劇の仮面)にあらわれた、明るい笑いが、刻み込まれているのだ。(p.216)
 日本の伝統芸能で用いられる 「能の面」 との顕著な違いがここにはある。
   《参照》   『韓国が日本を哀しむとき』 小板橋二郎 こう書房
             【サクラ(桜) と ムクゲ(槿)】
   《参照》   日韓文化比較

 

 

【 “尚武” と “尚文” 】
 同じ東アジアでの文化圏といっても、日本では最後に岩戸を開いたのは、「手力男命」 の力コブであった。同じ儒教が起こり、「士」 の文化が始まっても、韓国では尚文の士であり、日本は尚武の士であったのは、けっして偶然なことではない。(p.218)
 著者は、中国・韓国の儒教と、日本の儒教の違いについて全く考察していない。 『東アジアの刃』 というホフハインズ2世とカルダー教授の著作に言及して、儒教を東アジア成長の共通源としている(p.210)だけである。
   《参照》   『 「明治」 という国家 (上) 』 司馬遼太郎 日本放送出版協会
            【『海游録』(平凡社・東洋文庫・姜在彦訳)という本がある】

 さらに 「手力男命」 を言及するにしても、これを “荒き魂”に象徴される 「尚武」 に繋げる解釈はあまりにも杜撰である。 「手力男命」 の手腕に先行して「アメノウズメ」が “和らいだ魂” および “幸いなる魂” で賑やかな笑いを演出したことが、岩戸開きの九分九厘を占めているのである。
 韓国は、強大なる中国への怖れから “武” を排して、儒教を制度化した科挙文献学徒としての “文” に徹するしかなかったはずである。強大なロシアに屈したポーランドや東ドイツが率先して武装解除したごとくに、それは賢明な選択であったであろう。隣国としての選択肢はそれしかないのである。
 しかし、歴史的なサイクルにおいて、中国は膨張する時がある。日本の “奇しき魂“ を持つ人々は中国の日本への拡大を予知し、先んじて “荒き魂“ で朝鮮半島に踏み出て日本を守ることを行ったのである。日本人は、荒・幸・和・奇の四魂を必要に応じて使い分けている。
 日本は “尚武” だけではなく “尚文” も十二分に備えている。そもそも日韓併合以前の韓国には儒教に関わる古典以外の文献など残っていないではないか。日本には、儒教関連以外の文献など数多ある。江戸時代に至っては民衆が好んでいた文芸を数え上げたらそれこそ切りがない。歴史的事実は、日本は韓国よりはるかに “尚文” なのである。
 日韓を比較するのに、 “尚武の日本” と “尚文の韓国” という単純な区分は、無意味というより出鱈目である。

   《参照》   『大和古流の「躾」と「為来」』 友常貴仁 (三五館) 《前編》

              【日本文化の粋】

   《参照》   『もう朝だぞ!』  友常貴仁  三五館

              【「柔よく剛を制す」 と 「剛よく柔を断つ」】

 

 

【松竹梅】
 中国、日本、韓国の東アジアの国々を一つに結んでくれたのが、「歳寒三友」 と呼ばれた 「松・竹・梅」 であった。冬の厳しさに耐える力と、時の流れにも変わらぬ操の美しさを千年も前から分け合ってきたのだ。(p.224)
 中国、韓国では読み方が違うので、松には 「待つ」 という意味は含まれていない。中国の読みでは 「竹」 が 「祝」 と通じるので、爆竹がお祝いの象徴になるのと同じことである。そこで同じ松竹梅の文化圏とはいえ、歴史と風土、それに言葉の違いによって、少しずつ寒さのバージョンが変わったものになる。韓国のシャーマニズムでは、むしろ 「依り代」 は竹であり、松ではない。(p.233)
 梅は好文木といって、「文」 を象徴する花であるが、日本の武家社会では戦を象徴するものであった。装飾と機能、文と武、実用と美が出会い、一つのものにとけ込んでいくのが、エイジアン・クールだったのだ。(p.238)
 最後の梅に関して “日本の武家社会では戦を象徴するものであった。” とあるけれど、私はそんな話は聞いたことも読んだこともない。著者は、日本は “武”、韓国は “文” という御自身の頭の中にある定型から、どうしても出ることができないらしい。
 この著作には、中国・日本・韓国、東アジアの国々を共通する文物で語りたいという基調があるけれど、この「歳寒三友」 について語られている数ページの記述は、どうもシックリとこない。違和感が残るのである。
 日本における、「松竹梅」 の本旨は、下記に書いてある。
   《参照》   日本文化講座 ② 【 松竹梅 】
 
<了>