
1990年初版の書籍。この時代のエクセレントな企業ならホンダかと思いきや、この本に書かれているのは横河電機である。工業用の計測機器などを扱っている会社なので、一般人にはそれほど知名度のない会社であるけれど、興味深い記述がみられる。
【GEとの提携】
「われわれは横河電機をパートナーとして選ぶことに決定した」
という知らせがGEから届いたのは、それからしばらくしてからのことだった。(p.11)
パートナー契約が成立したのは1976年。これによって1982年に設立した合弁企業名は、YMS:横河メディカル・システムである。GEの会長であるジャック・ウェルチさんの言葉。
という知らせがGEから届いたのは、それからしばらくしてからのことだった。(p.11)
「私は、メディカル分野に進出するについても、対応が迅速で、動きが早く、小回りがきく、オーナー企業が相応しいという条件を出したわけだ。
具体的な作業はドクター・ロブが指揮をしてやってきたので、私は直接はタッチしていない。しかし、彼らが横河電機を推奨してきたことは、間違っていなかった。おかげで私は横河正三という無二の親友を得た。彼とはどんな難しいことでも数分話せば、理解しあえる。ぼくと彼はそういう間柄だ」 (p.25)
具体的な作業はドクター・ロブが指揮をしてやってきたので、私は直接はタッチしていない。しかし、彼らが横河電機を推奨してきたことは、間違っていなかった。おかげで私は横河正三という無二の親友を得た。彼とはどんな難しいことでも数分話せば、理解しあえる。ぼくと彼はそういう間柄だ」 (p.25)
【エクセレント・グローバリゼーション】
そして、ウェルチさんは、こうも語っている。
基礎技術のアメリカ、実用技術の日本という分類が相応しいけれど、今日の日本の基礎技術が旧来のままであるわけはないし、実用技術はさらに突出しているはずである。しかし、持ち株比率50:50で始まったYMSも、GEの販売チャンネルのウエイトを考慮して、GE:横河=75:25に変更されたと書かれている。
そして、ウェルチさんは、こうも語っている。
「基礎研究や基礎技術の開発、あるいは高度技術、大型製品についてはGEの力が勝っている。しかし、基礎技術を応用して、より小型のもの、より大衆的なもの、よりデザインの良い設計のものをつくる技術は日本にはかなわない。MYSはGEの基礎技術を元にしながら、すでにそうした独自の製品を開発、製作し、逆にGEにそれらの製品を提供するようになった。YMSの製品はGEの販売のチャンネルを通じて世界に販売されている。これは、われわれの合弁事業が完全に成功したことを物語っており、YMSがそこまで発展したことを物語るものである。」 (p.26)
エクセレント・グローバリゼーションの具体的な実例が、これなのであろう。基礎技術のアメリカ、実用技術の日本という分類が相応しいけれど、今日の日本の基礎技術が旧来のままであるわけはないし、実用技術はさらに突出しているはずである。しかし、持ち株比率50:50で始まったYMSも、GEの販売チャンネルのウエイトを考慮して、GE:横河=75:25に変更されたと書かれている。
【YHP:横河ヒューレットパッカード】
アメリカの最大手企業であるGEがパートナーとするからには、それなりの実績があっての故。GEは、横河電機がHPと提携したビジネス(YHP:横河ヒューレットパッカード)の成功例を綿密に調査した上で、パートナーとする決定を下していた。
アメリカの最大手企業であるGEがパートナーとするからには、それなりの実績があっての故。GEは、横河電機がHPと提携したビジネス(YHP:横河ヒューレットパッカード)の成功例を綿密に調査した上で、パートナーとする決定を下していた。
HPの副社長が、アメリカの新聞記者の取材に対して、こう言っています。
――― HPがここまで大きくなったのは、海外、特に日本市場における発展によるものであるが、その最大の功労者は横河電機である。 ―――
それはそうでしょう。横河電機と組む以前、日本におけるHPの売上は全部で1億円あったかどうか、というところ。それが今では1400億円。(p.46)
横河電機って、誰であれ何人であれ相手を幸せにしてしまうアゲマン企業。――― HPがここまで大きくなったのは、海外、特に日本市場における発展によるものであるが、その最大の功労者は横河電機である。 ―――
それはそうでしょう。横河電機と組む以前、日本におけるHPの売上は全部で1億円あったかどうか、というところ。それが今では1400億円。(p.46)
というより、アメリカ経済を底支えしてきた底力企業という感じ。
【横河電機がHPと提携した理由】
計測機器メーカーの横河電機は、軍需産業を母体として生まれていた高周波技術が、将来的に必ず必要になるという考えから、合弁相手を探していた。対象としては、GR(ジェネラル・ラジオ)社とHP社があった。
《参照》 『日本IBM』 竹中誉 経済界
【本当に優れた経営理念は、国や文化を超える普遍性を持っている】
計測機器メーカーの横河電機は、軍需産業を母体として生まれていた高周波技術が、将来的に必ず必要になるという考えから、合弁相手を探していた。対象としては、GR(ジェネラル・ラジオ)社とHP社があった。
「当時はGRの方が大きかったんですよ。だけど、将来伸びるのはHPのほうじゃないかと思った。会社の経営のあり方というか、勢いが全然違うわけです。それにアメリカの企業の中では珍しく社員を大切にして、首切りもやらないとか、長期的にものを見るとか、われわれの風土と似ているような気がしたんだね」 (p.47)
