
苫米地さんの本にはどれも冗長な記述などないけれど、この本は特にコンパクトに記述されている。2009年6月初版。
【一目ぼれのテクニックを使う資格がある人】
この著作の終盤に「一目ぼれのテクニック」がコンパクトに書かれているから、これを書き出すことは容易だけれど、チャンちゃんはあえて書き出さない。著者の意を汲んで、著作全体を正しく読みとる意志のある人だけが活用すべきであると思うからである。
私は常々、視点を上げて、高い次元から物事を見ることを説いています。この3次元の世界の価値観にとらわれずに、4次元、そして5次元で物事を考えられるようになると、煩悩は亡くなってきます。
世界的な大不況に飲み込まれた今、多くの人が目の前のことしか見えなくなっています。目の前にマネーというパンがひとつある。それを大勢の人間が奪い合っている状況のように、私には見えます。いわば、人間のむき出しの欲望やエゴが渦巻く低次元の争いの世界です。
こんな時代だからこそ、視点を高く上昇させましょう。「自分が死んでも世界は続く」 ――。これは、時間方向に視野を上昇させた4次元の世界の思考です。 ・・・(中略)・・・。
その先の5次元の世界とは、時空をひとつ越えた、空間も時間も無限に広がる抽象度を上げた世界です。そこには煩悩は存在せず、自分の子供をいとおしいと思うように、全世界の子供を愛せる世界です。 ・・・(中略)・・・。
一目ぼれのテクニックは、本来ならば5次元人にこそ、使う資格があるものといえるでしょう。(p.4-5)
苫米地さんの著作すべては、「高い視点から見る(≒抽象度を上げる)」という概念をもとに記述されている。だからこの概念をおろそかにするのはよくない。タイトルに惹かれて邪な思いでこの本を手にしたような人々は、まえがきに書かれてきるこの記述を安易に読みとばしてしまうのだろう。世界的な大不況に飲み込まれた今、多くの人が目の前のことしか見えなくなっています。目の前にマネーというパンがひとつある。それを大勢の人間が奪い合っている状況のように、私には見えます。いわば、人間のむき出しの欲望やエゴが渦巻く低次元の争いの世界です。
こんな時代だからこそ、視点を高く上昇させましょう。「自分が死んでも世界は続く」 ――。これは、時間方向に視野を上昇させた4次元の世界の思考です。 ・・・(中略)・・・。
その先の5次元の世界とは、時空をひとつ越えた、空間も時間も無限に広がる抽象度を上げた世界です。そこには煩悩は存在せず、自分の子供をいとおしいと思うように、全世界の子供を愛せる世界です。 ・・・(中略)・・・。
一目ぼれのテクニックは、本来ならば5次元人にこそ、使う資格があるものといえるでしょう。(p.4-5)
この著作の終盤に「一目ぼれのテクニック」がコンパクトに書かれているから、これを書き出すことは容易だけれど、チャンちゃんはあえて書き出さない。著者の意を汲んで、著作全体を正しく読みとる意志のある人だけが活用すべきであると思うからである。
【REM睡眠と海馬の関係】
それと、海馬や松果体といった脳幹中枢に介入する方法に古神道が伝えている「日拝法」がある。朝の太陽光がもたらす効果を古神道は知っていた。(下記からリンクを3つ辿って下さい)
《参照》 『行き先は5次元』 船井幸雄 (ヒカルランド) 《前編》
【直感力の受信器官である松果体の強化について】
独居老人は家を閉め切ったまま太陽光に触れなくなり、眼球の動きが低下してゆくけれど、朝日を浴びて、眼球を動かす訓練を習慣づけるなら脳幹全体を活性化させるのだから、アルツハイマーは予防できて改善さえするはずである。
レム睡眠時には、その日の出来事と過去の記憶との整合性を合わせるせるために、海馬が記憶を整理しているといわれています。
