貴方を生かしているジャッジの力 | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

スピリチュアル界には、ある病的な観念が蔓延している。
代表的なものがこれだ。
「マイナスの存在や現象にフォーカスしてはならない。マイナスに意識を向けると、そのマイナスが現実化してしまう」

そんな事実はない。
仮にそんな現象が生じるとするなら、単に「囚われてしまった」という事だ。
物事を観察する際に大事なことは、プラスとマイナスの全てを観ること。
相対界では必ず二面性が生じるが、どちらも分け隔てなく見てゆくことである。

しかし、マイナスにフォーカスする人の中には、そのマイナスのみに気を取られ、プラス面を見落としてしまう人がいる。
意識が外側に外れ、自由度が無くなり、観照の目を失ってしまう。
そんな意識状態では当然そのマイナスが実現する場合もあるだろう。

霊能者の世界では「悪霊に憑依される」というエピソードがよく語られるが、上のケースは「マイナスの事象に憑依された状態」である。

意識の力を徒らに万能視し、「貴方の現実は全て貴方の意識が作っている」という似非スピでも、マイナスに意識を向けるな…という教えが説かれている。
それが事実なら、防犯も防災も成り立たないことになる。

普通の人は外出する際に家の戸締りをするはずだ。
玄関の扉に施錠するわけである。
防犯上、極めて大切なことだろう。

しかし、脳内お花畑のスピラーは面白いことを言う。
「私は家の戸締りをしません。でも今まで一度も泥棒に入られたことはありません」

治安の良い日本なら、そういうケースもあるかもしれない。
だが世界に目を向ければ、日本とは比較にならないほど治安の悪い国・地域もある。
たった一晩で何人もの死者が出る町もあるのだ。

脳内お花畑な人は一度そういう国の危険区域に住んでみればよい。
防犯を一切せず、「マイナスな事には意識を向けない」という信念を貫けばよい。
まあ、結果は目に見えているけどね。

防災も同じことだ。
熊本地震では崩れたブロック塀の下敷きになり、命を落とした少女がいた。
ニュース画像を見て驚いた。そのブロック塀は鉄筋ではなかった。ブロックとブロックをモルタルで接着させていただけだった。
防災のことなど全く考えていなかった証拠である。

阪神・淡路大震災も地方自治体・地域住民・企業の防災意識の低さによって徒らに被害が拡大した。
あれほどの巨大地震が襲ってくれば大きな被害が出るのは避けられないが、人災の要素も少なからずあった。
防災をしっかりしていれば助かるはずの命もあったと言える。

倒れやすいタンスや本棚のすぐ隣で寝ていたため、圧死した人が何人もいた。
建物も耐震補強をしていれば倒壊せずに済んだ建物もあったはずだ。

防災や防犯は、言わばマイナスの事象に意識をフォーカスすることであり、我々の命を守るためにも絶対必要なことである。
現実を見ないスピリチュアルは何の存在価値もないし、命を危険にさらす。
悪質カルトも同然である。


最近スピリチュアル界ではサイキック・プロテクションの重要性がよく唱えられるようになってきた。
だが私に言わせれば、気付くのが遅すぎる。
40年近い歴史を誇る老舗の某スピリチュアル団体は創業時からサイキックプロテクションの重要性を説き、具体的なメソッドを伝授していた。

サイキック・プロテクションには様々なテクニックがある。
結界法(バリアー、シールド)が代表的だろう。
他にもエーテルコードを切断する方法や、侵入した邪気や邪霊を排出する方法など多種多様なメソッドがある。

ところが一部の脳内お花畑スピリチュアルでは、サイキックプロテクション自体を認めていない。
とある女性スピ指導者は、「私は結界を張りません。だって分離だから。笑」と能天気に語っていた。
この人はワンネス観をベースとした指導をしていた。
だが私は「きっと真のワンネス体験をしていない人だろう」と直観した。

ワンネスに目覚めれば目覚めるほど個人個人の違いを受け入れることが出来るようになる。
私は私。
貴方は貴方。
それぞれの個性を認められるようになる。

自分を守るサイキックプロテクションは、真に自分を愛し、大切にするが故に、他人を守る事にもつながる。

だが、例の女性スピラーは全く分かっていなかった。自分を大切にすることと他人を大切にすることが別物だと思い込んでいた。
典型的な分離・分裂思考である。
それにも関わらず、ワンネスの世界観を説いていた。哀れ至極。

非二元・ノンデュアリティ系のスピリチュアルでも同様の勘違いをしている者は多い。
「邪気の相手をするな」
「真気・邪気を分ける基準などない。すべて同一のエネルギーだ」


この世で生きる上でそんな根源論が何の役に立つのか?
だが非二元スピリチュアルではあらゆる二元的な分類を排斥してしまう。

スピリチュアル界では、高次元のヒーリングエネルギーや高次元の存在からのメッセージ等が流行しているが、非二元スピでは高次元・低次元という区別そのものが無い。
真気も邪気もない。

ある意味、それは真実なのだが、しょせん根源論である。我々は二元の世界で生きているが故に、根源論は役立たない。
貴方は「悟りごっこ」をするために生まれてきたのではない。

「邪気を相手にするな」と説く者だって、お風呂やシャワーなどで垢を落とし、フケを洗い流すだろう。

スピリチュアルにも様々な種類がある。
だがどんなタイプのスピであろうと、現実世界で生きることからは逃れられない。

生きるためには二元の物差しが必要だし、ジャッジを欠かすことは出来ない。
その一つが免疫機能である。
害をなす細菌やウイルスが体内に侵入すれば、免疫系が反応し、「こいつは敵だ」とジャッジし、駆逐しようとする。

この免疫力のお陰で今まで生きてこれたのである。
敵か味方かを判別できなければ、すぐ死に絶えてしまう。
その事を全く自覚できない脳内お花畑スピラーは「私はジャッジしません」などとノージャッジ主義を掲げるわけだ。
そして他人にもそれを勧める。

プロのスピ指導者の場合、正規の有料プログラムの中にもノージャッジの教義を組み込んでいる。
もはや無知を通り越して悪質と言えよう。


生きる…とは選択の連続だ。
必要か不必要か。
好きか嫌いか。
真気か邪気か。
様々な価値基準に基づいて選択している。

貴方の目の前に2つの料理がある。
Aの皿の料理はとても美味しく、栄養価も高い。
Bの皿はとても不味く、しかも毒薬が仕込まれてあった。

貴方はどちらの皿を選びますか?
美味しい料理が好きだったり、健康的な料理が好きならば、Aの皿を選ぶだろう。
逆に自死願望のある人はBの皿を選ぶかもしれない。

いずれにしても、その人の価値基準に基づいて判断(ジャッジ)し、選んだのである。
悟りすました顔をして、偉そうに根源論を唱えても、この世では二元の基準が最優先される。

エンライト@太古の道先案内人