《前編》 より
【異国でのビジネス】
北京大学で「日本におけるビジネスの可能性」について講演した時のこと。
著者の宋さんの日本語は、テレビで見ていても殆ど日本人と変わらないほどである。相手の国を好きになろうとする気持ちは、やはり外国語のレベルに現れるだろう。言葉が分からないようなら、その国の本当のところは分からないのだから、長短の両面を見据えた上でなお好きになることなどできないだろう。
ところで、この論旨からは外れるけれど、日本人留学生の猥褻寸劇の実態は、違うものだったらしい。
《参照》 『マンガ 中国入門』 黄文雄 (飛鳥新社)
【日本人留学生の破廉恥寸劇事件】
北京大学で「日本におけるビジネスの可能性」について講演した時のこと。
講演の冒頭に、軽い気持ちで当時問題になった日本人留学生の寸劇に触れました。(p.115)
日本人留学生の猥褻寸劇が、「下ネタで中国人を侮辱した」と反発を買い、デモにまで発展した事件のこと。
「日本人は大変真面目ですが、パーティーでの寸劇や酒後の余興には非常に寛大です。特に若い人たちが下ネタを言うことは決して相手を侮辱する意味ではありません。一種の日本的なユーモアだと理解した方が実態に近いので、僕もこうした余興は大好きです・・・」
すると会場にいる1人の中国人学生が急に立ち上がり、「日本人を弁護する話を聴きたくて、ここにお前を呼んだのではない。本題に入らないなら、さっさと帰ってくれ」と大声で叫びました。 (p.115-116)
すぐにビジネスの話に移り、自分の経験を交えて、その国の顧客を好きになることの重要性を語ったという。
すると会場にいる1人の中国人学生が急に立ち上がり、「日本人を弁護する話を聴きたくて、ここにお前を呼んだのではない。本題に入らないなら、さっさと帰ってくれ」と大声で叫びました。 (p.115-116)
最後に僕は学生の皆さんに問いかけをしました。
「ある外国の青年が北京で起業しましたが、彼は中国を理解しようとしません。そんな彼の製品を買いたい方はいますか?」
誰も手を挙げない会場を見て、僕は続けました。
「冒頭の話は決して日本人をかばうためではありません。相手を理解し好きにならないと、どんなビジネスも成功しません。これをこの講演の冒頭に発言した方への回答とします」
聴衆の学生たちは僕に盛大な拍手を送ってくれました。(p.116)
これを読んで、台湾の大手企業の日本支社に長年勤務している台湾人のことを思い出してしまった。「お父さんから習った」という、日本人でも知らない昔の軍歌を唄えるような日本贔屓の人で、既に日本永住権を持っているほどなのに、日本語が上手になろうとする気持ちはないらしい。故に支社内の人間関係以上の広がりはないらしいのである。「ある外国の青年が北京で起業しましたが、彼は中国を理解しようとしません。そんな彼の製品を買いたい方はいますか?」
誰も手を挙げない会場を見て、僕は続けました。
「冒頭の話は決して日本人をかばうためではありません。相手を理解し好きにならないと、どんなビジネスも成功しません。これをこの講演の冒頭に発言した方への回答とします」
聴衆の学生たちは僕に盛大な拍手を送ってくれました。(p.116)
著者の宋さんの日本語は、テレビで見ていても殆ど日本人と変わらないほどである。相手の国を好きになろうとする気持ちは、やはり外国語のレベルに現れるだろう。言葉が分からないようなら、その国の本当のところは分からないのだから、長短の両面を見据えた上でなお好きになることなどできないだろう。
ところで、この論旨からは外れるけれど、日本人留学生の猥褻寸劇の実態は、違うものだったらしい。
《参照》 『マンガ 中国入門』 黄文雄 (飛鳥新社)
【日本人留学生の破廉恥寸劇事件】
【中国の、故郷を捨てた「華僑」との微妙な関係】
「華僑」をキーワードに内部検索して過去の読書記録を読み返していたら、妙なのや意味深なのが幾つかあって何時間も過ぎてしまった(暇な人は探して読んでみてください)。
日本の評論家の中国分析は、外れることが多い、と思います。・・・中略・・・。
その大きな要因の一つは5000万人の華僑の存在と役割が彼等には読めないからです。(p.118)
少なくとも「華僑=外国にいる中国人」というイメージは間違っています。華僑たちはもう中国に戻らない、他の国に根を下ろした人たちです。正確にいえば、彼らは「祖国としての中国」を捨てているのです。(p.119)
祖国も捨てた彼らはグローバルな勢力として結果的に中国経済のグローバル化に寄与し、資本主義の遺伝子を中国に植え付けることになっています。(p.121)