なぜ海馬が記憶の整理をすると、眼球が動くのか。眼球をコントロールする神経が、脳の前頭前野や視床下部、特に海馬につながっている神経束の真横を通っているためといわれています。海馬が睡眠時に情報処理を行っていると、眼球を制御する運動神経にも電流が流れてしまう。そのため、眼球がつい動いてしまうのです。
この眼球運動に注目して開発されたのが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)やトラウマ治療として知られる心理療法の「EMDR」です。(p.70)
眼球がレム睡眠を模した動きをすることによって、視神経が電流を流すので、海馬が記憶の整理を始めます。つまり、海馬の情報処理に強制的に介入し、トラウマ記憶を薄れさせようとした試みです。(p.71)
密教や山伏(ルーツは古神道)の修行をしたことのある人々は、手で格子の形を描きながら、口で「臨・兵・闘・者・・・・」と唱えながら行う「九字」という行法を知っている。この行法自体は対霊界作法としての牢獄づくりみたいなものであるけれど、行者自身の鍛錬法としてみれば、重要なのは「目で手の動きを追う」ことなのである。つまり、「九字」の行法は、言霊の効果を組み合わせて海馬に強制介入する方法として昔から活用されていたのである。なぜ海馬が記憶の整理をすると、眼球が動くのか。眼球をコントロールする神経が、脳の前頭前野や視床下部、特に海馬につながっている神経束の真横を通っているためといわれています。海馬が睡眠時に情報処理を行っていると、眼球を制御する運動神経にも電流が流れてしまう。そのため、眼球がつい動いてしまうのです。
この眼球運動に注目して開発されたのが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)やトラウマ治療として知られる心理療法の「EMDR」です。(p.70)
眼球がレム睡眠を模した動きをすることによって、視神経が電流を流すので、海馬が記憶の整理を始めます。つまり、海馬の情報処理に強制的に介入し、トラウマ記憶を薄れさせようとした試みです。(p.71)
それと、海馬や松果体といった脳幹中枢に介入する方法に古神道が伝えている「日拝法」がある。朝の太陽光がもたらす効果を古神道は知っていた。(下記からリンクを3つ辿って下さい)
《参照》 『行き先は5次元』 船井幸雄 (ヒカルランド) 《前編》
【直感力の受信器官である松果体の強化について】
独居老人は家を閉め切ったまま太陽光に触れなくなり、眼球の動きが低下してゆくけれど、朝日を浴びて、眼球を動かす訓練を習慣づけるなら脳幹全体を活性化させるのだから、アルツハイマーは予防できて改善さえするはずである。
【共食の適否】
しかし、抽象度の高い4次元へ5次元へと人間を飛翔させるのは、A10神経を媒介としたパルスが新皮質脳に及ぶからなのである。
《参照》 『いい女は、セックスしない』 石崎正浩 なあぷる
【人間を人間たらしめるもの】
とうに飢餓の時代を脱した国に住んでいながら、「興味があるのは食事だけ」というのであるなら、先進国に生まれてきた意味などないだろう。単なるブタと何ら変わりはしない。
食事は、人間のホメオスタシス(恒常性維持機能)のための手段です。ホメオスタシスの中でもバイタルなものは、あたり前ですが臨場感がとても強い。そのため、共有することによって、親密度は否が応でも増していきます。(p.46)
いわゆる「同じ釜の飯を食う」ことのメリットが書かれている。食事はバイタル(生存に関わって必要不可欠)なものであるからこそ親密感は増すけれど、生存という最も基底の機能に支配されているものであるから、著者は、上記に続いて以下のように記述している。
ただ、そこで仲よくなる人たちというのは、私にいわせれば抽象度の低い人たちです。あまり役に立たない人たちともいえるでしょう。
経験上、一緒に食事をして仲よくなる人は、仕事の上では使えない人が多いように思います。お酒で仲良くなる人も、これは同じでしょう。
