《前編》 より
【蘇生法を教えてくれたウルトラマン】
下記リンクで言及されている煮豆を発芽させたのは孫儲琳さんという女性。
《参照》 『不思議の科学』 森田健 (同朋舎)
【 “煮豆が発芽する” 蘇生のキーは 「コンタクト」 とマスター】
ウルトラマンの星には、サキシマスホウがいっぱい生い茂っている。ウルトラマンは、地球にいない時はいつだって、いい年かっくらってサキシマスホウの森でカクレンボして遊んでいる。海岸に流れ着いたサキシマスホウの実は、飛行中のウルトラマンの落し物である。
《参照》 『家出のじかん』 鴨居まさね (集英社)
【ウルトラマンのモデル】
下記リンクで言及されている煮豆を発芽させたのは孫儲琳さんという女性。
《参照》 『不思議の科学』 森田健 (同朋舎)
【 “煮豆が発芽する” 蘇生のキーは 「コンタクト」 とマスター】
彼は普通の肉体じゃなかった。彼は宇宙人で、その星は不老不死なんですって。もうぶっ飛んでる話なんですけど。孫さんに向かって、
「あなたはとても力があるから、生き返らせるやり方を教えよう」と言って教えてくれたんだそうです。
目がボコっとして、顔もまるでウルトラマンそのものだったそうです。だから彼女は、「ウルトラマンは決して想像上のものではない」って言ってます。(p.175)
不老不死の国から来たウルトラマンでも、胸の信号がピコピコしちゃうのは、地球が粗雑なエネルギーレベルの星だからなんだろう。「あなたはとても力があるから、生き返らせるやり方を教えよう」と言って教えてくれたんだそうです。
目がボコっとして、顔もまるでウルトラマンそのものだったそうです。だから彼女は、「ウルトラマンは決して想像上のものではない」って言ってます。(p.175)
ウルトラマンの星には、サキシマスホウがいっぱい生い茂っている。ウルトラマンは、地球にいない時はいつだって、いい年かっくらってサキシマスホウの森でカクレンボして遊んでいる。海岸に流れ着いたサキシマスホウの実は、飛行中のウルトラマンの落し物である。
《参照》 『家出のじかん』 鴨居まさね (集英社)
【ウルトラマンのモデル】
【イメージをコピーする】
孫儲琳さんが、ピーナッツを発芽させた時のやり方
「願望をもってはいけない」という記述がポイント。
「イメージをコピーする」という無為な作業であることが大切。
孫儲琳さんが、ピーナッツを発芽させた時のやり方
この時に現物のピーナッツから声がしたりするんです。「水が欲しい」とか。
そこで水をあげて、もうイキそうだというのがわかった時、イメージの中で勝手に芽が出るんだそうです。決して願望をもってはいけないそうです。イメージの中で芽が出たら、それを現物にコピーするのです、そうすると、一瞬でピーナッツから芽が出る。(p.177)
ウルトラマンは最初から目が出てる。(それは、どうでもいい)そこで水をあげて、もうイキそうだというのがわかった時、イメージの中で勝手に芽が出るんだそうです。決して願望をもってはいけないそうです。イメージの中で芽が出たら、それを現物にコピーするのです、そうすると、一瞬でピーナッツから芽が出る。(p.177)
「願望をもってはいけない」という記述がポイント。
「イメージをコピーする」という無為な作業であることが大切。
【「問い」と「願い」】
―― モリケンワールドだと「問い」じゃない? ぼくの場合だと「願い」なんだよね。願うと、それは宇宙の隅々にくまなく伝わるはずだという。同じことを言っているような、でも少し違うような。
「願い」は自分自身の可能性を縮めてしまうような気もするのですが・・・・。
孫さんは、悩みを持った人が相談にくると「自然に任せなさい」と言います。蘇生する時も力んでないです。彼女は道教の「無為自然」の考え方が好きなんですね。願いというのは「有為」のような気がします。(p.188)
「問い」と「願い」は、下記の【時空は問われたい】に関係する。「願い」は自分自身の可能性を縮めてしまうような気もするのですが・・・・。
孫さんは、悩みを持った人が相談にくると「自然に任せなさい」と言います。蘇生する時も力んでないです。彼女は道教の「無為自然」の考え方が好きなんですね。願いというのは「有為」のような気がします。(p.188)
【天人合一】
「天をプラスと考え、人をマイナスと考えてみましょう」と。逆でもいいんですけど。それが合一、つまり合わさるとどうなるか。・・・(中略)・・・。1 - 1 = 0 になるのがポイントなんです。陰と陽が出あうとゼロになるんです。
私は道教の体験をレポートにして導師に送ったんですけど、私という個が全体と合一して無になったということを書きました。
大切なのは未来に向かって生きることではなく「瞬間に生きる」ということだと思います。瞬間に生きることは、無に生きることかもしれませんよね? でも、これが案外難しいんです。(p.105)
