
古書店の105円コーナーで珍しい写真集を見つけた。写真に短い文章が添えられ、ところどころに当時流行った唄の歌詞が掲載されている。
【1950 レッドパージ】
別れを惜しんで涙を流している少女達の写真に添えられている記述。
《参照》 『楽しい読書生活』 渡部昇一 ビジネス社 《後編》
別れを惜しんで涙を流している少女達の写真に添えられている記述。
いったいどこの親が言い漏らすのか。
あの先生は共産党員だと、生徒の間でも囁かれた。
そして、ある時、その先生はいなくなった。 (p.14)
子供達の純粋な涙とは無縁の世界で繰り広げられていた大人たちの権力闘争の話を書くのもヤボな気もするけれど、レッドパージは揺り戻しである。戦争遂行側にいた右側の人々が敗戦後まもなく「公職追放令」によって失脚し、代わって権力を握ったのが左側の共産党系の人々。そして暫くしてその揺り戻しとして起こったのがレッドパージ(赤色<共産党の色>追放)である。あの先生は共産党員だと、生徒の間でも囁かれた。
そして、ある時、その先生はいなくなった。 (p.14)
《参照》 『楽しい読書生活』 渡部昇一 ビジネス社 《後編》
【反日教育の出発点】
【1952 民主主義】
「戦後民主主義」という言葉を頻繁に目にしたのは、大学生になって大江健三郎の『同時代論集』を読んだ時のみである。仏文学者の大江健三郎は、ユマニスト(英語ならヒューマニスト)の立場で民主主義を擁護した人だろう。政治的に右寄りな人々から指弾されていた(る?)けれど、純粋に文学者の評論として読んでいたチャンちゃんは、「それってちょっと筋が違うんじゃないかなぁ」と昔から思っていたものである。
《参照》 『心ゆさぶる平和へのメッセージ』 村上春樹 (ゴマブックス)
「民主主義」という言葉は、僕たちの年代では、身近な言葉だった。
生徒会委員を選ぶ時も、兄弟でおやつを分ける時も、合い言葉はいつも「民主主義」だった。(p.15)
著者は60歳くらいの方なのだろうか? チャンちゃんたちの世代では、もう「民主主義」なんていう言葉を刷り込まれることはなかった。生徒会委員を選ぶ時も、兄弟でおやつを分ける時も、合い言葉はいつも「民主主義」だった。(p.15)
「戦後民主主義」という言葉を頻繁に目にしたのは、大学生になって大江健三郎の『同時代論集』を読んだ時のみである。仏文学者の大江健三郎は、ユマニスト(英語ならヒューマニスト)の立場で民主主義を擁護した人だろう。政治的に右寄りな人々から指弾されていた(る?)けれど、純粋に文学者の評論として読んでいたチャンちゃんは、「それってちょっと筋が違うんじゃないかなぁ」と昔から思っていたものである。
《参照》 『心ゆさぶる平和へのメッセージ』 村上春樹 (ゴマブックス)
【大江健三郎の 『同時代論集』 】
【野球】
自分一人で庭のデコボコした大きな石にぶつけて帰ってくる球を捕るトレーニングしていたチャンちゃんは、しばしば家の大きなガラスを割った。そのたびにお父さんからゲンコツ一発を代償として受け取っていたのだけれど、不思議と禁止令が出ることはなかった。だから5枚くらい割った。
野球といえば狭い路地での三角ベース。
打った球は近所の家によく入った。
ゲームの進行よりも塀を乗り越えての球捜しに、より時間を費やしたような気がする。
それにしても大人たちは、子供のすることに鷹揚だった。 (p.54)
そう、ほんとうに鷹揚だった。今時だったら、「危ない」とか何とか言いながら、口うるさいおばさんが止めさせてしまうんじゃないだろうか。打った球は近所の家によく入った。
ゲームの進行よりも塀を乗り越えての球捜しに、より時間を費やしたような気がする。
それにしても大人たちは、子供のすることに鷹揚だった。 (p.54)
自分一人で庭のデコボコした大きな石にぶつけて帰ってくる球を捕るトレーニングしていたチャンちゃんは、しばしば家の大きなガラスを割った。そのたびにお父さんからゲンコツ一発を代償として受け取っていたのだけれど、不思議と禁止令が出ることはなかった。だから5枚くらい割った。
【遊び場】
