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 有意義な本である。
 この本は、易経系の占いである六爻占術(ろっこうせんじゅつ)を用いて、株の上昇を当てて多額の財産を獲得したことから、書き出されている。しかし、この本は、最終的にいかなる占いを用いずとも幸運を呼び寄せることのできる人間の生き方を導き出している。
 いかなる占いであれ、占いに興味を持っている人々は、この本から多くの示唆を得られるはずだ。
 著者は、富士通を退職して、不思議研究所を起こし、「時空はなぜこうなっているのか」をテーマに世界中を取材しているのだという。著者のように、理系の現役技術者で、運命学や宗教的世界に興味を持っている人々は実に沢山いる。そういった人々には、特に分かりやすく興味深い本なのであろう。


【「時間は未来から流れる」】
チベット密教から得た気づきは「時間は未来から流れる」ということと「全体の業」ということでした。 (p.31)

行為の清算(徳を積んだか否か)は宇宙が終わってみなければ分からないのです。
ですから前世とか今世という短いスパンでは判断できません。
しかし、宇宙が一度終われば清算できます。
今世の運命は、前回の宇宙のカルマなのではないでしょうか。
これがチベットを旅行していたときに得た「全体の業」というインスピレーションでした。 (p.200)
 「未来から流れる時間」 と 「過去から流れる時間」 の二つが交わるのが 「今」 なのであるが、運命を変えたい人は、「未来から流れる時間」 に意識を向けるべきである。
 復讐をするためとか屈辱を晴らすためというマイナスのエネルギーを溜め込む人は、過去に原因を定めるために、「過去から流れる時間」 に支配されるので、未来を好転させることは全く不可能となる。
 「全体の業」に関する、前回の宇宙にまで遡及するカルマ論は、刺激的な内容なので書き出しておいた。

 

 

【ユングと易】
 ユングがやっていたのは、六爻占術の前身で周易と言われるものです。占った月日との五行の関係を調べることはしません。それでもユングを虜にするほど当たったのです。
 コインを投げて裏表が出ることと、未来の出来事は関係ないとするのが、一般的な見方です。しかしあまりに当たる占いの結果を見て、ユングはシンクロニシティという概念を生み出します。
 それは、「意味ある偶然の一致現象を説明する非因果的関係の原理」と訳されました。しかし、この占いを始めたことが原因で、彼は学会から締め出しをくらいます。
 その後返り咲くのは、「集合無意識」という概念をうみだしてからだと言われています。(p.107-108)
 この本の、後半を読んでゆけば、“コインを投げて裏表が出ることと、未来の出来事” の関係が、誰であれ、ある程度理解できるようになるだろう。
 私が学生時代に読んでいた「易」の本には、この関係の説明が “気が動く” という言葉で終わってしまっていて、それ以上納得の行く説明は一切されていなかった。

 

 

【六爻占術に神の認識はない】
 「六爻占術には、神の存在の認識がありません。六爻占術がよく当たるのは、宇宙のすべての情報が時空を越えて存在するという理論(全息論)に関係があるからです。ですから聞きたいことがあれば、その結果が色々な形で現れてくるのです」 (p.204-205)
 神様を信じたい人は神様の名前が語られる宗教的なアプローチをすればいい。信じたくない人はこの本の著者のようなアプローチをすればいい。どちらであろうと、正しく問うことで納得のゆく回答はえられるはずである。

 

 

【六爻占術による運命変更にかんする概念】
 (3枚のコインをなげて占う)六爻占術では、生き方を問いません。むしろ自分の外側にあるもので運命の変更をします。
 この考え方の中には、私たちは外側の世界と一体であるという概念があります。だから外側を変えれば私たちの運命も変わるのです。 (p.110)
 外側を変えるために、卦の判断因子として、外応(周囲の情報)を読み取ることが重要になってくる。

 

 

