《前編》 より

 

 

【SYC:蘇州横河電表有限公司】
 SYCは、西安儀表廠、蘇州晶体元件廠、横河電機、三者による合弁企業である。
 もとはといえば、西安儀表廠を発展させるために、優れた外国の機器を購入する外貨を獲得するための方法として、横河正三が編み出した方法である。(p.105)
 SYCは1988年に開業し、翌年には外貨獲得第一位の企業になったという。
 しかし、合弁が整う途上、中国内部の関係各方面の利害対立が原因で、誰もがもう見込はないと思っていた時ですら、ただ一人横河正三社長だけが、これはなんとしてでも実現しなくてはならないのだと頑張っていたという。
 (横河)先生は 『SYCの社員は必ず蘇州の良き市民でなくてはいけない』 と話された。(p.116)
 そして、高価なCTスキャナーを、蘇州市の病院に寄付したという。
 中国における横河正三さんの営為は、明らかに商業ベースの発想外と思われるような一方的ギブ&ギブのように思われる。その後、蘇州に日本企業が数多く集積することができた原因は、横河正三さんのこういった気高い行為にあったのであろう。

 

 

【シンガポールから中国へ】
 蘇州のメーター工場は、シンガポールから移されてきた。・・・中略・・・。それ(SYCの開業)をさかのぼること13年前。1975年、横河電機は初めての海外生産拠点としてシンガポールにメーター工場を設立した。(p.121)
 シンガポールで生産したメーターをGEに売り込みにいったら、逆にGEのメーター部門を横河電機が買い受けることになった(1983年)という経緯も書かれている。
 シンガポールも経済発展し採算に合わなくなってきた頃、横河さんはリー・クアンユー首相に直接会って、その趣旨を話し、中国を祖国とするリー・クアンユー首相から感謝の言葉と固い握手を受けたという。
 こうして、1988年、メーターの生産はシンガポールから中国・蘇州へと移され、代わって、シンガポールではエンジニアリングの会社である 「ヨコカワ・エンジニアリング・オブ・エイシア」 を設立しデジタル制御システムなど、より高度で付加価値の高い事業が行われることになったのです。(p.135)
 中国とシンガポール、両国発展のための万全の事業シフトである。

 

 

【フェアなフォックスボロ社】
 フォックスボロが工業計器において戦前から世界的に優れた評価を得ていた・・・(p.145)
 工業計器類は、石油や鉄鋼などの大規模なプラントには欠かせない製品であり、戦後の日本がアメリカから技術移転を受けた各種のプラントにはフォックスボロ社のPA(プロセス・オートメーション)を可能にする計器類が装備されていたため、横河電機の社員はアメリカへ企業研修に行き学びながらその技術を習得してきたという経緯があった。顧客がフォックスボロ社に直接行くと、フォックスボロの担当者からこう言われたという。
 フォックスボロはすべての技術を横河に移転した。したがって、横河電機の品質についてはフォックスボロが全面的に保証する。・・・中略・・・。だから、われわれからではなく、横河電機から買っていただきたい----と。(p.162)
 その後、フォックスボロ社はエレクトロニクス時代への対応が遅れ、経営難に陥っていた。この様な状況に対し、横河電機が恩に報いるべく様々な申し入れをしたのにもかかわらず、英国のシービー社に買収されるという結果になってしまった。
 横河会長は、GEとも、HPとも、ジョンソンとも、シンガポールとも、中国とも、オランダとも、みんなうまくいっているのに、世話になったフォックスボロのことだけが心残りだといつもいっておられる。(p.162)

 

 

【ヨコカワ・ヨーロッパ】
 分析計の品質に秀でたエロクトロファクトというオランダの会社は、400人の社員を100人にまで減らすほどの経営難に陥っていた。1982年にエロクトロファクトを買収した横河電機社長の横河正三さんが乗り込んできた時、経営不信に陥っていた現地の社員は全員身構えていたという。
 「自分は、絶対に従業員の解雇はしない。一人たりともしない。これは固く約束する。
 製品についても、エロクトロファクトは優れた分析計をもっているのだから、プライドを持って、ぜひ、これをつくり続け、再びかつてのような評価を受けるように頑張っていただきたい」 (p.170)
 あっけにとられて聞いていたらしい。それでも信用できずに、社員達は 「ウソ」 だと思っていたと書かれている。
 横河電機側は、彼らがプライドと自信を回復するまで、新製品の生産はあえて要求せず、彼らが自ら言いだすまで、我慢を続けたという。そのような忍耐の成果があって、1990年に社名をヨコカワ・ヨーロッパに変更した時にも、さしたる問題は生じなかったという。

