
著者の名前が記憶にあったけれど、ジャンルが違いすぎるから「同姓同名?」と思いつつプロフィールを見てみたら同じ人だった。2010年10月初版。
【神様を信じてない私であったら・・・】
さて、神社に行って人生が好転したのか? と聞かれたら、私は100%「はい、もちろん」と答えます。
確かに、神社にお参りしただけでは好転しないとは思います。けれども、もし、私が今のように神社が好きで、これほどお参りしていなかったら今のような人生を歩んでいなかったと思います。神様を信じてない私であったら、きっと私は努力をしなかったし、人の三倍がんばって生きようとしなかったと思うのです。(p.16)
著者の場合、神社へ行った時にすることといったら、“感謝”と“決意表明”らしい。確かに、神社にお参りしただけでは好転しないとは思います。けれども、もし、私が今のように神社が好きで、これほどお参りしていなかったら今のような人生を歩んでいなかったと思います。神様を信じてない私であったら、きっと私は努力をしなかったし、人の三倍がんばって生きようとしなかったと思うのです。(p.16)
大抵の人は、“おねだり参拝”なのだろうけど、神霊界の揺るぎない視点は「御魂の成長」ということらしいから、おねだりを繰り返しても、そうそう何度も叶えてはくれないのだろう。
《参照》 『女神と鳳凰にまもられて』 暁玲華 (アメーバ・ブックス) 《前編》
【大志をサポートする存在】
私にとって神社は「神様にコミットメントするところ」という認識があります。
「○○ができますように」ではなく「○○をします」と言うのです。
手を合わせてこれを言うのは結構勇気がいるものです。だからときどきは「○○できるように精いっぱい出来る限りやります」と言います。とにかく神社で神様と約束してしまうと逃げられないし、サボれない。自分に厳しくなれるのです。
誰も見てないところでも自分と神様が見ていると思うから。(p.18)
「○○ができますように」ではなく「○○をします」と言うのです。
手を合わせてこれを言うのは結構勇気がいるものです。だからときどきは「○○できるように精いっぱい出来る限りやります」と言います。とにかく神社で神様と約束してしまうと逃げられないし、サボれない。自分に厳しくなれるのです。
誰も見てないところでも自分と神様が見ていると思うから。(p.18)
【問題回避の神頼み】
《参照》 『自分の神さま作ろうよ』 無能唱元 (日新報道)
【「辛抱の期間」】
障害や困難や苦しみが目の前にやってきたとき、それを乗り越えるのは自分しかないのに、乗り越えようともせず、とにかく問題は回避できることだけを願い、神頼みしても叶うはずがないのです。本人のためにならないからです。
そうなってしまった反省や問題に気付き、「自分のいたらなさに気付かせていただき、ありがとうございました」と言えることから、新しいチャンスがやってくるのだと私は思います。誠意もなく、ぎりぎりの努力もなく、見栄を捨てて向かっていくことができないのに、ご祈祷だけで問題を回避してしまったなら、その人はすぐにまた同じことで失敗してしまいます。成長もないまま、さらに誰かを裏切って、今度はもっと大きな事故を起こしかねないのです。(p.28)
神様って、時間をかけてじっくり見守っているらしい。簡単にことが成ってしまうと、忍耐とか努力とかの大切さを学ばないからということだろう。そうなってしまった反省や問題に気付き、「自分のいたらなさに気付かせていただき、ありがとうございました」と言えることから、新しいチャンスがやってくるのだと私は思います。誠意もなく、ぎりぎりの努力もなく、見栄を捨てて向かっていくことができないのに、ご祈祷だけで問題を回避してしまったなら、その人はすぐにまた同じことで失敗してしまいます。成長もないまま、さらに誰かを裏切って、今度はもっと大きな事故を起こしかねないのです。(p.28)
《参照》 『自分の神さま作ろうよ』 無能唱元 (日新報道)
【「辛抱の期間」】
本当に私たちが必要とするのは、即時性の幸せではなく継続性のある幸せだと、いつもなにかある度に教えてもらっているように思うのです。(p.28)
木花開耶姫的じゃなくって磐長姫的な幸せ。
【参拝するなら神社だけじゃなく・・】
せっかく遠方の神社まで言って、おいしい物も食べずに帰ってくるのはもったいないです。そこの土地にあるものとふれあっていろんな感動を感じるのです。そこの土地で取れたものを食べ、そこの土地に湧く温泉があれば入って楽しむことです。昔の人は大地からの恵みも神様のおかげと感謝していたのです。だから私は、すべてのことに感謝できるように、思う存分に楽しもうと思うのです。
・・・(中略)・・・
また、楽しみながら食べるにしても泊るにしても、お金を使うわけですが、私は、その土地に感謝して、その土地で働く人たちにお礼をこめてそこでお金を遣うようにしているのです。神社だけでなくその周辺土地全体がご神域の範囲でもあるので、そこでお金を気持ちよく遣うことは自分のお金の循環が良くなる方法です。だからお土産もついついたくさん買ってしまいます。(p.32-34)
経済的に余裕のある皆さんが、門前町の賑わいにまで貢献してくださるのは素晴らしいことだろう。しかし、少なからぬ交通費を何とか捻出し、残りの全部をお玉串に使っちゃって、飲まず食わずで帰ってくる人々だっていることだろう。それはそれで神様は志を汲んでくれているはずである。・・・(中略)・・・