【外応】
 コインだけではなく周囲の情報も取り入れないとだめだということです。
 これを外応というのです。そして、この外応では、自然現象が卦の判断に影響を及ぼすだけではなく、人の動きも影響するらしいのです。 (p.118)
 外応の実例が、この文章に続いて記述されている。そして、それらの実例の後にこう書かれている。
 「占い」がいいかげんなのか、人をオチョクッているのかなどと思われた方もいるのではないでしょうか。
 しかしそういう人は、占いによって場ができるとき、外界そのものがそれに反応するという事実があることを真剣に受け止めていないということです。 (p.121)
 著者の言っている “場” という概念について、量子物理学に興味のある人は容易に分かるはずである。密教などで 「結界を作る」 あるいは 「結界を張る」 という場合の “結界” がこれで、“場=結界” の形成にはそれをなす人の冴えた意識が重要なポイントになってくる。
 NHKの「宮本武蔵」でこんなシーンがありました。
 武蔵が柳生石舟斎という柳生流の創始者と試合をするシーンで、・・(中略)・・
「勝負の最中に風の音を聞け。鳥の声、水の音、それを知らずして剣の腕だけ磨いても無駄だぞ、武蔵!」
 ・・(中略)・・
「真剣勝負とは、風、音、鳴き声、周りのすべてのものを取り込むことだ」 (p.125-126)
 冴えた意識は、一点に集中されるのではなく、全体を取り込むために向けられねばならない。
 つまり、「止」 ではなく 「観」 において働く意識こそ、本物ということであろう。
 外応ということの大切さは、「易」 でも 「道(タオ)」 でも同じである。

 

 

【内と外を繋ぐ】
 運命を変えるキーは自分(内側)にあると言われています。世界を変えるためには自分を変えろと言われています。しかし、そんな内側ばかりに目を取られていると、外側で起こった雨の音を聞き逃すのです。
 これは何を言っているのかと言えば、自分の心は「内側」に留まるようなそんな小さな存在ではないということではないでしょうか・・・・・
 外側を信頼できないときは、内側だけに入るのだと思います。
 内側を信頼できないときは、外側に行く、つまり外側ばかりに頼るのだと思います。 (p.129)


 全体としての私という存在になったとき初めて、「自分が源である」 と言えると思います。私は時空全体に広がった私自身のパルスを受け、それに反応して問いを発します。答えは時空に広がった私自身から返り、それを使って運命を自由に変更します。
 その世界には運命を決めている 「他者」 は存在しません。源としての自分があるだけです。「個」 を手放したあと、まさか 「源としての自分」 が時空の向こう側から帰ってくるとは思いませんでした。「個」 に執着した状態で自分が源だと言っている限り、私以外の世界は 「他者」 としてしか存在しません。そういう狭い世界では、シンクロニシティはあまり起こらないと思います。
 あなたも 「個」 への執着を一時手放し、オールを捨てて全体の流れに乗ってみませんか? 流れそのものが 「全体としてのあなた」 なのです。 (p.221)
 この文章を読んだとき、私は、『博士の愛した数式』 という映画の中で、博士が1枚の枯葉をかざして言った、「1は全体で美しい」 というセリフを思い出した。そして、図形とすればクラインの壺である。
 文学的な表現でいうならば、「法則の必然を自覚したときの自由」 という高橋和巳の小説の中にあった言葉が思い出される。
 私は子供の頃、氷原を滑って進む球体の夢を何度も何度も見ていた。そして、「何故その球体は回転しないで滑って進むのか」 と考えると、その瞬間に、いつも夢の球体は凹凸面に座礁して止まってしまうのだった。この夢の球体を、自分自身の自由と重ね合わせて 「自動律」 と勝手に用語を定めて考え続けていた時、高橋和巳の小説の中で、その言葉に出合って、気づきを得たのだ。
 著者のように、時空に問いを発しつつ、時空にドップリと浸って生きていたい・・・・。

 

 

【反作用は12年周期で変化する : 木星との関係】
 さて、今まで習ったことによれば作用(与える力)が一定なら反作用(反動)も一定のはずです。
 しかし、反作用は12年の周期で変動していたのです。
 12年という周期に関して神坂(新太郎)さんは木星に原因があるという仮説を考えました。木星は約12年で太陽を一周するからです。しかも木星は太陽系最大の惑星です。ですから太陽の発する放射線などのエネルギーが、木星に吸い寄せられているという可能性があるのです。太陽と木星の間に地球が入ると、地球はその影響をもろに受けます。 (p.154-155)
 中学や高校では、「作用反作用の法則」として、いまだに、生徒に嘘を教えているのだろう。

 

 

【子(ね)の不思議】
 その中でも不思議なのは子です。時間で言えば23時から1時を指し、零時で陰陽が交代するのですが、不思議だと書いたのはネズミの爪の数です。前の爪は奇数(陽)で後ろの爪は偶数(陰)なのです。 (p.103)
 零時にまたがる子の刻を、鼠の爪の数が前後で違っていることに対応させ説明している「易」の本は、今まで出会ったことがなかったので書き出しておいた。
 

  森田健・著の読書記録

     『不思議の科学』

     『あの世はどこにあるのか』

     『「母神」に包まれる方法』

     『運命におまかせ』

     『運命を変える未来からの情報』

 

<了>