 

 

【ヨコカワ・イタリア】
 ヨコカワ・ヨーロッパの子会社で、ミラノに拠点を置いているヨコカワ・イタリアの社長の言。
 日本流だというけれども、助けあったり、仲良くしたり、他人を思いやったり、人を大切にしたり、というようなことは、やってみれば、誰だっていいはずだ。それが日本流だというなら、日本流は世界に通用するということなのじゃないかね。(p.180)
 あたり前である。

 

 

【北辰電機と横河電機の合併】
 1982年のこと。合併とはいえ、対等合併ではなく吸収合併という方が相応しい程の実力差があったらしい。
 合併に際し、横河正三が幹部たちにくれぐれもいい渡したことがあった。と美川はいう。
「絶対、威張ってはいかん。神経を使い過ぎるくらい、謙虚に、控え目に、腰を低くしろ」 ということだった。(p.194)
 謙虚であるということよりは、常に相手のプライドを第一に尊重するということなのだろう。エレクトロファクトの時と同様である。

 

 

【南十字星章】
 1973年にブラジル現地法人 YBR(ヨコカワ・エレクトリカ・ド・ブラジル) を設立し工業計器の国産化をスタートさせた。しかし、ブラジル政府は1982年に国内企業育成のために外国企業による製造販売を禁じた。
 横河電機は・・・中略・・・、ただちにブラジルの 「ECIL(エシル)社」 に記録計と調節計の技術移転を行い、横河電機製品の現地会社による製造に手を貸した。
 また、2年後の1984年には 「ECIL P&D社」 により高度なデジタル工業システム計器を技術移転。しかもブラジル側が十分に技術を習得し、ブラジル製の製品が質的に向上するように、横河電機から多数の技術者がブラジルに派遣され、技術指導にあたった。(p.215)
 横河氏の、こうした一企業の利害を超越したブラジルへの貢献に対して、「南十字星章」 が贈られたという。
 この章の受章は、土光敏夫さんと横河正三さんの二人だけだという。それで思い出したのだけれど、「進出先の国々では、徹底して相手国のために貢献すべきだ」 と土光さんが言っていたのを読んだ記憶が思い出される。横河正三さんのシンガポールや中国やブラジルへの進出方法は、まったくもってその通りである。
 ビジネス書を読んで、胸が熱くなることなどそうはないけいけれど、この書籍にはめったにない内容が記述されている。

 

 

【横河民輔氏】
 横河正三氏の父、横河民輔氏は、日本橋三越本店などの設計を手がけた日本の西洋建築黎明期の著名な建築家なのだという。
 また、横河民輔は中国の陶磁器の蒐集家としても知られ、現在、東京上野の国立博物館に所蔵されている、国宝を含めた横河コレクション1000余点は民輔の寄贈になるものである。
 寄贈のとき、民輔は子どもたちを集め、「子孫に美田を残さず、公に資するのが、おまえたちのためである」 と教訓を残して、値段のつけようもないといわれたほどのコレクションを惜しげもなく寄贈したという。横河正三の上にも、この父親の影響が大きく投影していると、彼を知る人々はいう。(p.211)
 横河正三氏の名前は、大正三年生まれに由来している。この本は20年前に出版された書籍であり、正三氏はすでに故人である。
 現在の横河電機が、どのような社風の企業になっているのかは分からないけれど、正三氏の様な、社徳を積み重ねることに秀でた経営者が率いた会社は、そう容易に経営が傾くことはないはず。
 素晴らしいとしか言いようのない企業家の存在を知って、感動しつつ、その人生を羨んでしまう。
 まさに、 『エクセレント・グローバリゼーション』 を成し遂げた方。
 
 
<了>
 
 

  上之郷利昭・著の読書記録

     『エクセレント・グローバリゼーション』

     『「強い日本」のルーツは最澄にあり』