もちろん、男女であっても、抽象度が高い関係を求めるのであれば食事は使えません。(p.46-47)
エッチと食事がペアのように語られるのは、食欲も性欲も人間の本能レベルの欲求であるが故に、脳幹の中枢付近で両者のパルスが相互に影響しやすいからなのだろう。経験上、一緒に食事をして仲よくなる人は、仕事の上では使えない人が多いように思います。お酒で仲良くなる人も、これは同じでしょう。
もちろん、男女であっても、抽象度が高い関係を求めるのであれば食事は使えません。(p.46-47)
しかし、抽象度の高い4次元へ5次元へと人間を飛翔させるのは、A10神経を媒介としたパルスが新皮質脳に及ぶからなのである。
《参照》 『いい女は、セックスしない』 石崎正浩 なあぷる
【人間を人間たらしめるもの】
とうに飢餓の時代を脱した国に住んでいながら、「興味があるのは食事だけ」というのであるなら、先進国に生まれてきた意味などないだろう。単なるブタと何ら変わりはしない。
【少食を心がけ、有酸素運動を遠ざける】
《参照》 『人間の四つの気質』 ルドルフ・シュタイナー (風濤社) 《後編》
【菜食:身体の主人になる】
《参照》 『行き先は5次元』 船井幸雄 (ヒカルランド) 《後編》
【食べ物のことばかり心配している人へ】
食事に贅を尽くすこと焦がれているような極めて抽象度の低い人って、畢竟するに苫米地さんの読者としては不適格であるし、そもそもからして、地球全体に関わるこの時代状況を生きてゆくに相応しい人間としての適性にはなはだしく欠けているだろう。
仙人やヨガの行者が長生きなのは、酸素と栄養を極端に摂らないからです。空気の薄い山の上で霞を食べるような生活こそ、理想の健康法といえるのではないでしょうか。
プロスポーツ選手は、これと逆のことをやっています。有酸素運動をたくさんこなし、栄養をたくさん摂る。その結果、一見健康そうに見えますが、身体も心も病んでいる人がたくさんいます。 ・・・(中略)・・・。
健康体を維持するという観点からいえば、余分な酸素を取り入れず、余分な栄養を取り入れないことです。
この2大ルールを守れば、身体は圧倒的に健康になります。身体が圧倒的に健康になれば、心も自然に健康になっていきます。心身といっても、身体の健康こそが基本となるのです。(p.90-91)
少食、菜食、不食は、霊学的見地から言っても重要なポイントである。プロスポーツ選手は、これと逆のことをやっています。有酸素運動をたくさんこなし、栄養をたくさん摂る。その結果、一見健康そうに見えますが、身体も心も病んでいる人がたくさんいます。 ・・・(中略)・・・。
健康体を維持するという観点からいえば、余分な酸素を取り入れず、余分な栄養を取り入れないことです。
この2大ルールを守れば、身体は圧倒的に健康になります。身体が圧倒的に健康になれば、心も自然に健康になっていきます。心身といっても、身体の健康こそが基本となるのです。(p.90-91)
《参照》 『人間の四つの気質』 ルドルフ・シュタイナー (風濤社) 《後編》
【菜食:身体の主人になる】
《参照》 『行き先は5次元』 船井幸雄 (ヒカルランド) 《後編》
【食べ物のことばかり心配している人へ】
味覚とは、もともとは食べ物に含まれる毒の有無を判断するための器官です。・・・(中略)・・・。身の回りの食品に害がないとわかっているのならば、味覚はすでに不必要な器官といえるのではないでしょうか。おいしい食事のために、移動に何時間もかけてレストランに行くことなど、私には有限の生を無駄に消費する行為としか思えません。(p.92)
まったく。食事に贅を尽くすこと焦がれているような極めて抽象度の低い人って、畢竟するに苫米地さんの読者としては不適格であるし、そもそもからして、地球全体に関わるこの時代状況を生きてゆくに相応しい人間としての適性にはなはだしく欠けているだろう。
<了>