適応 | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

 連日、最高気温が30度半ばの日が続いている。

 夜間も冷房がなければ眠れないぐらいだが、運動時の暑さには慣れていても、今度は就寝時の冷房に慣れていないため、熟睡できない。


  疲労感を使って無理やり熟睡するために、仕事のあと、夕方になってから、裏の公園を軽くジョギングする。


  ありえないぐらいの汗をかくのはいいのだが、今度はその排出された二酸化炭素に引き寄せられるのであろう虫たちが、しきりに肌にくっついてくる。


  なので虫たちが留まれないくらいのスピードを出し続けなくてはならず、暑さも厳しいが、心拍数の上がり方も苦しい。


  フラフラになったところで、お風呂に入り、その後に手作り梅シロップに炭酸水と氷を入れて、一気に飲む瞬間が至福だ。


  快楽の度合いは、その前の苦しさに比例して大きくなる。

  

  部屋を暗くして布団に入ったら、秒で意識を失うが、今度は夜間に虫刺されの痒みで目が覚めた。


  最近一緒に仕事をしている職場の若者もうちの娘も、社会不適合者を自称しながら、それでもなんだか逞しい。


  職場の子は、私を操るのが上手いし(笑)、娘はその負のエネルギーを創作意欲に繋げて、動画を作り、プチバズりして承認欲求を満たしている。


  彼女たちは自分のことをメンタルが弱い、メンヘラだと言うが、私からしたら、強いと思えるのだった。


  私の方こそ、メンタルが弱いから、肉体の強化でそれを補おうとしている。


  人を押しのけて、傷つけて、疲弊して、コントロールして、搾取して、社会は成り立っているのだから、そこに適応できないことの方が本当は普通なのだ。


  自然の法則を無視したシステム社会から、心理的にも体感的にも距離を置く方法を知っているのなら、それでよし。


  彼氏の家族とか、職場の上司とか、自分とは違う常識を押し付けてくる人のことは、動物と捉えてよし。


  動物と思うことは、別に差別とか軽蔑とかではなくて、自分とはまったく違う尺度で生きている同じ生き物である、と思うことだった。


  猫や犬に、自分をわかってもらおうと期待するか?

  でも、猫や犬の気持ちはわかりたいと思う。

  まったく違う生き物だからこそ、ほんの少しだけの共感の瞬間に愛おしさだって生まれる。


  昨日、不意に開けた窓から、デカい虫が入ってきた。

  いつものように無視しようとするも、なんとも羽音がうるさくて、駆逐せざるをえず、ハエたたきを右手に持った。


  その瞬間。

  彼(彼?)は、私の右肩にすっと、留まり、しばしそこを動かなくなった。


  それまで気持ち悪くうるさいだけだったその虫は、私の肩で羽根を休めるオカメインコのぴー様と同等になった。


  手にしたハエたたきを私はそっと床に下ろす。

  ごめんな。外に帰れよ。

  私は、肩に乗ったまま微動だにしない彼と共に玄関を出て、そっと払った。


  彼は一瞬、地面に叩きつけられた形になってしまったが、すぐに夜空に飛び立った。

  バイバイ!

  元気でね!



  この連日の暑さを利用して、梅を干す。

  いつもはたいして干さずに梅漬けのまま保管していたが、しっかり太陽の元に晒すと、彼らはしっとり柔らかく、ふっくらと仕上がりつつある。


  あの虫は、殺されることを察知して、私にしがみついたのか。

  梅は、人間の暑気払いになることによって、種を拡散するのか。


  無意識に誰もが適応しようとしている。

  でも、そこに拒絶が生まれるのなら、自然の循環からかけ離れている合図なんじゃないか?


  死ななきゃ、いくないっすか?

と、職場の若者は言う。

  しかし広義には、死すらも悪ではない。

  自らの死を自分の意志で選ぶことが、自然の循環に反しているのだと、ただ思う。