祖国としての中国を捨てた華僑とはいえ、中国においてビジネスしやすいのは当然のこと。どこであれ「利」あると見れば動くのが華僑である。ユダヤ人も、東洋のユダヤ人と言われる華僑も、印僑も、グローバル化の時代には、大状況の中で大きな影響力を発揮することだろう。その大きな要因の一つは5000万人の華僑の存在と役割が彼等には読めないからです。(p.118)
少なくとも「華僑=外国にいる中国人」というイメージは間違っています。華僑たちはもう中国に戻らない、他の国に根を下ろした人たちです。正確にいえば、彼らは「祖国としての中国」を捨てているのです。(p.119)
祖国も捨てた彼らはグローバルな勢力として結果的に中国経済のグローバル化に寄与し、資本主義の遺伝子を中国に植え付けることになっています。(p.121)
「華僑」をキーワードに内部検索して過去の読書記録を読み返していたら、妙なのや意味深なのが幾つかあって何時間も過ぎてしまった(暇な人は探して読んでみてください)。
【“精神論リーダー”の弊害】
リーダーが夢や情熱を語って、全体でそれを共有するのは有効であるけれど、前進の為に必要なのは個別論であり具体論である。
《参照》 『勝つための方法』 船井幸雄・小山政彦・佐藤芳直 (中経出版)
【責任者にと任命される人間は・・・】
組織は意欲で変わるものではなく、異なる選択肢と具体的な道筋を知って変化するのです。変化とは、異なるオプションへのシフトであり、決して無から有を生み出すものではありません。精神論以外の異なるオプションを知らないリーダーこそ変化すべきなのに。
たとえば、結果を出したいとき。
「結果がすべて」・・・中略・・・。結果の重要性は誰でもわかります。部下たちが困っているのは、どうしたら結果を出せるか、という具体論が見つからないことです。一緒になって具体論を編み出そうとしない“精神的リーダー”は「どうしたらいいか」に答えず、「必死になれば必ず結果が出る」とウソをつくのです。・・・中略・・・。“精神論リーダー”は、必ず自分は安全なところにいながら、部下に「必死になれ」と犠牲を求めます。(p.138)
ビジネス・コンサルタントは、過去の数多の実例から成功確率の高い手法を知っている。精神論ではなく膨大な具体例を積み上げて研究しているからこそ有意な提案ができるのである。ところが、学ぶ意志のないリーダーほど、自分が努力する姿を示すことなく「答えを言え」と迫るのである。公務員はたいていこのタイプである。“学ぶ意志のないリーダー”は、“精神論リーダー”と同じくらい質が悪い。たとえば、結果を出したいとき。
「結果がすべて」・・・中略・・・。結果の重要性は誰でもわかります。部下たちが困っているのは、どうしたら結果を出せるか、という具体論が見つからないことです。一緒になって具体論を編み出そうとしない“精神的リーダー”は「どうしたらいいか」に答えず、「必死になれば必ず結果が出る」とウソをつくのです。・・・中略・・・。“精神論リーダー”は、必ず自分は安全なところにいながら、部下に「必死になれ」と犠牲を求めます。(p.138)
リーダーが夢や情熱を語って、全体でそれを共有するのは有効であるけれど、前進の為に必要なのは個別論であり具体論である。
《参照》 『勝つための方法』 船井幸雄・小山政彦・佐藤芳直 (中経出版)
【責任者にと任命される人間は・・・】
我々は、精神を大事にしたいからこそ、「精神論」を他人に押し付けることはできないのです。(p.139)
【保守的な概念と硬直したマネジメント手法】
下記リンクにあるように、「週三日ぐらいなら正社員で働いてもいいな」というフリーターの意見を聞いて、「ふざけるな!」と思うのか、「実現可能な正論かもしれない」と思うのかで、その人の常識の幅が分かる。前者の思いが、本当に貴重な価値の高い仕事をしている人によって発せられているのなら、それは聞くに値する。しかし、誰にでもできる凡庸な仕事をしている人の思いなら、「時代を先導することなき社会常識」に洗脳されきっているだけの人の、聞くに値しない駄論である。「週三日ぐらいなら正社員で働いてもいいな」と思える若者の方が、斬新な視点で社会を見つめ、時代を突破するような「未来の常識」を持っている可能性はかなり高いのである。凡庸な大人は「自分自身が老害となっているかもしれない」などとは思いもしないのだから、困ったものなのである。
《参照》 『夢がなくても人は死なない』 三浦展 (宝島社) 《後編》
【週三日労働でいい】
素晴らしい可能性を持ち、変化に強い人材。このような経営者が求めてやまない人材は、ニート、フリーター、そして女性のなかに多量に潜んでいます。ところが、保守的な概念と硬直したマネジメント手法が邪魔となって、多くの日本企業は、この貴重な人的リソースを生かすことができていません。(p.142-143)