落語や茶道では当たり前に用いられている「見立て」だけれど、物がなかった時代の子供たちは、遊びの段階ですでに「見立て」を会得していたんだろう。現代の子供たちは、豊富なグラフィックに囲まれて受け身だけのイマジネーション世界に住んでいるのかもしれない。日本文化の基礎教育のために、落語家など伝統芸能を継承している方々に、『扇子を用いた「見立て」方』という訪問授業をしてもらえばいいんじゃないだろうか、なんて思ったりする。
《参照》 『 時宗・狂言 “日本の心” を求めて 』 高橋克彦・和泉元彌 徳間書店
雨さえ降っていなければ、友だちとは必ず外で会っていた。
子供の遊びはたいがい「見立て」から始まる。
「ここがお家」と言えば、目に見えない確固たる空間が存在する。
「ここは壁」と言えば、そこを通り抜けることはできない。
そうしたイマジネーションが感性を育てていった。(p.59)
日本文化の神秘性は「見立て」によっている。子供の遊びはたいがい「見立て」から始まる。
「ここがお家」と言えば、目に見えない確固たる空間が存在する。
「ここは壁」と言えば、そこを通り抜けることはできない。
そうしたイマジネーションが感性を育てていった。(p.59)
落語や茶道では当たり前に用いられている「見立て」だけれど、物がなかった時代の子供たちは、遊びの段階ですでに「見立て」を会得していたんだろう。現代の子供たちは、豊富なグラフィックに囲まれて受け身だけのイマジネーション世界に住んでいるのかもしれない。日本文化の基礎教育のために、落語家など伝統芸能を継承している方々に、『扇子を用いた「見立て」方』という訪問授業をしてもらえばいいんじゃないだろうか、なんて思ったりする。
《参照》 『 時宗・狂言 “日本の心” を求めて 』 高橋克彦・和泉元彌 徳間書店
【観立て(みたて)】~【これが日本文化に通底するもの】
【1960 旅行】
三等車なんてあった!?
旅行の時なんていつだって家族全員同じ車両だった。格付けは、家の中でお父さんの座る場所が決まっていたから、そこには座っちゃいけないと思っていたことくらいである。
父が主催する絵の会の旅行に、何の弾みか連れて行ってもらった。
でも、八歳の僕だけは三等車に座らされて、父たちは一等車。
昼、食堂車で合流し、食後はまた別の席に戻る。
あの到着するまでの、ひとりぼっちの緊張感。
当時では珍しくない、親子の間の歴然とした格付け。(p.90)
ふたつビックリである。でも、八歳の僕だけは三等車に座らされて、父たちは一等車。
昼、食堂車で合流し、食後はまた別の席に戻る。
あの到着するまでの、ひとりぼっちの緊張感。
当時では珍しくない、親子の間の歴然とした格付け。(p.90)
三等車なんてあった!?
旅行の時なんていつだって家族全員同じ車両だった。格付けは、家の中でお父さんの座る場所が決まっていたから、そこには座っちゃいけないと思っていたことくらいである。
【サンドイッチマン】
ところで、この記述を読んでサンドイッチマンの意味が分からない。ウィキペディアによると、
サンドイッチといえば、漫画「ブロンディー」に描かれる夫ダグウッドの大好物。
アメリカの豊かさが、その絵を通して子供心にも伝わってきた。
そして鶴田浩二が歌う「街のサンドイッチマン」
“泣いちゃいけない男だよ”と日本の貧しさが滲み出ていた。(p.98)
「ポパイ」のホウレンソウなら知ってるけど、「ダグウッド」のサンドイッチなんて知らない。アメリカの豊かさが、その絵を通して子供心にも伝わってきた。
そして鶴田浩二が歌う「街のサンドイッチマン」
“泣いちゃいけない男だよ”と日本の貧しさが滲み出ていた。(p.98)
ところで、この記述を読んでサンドイッチマンの意味が分からない。ウィキペディアによると、
サンドイッチマン(sandwich man)とは、広告宣伝手法の一つで、人の胴の前面と背中の両方に宣伝用の看板を取り付け、町中にたたずみ、あるいは歩行する広告手法、およびその看板を取り付けられた人のことをいう。
だったら近年都内でも、新規開店する店舗の前でチンドン屋さんを見ることがあるけれど、彼らはたいてい背中に看板をしょってるから、片サンドイッチマンである。
<了>