アメリカ企業の中にも基本的な経営理念の中に、日本的経営に類似した内容を有する企業は結構いくつもある。このHP以外に、IBMなどもそれに該当するであろう。《参照》 『日本IBM』 竹中誉 経済界
【本当に優れた経営理念は、国や文化を超える普遍性を持っている】
まだ初期の頃、HPにも仕事が充分なくて、経営が困難に陥ったことがある。・・・中略・・・。仕事のないぶんは、互いに休日を増やし、仕事を分け合った。今日、エクセレント・カンパニーといわれて隆々とした経営を誇っているHPの古い社員たちは、全員はこういう体験を共有しているのである。(p.59)
【合弁の危機を支えたもの】
重要なポストには全部人を派遣して、いわば日米双方2人制のような形をとって、どんな小さなことでも双方が相談しながらやるようにした。おかげで経費は倍かかるわけですよ。しかし、長期的に成功させようと思えば、ここをきちんとしておくのが大切だと覚悟をした。・・・中略・・・。
せっかくの合弁事業も、これでダメになるんじゃないかと思ったことが何度もあったからねェ。そのとき、私を支えてくれたのは、やはりショーゾーという男の人間性だった。あの男なら信義にもとるようなことはしまい、という信頼でしたよ。(p.61)
国が違えば当然のことながら文化は異なり様々な困難を惹起する。そんな中にあっても、最後の支柱となるもは、リーダー同士の人間的信頼関係のようだ。せっかくの合弁事業も、これでダメになるんじゃないかと思ったことが何度もあったからねェ。そのとき、私を支えてくれたのは、やはりショーゾーという男の人間性だった。あの男なら信義にもとるようなことはしまい、という信頼でしたよ。(p.61)
【デミング賞】
工業界で高い価値を有する、品質管理・生産管理に優れた企業に与えられる賞である。
工業界で高い価値を有する、品質管理・生産管理に優れた企業に与えられる賞である。
GEのジャック・ウェルチ会長が、このNYPSを実施しているYMS(横河メディカルシステム)の工場を視察して 「GEの3倍も効率がいい」 と驚嘆し、さっそくGEにもNYPSを導入した。・・・中略・・・。
YHP(横河ヒューレットパッカード)にもその影響は伝わり、TQC活動とあいまってYHPの生産性も大きく向上し、注目を浴びていた。・・・中略・・・。1982年に、YHPが 「デミング賞」 を受賞するという幸運が重なった。(p.66-67)
NYPS: ニュー横河(①プロダクション②プロダクティビティ③プロフィット④プロスペリティ)システム。YHP(横河ヒューレットパッカード)にもその影響は伝わり、TQC活動とあいまってYHPの生産性も大きく向上し、注目を浴びていた。・・・中略・・・。1982年に、YHPが 「デミング賞」 を受賞するという幸運が重なった。(p.66-67)
【中国への貢献】
中国がいわゆる 「開放政策」 に転換した(1974年の後半)ことが明らかになって以来、西安儀表廠には「工場を見たい」といって訪ねてくる外国人も、少しずつではあったがいたという。
「しかし、たいていは西安からシルクロードに観光に来たついでに、ちょっと工場を見ておこうか、といった程度で、観光をとりやめて本格的に合作の話をし、そういう目的で本格的に工場を視察したのは横河先生が初めての外国人だった」 (p.78)
横河電気が西安儀表廠と提携した大きな目的の1つは、西安儀表廠が横河電気の技術を理解し、それを自分のものとして蓄積することにあった。その役割は若い人々が担うべきでものであるが、果たしてそれにふさわしい教育環境が整っているかどうか。・・・中略・・・。
横河電気が西安交通大学に 「計測工学科」 の新設を提案したのは1979年暮れのことだった。 (p.97)
横河正三さんは、母校の慶応大学と西安交通大学を仲介し、計測工学科の発展のために、人、物、金を惜しみなくつぎこんできたことが記述されている。
「しかし、たいていは西安からシルクロードに観光に来たついでに、ちょっと工場を見ておこうか、といった程度で、観光をとりやめて本格的に合作の話をし、そういう目的で本格的に工場を視察したのは横河先生が初めての外国人だった」 (p.78)
横河電気が西安儀表廠と提携した大きな目的の1つは、西安儀表廠が横河電気の技術を理解し、それを自分のものとして蓄積することにあった。その役割は若い人々が担うべきでものであるが、果たしてそれにふさわしい教育環境が整っているかどうか。・・・中略・・・。
横河電気が西安交通大学に 「計測工学科」 の新設を提案したのは1979年暮れのことだった。 (p.97)
横河正三と接する機会が比較的多かったという李人厚教授は、
「横河正三先生は、企業家でありながら、教育、人材の育成を非常に重視され、大きな関心を寄せておられる。いかに長い目でものを見ておられるかということだ。こういく企業家は、国際的にもおそらく非常に少ない1人ではないだろうか」 (p.101)
横河先生の提案のもとに創設された計測工学科は、これまでに400名を越す卒業生を世に送り出し、50名を超える修士課程の人材を育て、そして5名の博士を誕生させました。(p.102)
この本は20年前の書籍である。西安交通大学・計測工学科から巣立った数多くの人材が、今日の中国の工業技術の底辺を力強く支えていることだろう。 「横河正三先生は、企業家でありながら、教育、人材の育成を非常に重視され、大きな関心を寄せておられる。いかに長い目でものを見ておられるかということだ。こういく企業家は、国際的にもおそらく非常に少ない1人ではないだろうか」 (p.101)
横河先生の提案のもとに創設された計測工学科は、これまでに400名を越す卒業生を世に送り出し、50名を超える修士課程の人材を育て、そして5名の博士を誕生させました。(p.102)
《後編》 へ