また、楽しみながら食べるにしても泊るにしても、お金を使うわけですが、私は、その土地に感謝して、その土地で働く人たちにお礼をこめてそこでお金を遣うようにしているのです。神社だけでなくその周辺土地全体がご神域の範囲でもあるので、そこでお金を気持ちよく遣うことは自分のお金の循環が良くなる方法です。だからお土産もついついたくさん買ってしまいます。(p.32-34)
【信じないといけないことは】
地球の未来は、二極化しつつも、世代が変わるにつれて素晴らしく良くなるはずである。
あるとき、神職の方に「目に見えないものは信じないと言う人もいますね」、と何気なく言ったら、その方が「その人にも人を愛する気持ちがあると思いますが、愛は見えますか? 見えないですよね。私たちが信じないといけないことは、見えないものばかりなんですよ。その見えないものこそが心を強くしてくれるのです」とおっしゃいました。(p.50)
神様って、結局のところ愛のエネルギーである。それは大宇宙を成り立たせているものであり、宇宙空間に遍在する。しかし、数十年前まで、それは地上にまで余り届いていなかった。だから、早く生まれたおじさん世代ほど、「見えないものは信じない」と言う人々が少なくない。若い世代は、目に見えなくとも感受性に秀でているから、何となくであれ分かっている。地球の未来は、二極化しつつも、世代が変わるにつれて素晴らしく良くなるはずである。
【大齋原(おおゆのはら)】
大斎原 とは、熊野川と音無川、岩田川の合流点にある中洲のこと。以前はここに 熊野本宮大社 があった。明治22年に洪水で流されちゃたから、今は山の上に引っ越している。大齋原には日本でいちばん大きな鳥居がデ~~ンと立っている。とんでもなくデッカイ。
下記は、著者と九鬼(←正しくは上の点はない)宮司さんとの会話。
大斎原 とは、熊野川と音無川、岩田川の合流点にある中洲のこと。以前はここに 熊野本宮大社 があった。明治22年に洪水で流されちゃたから、今は山の上に引っ越している。大齋原には日本でいちばん大きな鳥居がデ~~ンと立っている。とんでもなくデッカイ。
下記は、著者と九鬼(←正しくは上の点はない)宮司さんとの会話。
「ここはなんだかわからないけれど、立っているだけでなにか大きなものを感じる場所ですね。これって言葉にできない感じで・・・」
「はい、今立っているこの大齋原は、人々が1回人生をチェンジして切り替えようとした場所であったんです。そういう歴史的な、いろんな人々がこの場所に来てね、何かを、力をいただいて、新しいスタートを切った場所だからなのです」
「生まれ変わりの場所だから・・・」 (p.102)
大齋原には芝生の公園のような場所もある。晴れてたら寝転がってカラッポになるのもいいかもしれない。「はい、今立っているこの大齋原は、人々が1回人生をチェンジして切り替えようとした場所であったんです。そういう歴史的な、いろんな人々がこの場所に来てね、何かを、力をいただいて、新しいスタートを切った場所だからなのです」
「生まれ変わりの場所だから・・・」 (p.102)
【氏神様】
神社本庁 〒151-0053 東京都渋谷区代々木1-1-2 電話 03-3379-8011(代)
順番ということになると、まずは自分を守ってくださっている氏神様へのお参りは欠かさないようにした方がいいと思います。いま住んでいる土地を守ってくださっているのが氏神様です。近くの人から、まずはお礼です。 ・・・(中略)・・・ 氏神様が必ずしも近所の神社でない場合があるので、思い込みでお参りしないできちんと調べてくださいね。神社庁に電話して「この住所の氏神様を教えてください」と自分の住所を言うときちんと教えてくださいます。(p.114)
神社本庁のHP を見てみると、なかなか面白い。神社本庁 〒151-0053 東京都渋谷区代々木1-1-2 電話 03-3379-8011(代)
【白山比咩神社】
白山比咩神社の参道は、やや登りだけれど距離としては全然長くない。下からちゃんと参道を登っていったほうがいい。
参道が最も長いのは長野県にある戸隠神社だろう。「まだぁ~」ってくらいあっちにある。およそ2km。
この本にも、戸隠神社のことがわずかではあるけれど書かれている。
白山比咩神社には、やはりレンタカーで移動するほうがいいです。ただ、車で行くと、参道の階段を通らず、そのまま駐車場に上がってしまいます。私は駐車場に車を止めてから、一度鳥居を出て再度下から上がってきます。ちょっとしんどいけれど、参道から感じる「気」はすばらしいし、そこを歩いて上がってくるときに気持ちがしゃんとしてくるのです。(p.177)
参道の登り口にも車20台分くらい停められる小さな駐車場がある。白山比咩神社の参道は、やや登りだけれど距離としては全然長くない。下からちゃんと参道を登っていったほうがいい。
参道が最も長いのは長野県にある戸隠神社だろう。「まだぁ~」ってくらいあっちにある。およそ2km。
この本にも、戸隠神社のことがわずかではあるけれど書かれている。
【吉田神社】
小さい頃、おじいちゃんと一緒に何度も吉田神社に行っていたと書かれている。
小さい頃、おじいちゃんと一緒に何度も吉田神社に行っていたと書かれている。
吉田神社は私の思い出の場所であり、神社という認識をもった初めての場所なのですが、後になって調べてみると、何気なく通っていた吉田神社は、どうやら神道の世界ではかなり位の高い神社であり、本殿からは少し離れたところにある八角形の形をした齋場所大元宮(重要文化財)は全国の神様を祀っているということです。(p.183)
吉田山散策コースとしては、西側の京都大学側から入るのではなく、東側の紅葉が綺麗な 真如堂 を通って参拝するほうがいいそうです。
<了>