日本にも「只今に生きる」という神道的な表現があるけれど、これは未来にも過去にも執着しない生き方として理解しやすい。さらにこれを「無に生きる」と捉えてしまえば「無為自然」となって、自然な運命の流れに乗れるよ、ということを、 『ハンドルを手放せ』 とか 『運命におまかせ』 という著作で表現していたんだろう。私は道教の体験をレポートにして導師に送ったんですけど、私という個が全体と合一して無になったということを書きました。
大切なのは未来に向かって生きることではなく「瞬間に生きる」ということだと思います。瞬間に生きることは、無に生きることかもしれませんよね? でも、これが案外難しいんです。(p.105)
【「用神を取る」】
観測者の意識が結果に影響を与えてしまうという不確定性原理と同じことを言ってるんだろう。「問いを発する主体の意識こそが観測者の意識であらねばならず、占い師の意識で結果を読む(観測する)ことはできないよ」と言っているんだろう。
また、それとは別に、最後の文章にある「問うこと」の大切さが何度も言及されている。
占い師は受け身で待っているしかないんです。自分で勝手には出来ないんですよ。占いの専門用語で「用神を取る」というのがあるんですが、それが出来ないからです。誰が主人公かがわからないと、用神が取れないんです。だから占いの世界は面白い。
問いを誰がどうやってもってくるかが、この世界を変えていくんです。大切なのは問いなんですよ。(p.120)
問いを発する主体がないと「用神を取る」ことができない。問いを誰がどうやってもってくるかが、この世界を変えていくんです。大切なのは問いなんですよ。(p.120)
観測者の意識が結果に影響を与えてしまうという不確定性原理と同じことを言ってるんだろう。「問いを発する主体の意識こそが観測者の意識であらねばならず、占い師の意識で結果を読む(観測する)ことはできないよ」と言っているんだろう。
また、それとは別に、最後の文章にある「問うこと」の大切さが何度も言及されている。
【時空は問われたい】
「問い」は、本質的に無為であるから自然に還元されて巡る。
「願い」は、有為であるがゆえに自然に沿うとは言えず転変する可能性がある。
スピリッチュアルな世界で、最終的に受け取るかどうかを決めるゆるぎない基準は、「無の法」か「有の法」か、というところだろう。「有の法」は畢竟するに行き詰まる。ましてや「結果を祈る」なんぞは論外も甚だしい。
適切な問いが見つかれば、答えは自動的に見つかるというものなんですね。だけど、我々は逆をやっている。答えを見つけようと必死にもがく。 ・・・(中略)・・・ 。
時空は問われたい。
とすると、神も自分自身をわかっていないのかもしれない。だから我々という知的生命体をつくって、
「あなたは誰?」と問わせたのではないでしょうか。 ・・・(中略)・・・ 。
だけど、多くの人は、問いではなく目的を持っちゃってる。たぶん、それでは何も答えてくれないと思うのです。(p.186)
「問い」と「目的(願い)」は違う。時空は問われたい。
とすると、神も自分自身をわかっていないのかもしれない。だから我々という知的生命体をつくって、
「あなたは誰?」と問わせたのではないでしょうか。 ・・・(中略)・・・ 。
だけど、多くの人は、問いではなく目的を持っちゃってる。たぶん、それでは何も答えてくれないと思うのです。(p.186)
「問い」は、本質的に無為であるから自然に還元されて巡る。
「願い」は、有為であるがゆえに自然に沿うとは言えず転変する可能性がある。
スピリッチュアルな世界で、最終的に受け取るかどうかを決めるゆるぎない基準は、「無の法」か「有の法」か、というところだろう。「有の法」は畢竟するに行き詰まる。ましてや「結果を祈る」なんぞは論外も甚だしい。
問いを発すれば、世界が答えてくれます。その時、この世もあの世も自由な世界へと変わっていくような気がします。すると、初めて筋書きのない世界に入っていくことになり、人類そのものが輪廻のシステムを変えていけるかもしれません。(p.254)
この記述は、本書のクロージング・センテンス。 チャンちゃんの頭は、極めてイイカゲンだしフニャフニャだから、この記述が非常に重要な内容を語っていると思える。でも、仏教教学の固定観念で頭がカチンコチンの人や、脳科学的な視点での思考に不慣れな人は、この意味がチンプンカンプンなのかもしれない。
【無為自然な時空になる】
ひと言でいえば、自分を肯定して、運命を受け入れ、全てを手放せばいい。
欠点も愛おしい自分の一部だと受け入れることが出来た時、人は時空そのものに広がると思います。(p.251)
欠点も愛おしい自分の一部だと受け入れることが出来た時、人は時空そのものに広がると思います。(p.251)