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【長い前書き】
 もろ抹香臭いタイトルですけど読みました。草柳さんの本は、何故か大学生の頃、大和書房の“お嬢さん△□○”シリーズを買って読んでいたのです。今も赤い背表紙の文庫本が20冊近く私の実家の本棚に並んでいます。それらの本を読んでいた私には、草柳さんは「礼儀作法に厳しいおじ様」みたいな印象があります。草柳さんや永六輔さんみたいな人々は、古き良き日本を知っているがために、その時代の美意識を若者に伝えたく、頑張っておられるのだと思います。
 ここ数年、下駄から巾着袋まで一式5千円程度で買える中国製の浴衣が若者向けの衣料品店で売られているからでしょう、浴衣を着ている若い女性が増えました。各地で花火大会の行われていた8月はその最盛期でした。浴衣という安価な着物から入って、次第に日本女性の内面に向かう気持ちが生じることがあるのならば、そんな若い女性達にとって、草柳さんは良き日本文化の語り部なのではないかと思います。
 例えば「掛け衣」がどんなんで、それが日本女性にとってどんな意味があったのかを知ったら・・・少しは大和撫子に近づけるかも。(草柳大蔵 『花のある人、花になる人』 グラフ社の中に書いてありました)

 とはいえ、この標題の本は、お嬢さん向けに書かれた本ではありません。お嬢さん向けの箇所は p.79 から数頁でしょうか。それ以外は社会的・宗教的な草柳さんの一連の思索がそのままつづられています。語られている素材が多いので楽しく読めます。草柳さんはそもそもジャーナリストですし、人生80年くらいの大ベテランですから博識ですし教養が深いのです。語られている素材に興味を持ちすぎてしまうと、思索の筋が何だったのか分らなくなってしまう程です。


【印象的だったところ】
 私は14章の、“なぜ日本の仏像は「無相」になったのか”に引き込まれてしまいました。このヘッドラインだけで、日本文化の深さを予感するのに十分です。
 そのほかに13章で、折口信夫の『死者の書』や『山越の・・』のことが、日本人の死生観に与えた意味の大きい「日想観」に言及されて紹介されていました。現在の私達の社会ほど視覚的に多様な文物に囲まれていなかった中世の人々にとって、瞑想の行法である「**観」というのは大きな影響力を持っていたに違いないからです。なので書店にこの書籍を買いに行きました。
 しかしです、『死者の書』は、おそらく戦前に書かれた当時の日本語なのでしょうか、古代の日本語の雰囲気を出すためでしょうか、現代語しかできない私には分りづらいのです。読み通しはしたのですが、グシャーって感じです。泉鏡花の 『高野聖』 を読んだ時も意味の分からない昔の日本語表現にたくさん出会って、怪しげなあるいは幽玄なる雰囲気をいまいち感じ取ることができなかったことを思い出していました。これらの本は、いつかリトライしてみようかと・・・。


【草柳さんの憂い】
 「今の日本人について言えば、一種の拝金主義が躍り出てきて、いわば金というヤットコを使って、共生に必要な自制心というタガをこじあけてしまったようである」 (p.82)
 草柳さんは、こう憂えつつも、そうなってきた日本社会のことを粘り強く思索しています。
 私は、草柳さんの思索対象になっていないところから、憂いを払拭するものが顕れ出ているように感じています。破壊と創造は常に裏表だからです。 

 

<了>

 

  草柳大蔵著の読書記録

     『絶筆 日本人への遺言』

     『「日本らしさ」の新段階』

     『継続は力なり』

     『あなたの「死にがい」は何ですか?』

     『これが私のお経です』