辞めないこと、遅刻しないこと、残業すること、成果は二の次でサボらず努力すること。これらが美徳になっているようなら、貴重な人的リソースを生かせていない企業である、と著者は言っている。
ニートやフリーターや女性をビジネスモデルに取り込めない会社は、人材の「宝庫」を人材の「倉庫」に変えてしまうでしょう。(p.143)
会社の「人材」が、「人財」ではなく「人罪」になっているとも言える。下記リンクにあるように、「週三日ぐらいなら正社員で働いてもいいな」というフリーターの意見を聞いて、「ふざけるな!」と思うのか、「実現可能な正論かもしれない」と思うのかで、その人の常識の幅が分かる。前者の思いが、本当に貴重な価値の高い仕事をしている人によって発せられているのなら、それは聞くに値する。しかし、誰にでもできる凡庸な仕事をしている人の思いなら、「時代を先導することなき社会常識」に洗脳されきっているだけの人の、聞くに値しない駄論である。「週三日ぐらいなら正社員で働いてもいいな」と思える若者の方が、斬新な視点で社会を見つめ、時代を突破するような「未来の常識」を持っている可能性はかなり高いのである。凡庸な大人は「自分自身が老害となっているかもしれない」などとは思いもしないのだから、困ったものなのである。
《参照》 『夢がなくても人は死なない』 三浦展 (宝島社) 《後編》
【週三日労働でいい】
【同じ組織に同じ人間が長くいることの良し悪し】
仕事に関して第一優先基準に「安定」(≒「脳死した人生」)を置くなんてツマラナイと思える人なら、現代という時代に合っているだろう。どう生きたいのかが明確でない人は、とかく「安定」を口にするのである。そして親が公務員であった場合、多様な生き方があることを知ることもなく、「安定」以外の生き方の基準を知らないまま生きている人が多いのである。
組織が人を大切にすることは、同じ組織に同じ人間が長くいるという現象とイコールではないということです。
どんな組織も、時代や社会、そして顧客の趣向とさまざまな変化に対応していかなくてはなりません。その時に、“同じような”人間の集団だけで、こうした変化に対応できるのでしょうか。(p.150-151)
もしも移り変わる時代の中で、同じ組織の中で活躍し続けていた人がいるなら、変化を厭わず常に自身の考え方を率先して更新してきた人なのだろう。公務員なら脳死同然の状態で一生涯税金に寄生していられるけれど、民間企業人なら窓際が定位置になってしまうかもしれない。どんな組織も、時代や社会、そして顧客の趣向とさまざまな変化に対応していかなくてはなりません。その時に、“同じような”人間の集団だけで、こうした変化に対応できるのでしょうか。(p.150-151)
仕事に関して第一優先基準に「安定」(≒「脳死した人生」)を置くなんてツマラナイと思える人なら、現代という時代に合っているだろう。どう生きたいのかが明確でない人は、とかく「安定」を口にするのである。そして親が公務員であった場合、多様な生き方があることを知ることもなく、「安定」以外の生き方の基準を知らないまま生きている人が多いのである。
数年前、僕がトップを務めていた頃、新入社員への1回目の社員教育に辞表の書き方を取り入れました。入社して早々、「会社の辞め方」を新入社員たちに伝授するのです。「入社するのも辞めるのも、あくまでも自分を生かすためです。ほかにもっと生かしてくれる場所があれば、正々堂々と行くべきです。その代わりに辞めない以上は、ここは君たちが自らの意思で選んだ場所だと自覚して、意見があれば正々堂々表に出して議論すべきです」というような趣旨のことを述べるのです。(p.179-179)
著者のようなことを1回目の社員教育で語ってくれる会社は、本当に素晴らしい会社だと思う。
【サラリーマンも本来的には個人事業主】
ただ、著者が日本人男性に対して言わんとしていることは正論だろう。
松下幸之助さんも同じことを言っていた。
《参照》 『人生で大切なこと』 松下幸之助 (PHP)
【人生は “経営” である】
サラリーマンも本来的には個人事業主と同じというのがぼくの意見です。なぜなら、自分の労働と才能を売って自分と家族の生活を守りながら将来を切り開いているからです。それは個人事業主=社長なのです。本来社長であるべき人は、(奥さんから)お小遣いをもらうのはふさわしくありません。みなさん、特にお父さん、お小遣いを返上しましょう。(p.165)
日本以外の国なら、女性が家計の財布を握るなんてあり得ないことなのだけれど、著者からこう勧められても、日本人男性は実践しないだろう。ただ、著者が日本人男性に対して言わんとしていることは正論だろう。
松下幸之助さんも同じことを言っていた。
《参照》 『人生で大切なこと』 松下幸之助 (PHP)
【人生は “経営” である】
<了>