赤ちゃん連れフォトグラファーのAzusaです。
ご覧いただきありがとうございます。
投稿二回目は自己紹介②として
「公務員を辞め、極貧の浪人生活へ」
について書きたいと思います。
自己紹介① 「母子家庭で育った幼少期から、高卒で公務員として働き退職を決意するまで」はこちら。
三年間勤めた公務員を辞める決意をした私が
まずしたことは、予備校探し でした。
当時の私は
まだインターネットという情報ツールを使える環境にいなかったので、
かつて浪人していた同級生から情報を集め、
理系に強いという評判だった大手予備校を選びました。
予備校の目星が付いたところで、
お世話になった周りの方々にも
報告していったのですが、
反応は軒並み否定的なもので、
第一声は「もったいない!」。
しかし、既に私の将来像は
公務員ではなくなっていました。
「受かってから辞めても良いのでは?」
というアドバイスもあったものの、
これまでの三年間、
仕事で理不尽な思いもしながらも、
どこかでまだ夢を諦めたくないという思いをずっと持ちながらも、
そしてやろうと思えば使える時間がたっぷりあったにも関わらず、
何も行動できなかった 。
ここはきっぱり辞めて、
背水の陣で臨むしかない。
三年間の間に貯められた額は
決して多くはなかったこと、
そして
だらだらと続けても
おそらく結果は出ないだろうと考え、
期間は一年間、
と決めました。
そして、
とうとう
上司にもそのことを伝える日がきました。
もっと働きたい
という私の要望に耳を貸し、
女性の私にも
他の男性同僚たちと同じように
チャンスを与えてくれた上司。
その上司のおかげで
私の公務員人生は
それまでと全く違うものになった。
最後までその上司は
私の意見を尊重し、
快く私の背中を押してくれました 。
課の忘年会で行ったカラオケで、
その上司が私に向けて歌ってくれた
”乾杯”が今でも忘れられません。
こうして公務員を辞め、
四月から
浪人生としての新生活をスタート させました。
さあ、これから一年間、
死に物狂いで勉強するぞ
と意気込み、
予備校通いも始まって、
長年の夢に向かって動き出したことに
胸が高鳴っていた矢先。
右脇腹に激痛が走り、
七転八倒。
辛うじて
近所に住んでいた元同期に電話をして、
病院に運んでもらい、
盲腸との診断で
緊急手術。
一週間近くの入院を余儀なくされ、
見事に出鼻を挫かれます。
しかし、
この時の入院体験が、
”こんなところで遅れを取る訳にはいかない”
という焦りや不安に、
病棟の看護師さんたちは寄り添い、
ベッドの上で受験勉強する私を応援してくれました。
私の中で
看護師という職業に対する印象が変わった瞬間でした。
無事退院し、
再び浪人生活に戻ります。
朝に予備校に行き、
授業を受け、
授業の後はひたすら自習室にこもって
夜まで勉強をします。
同じように毎日遅くまで
自習室で勉強をしている
上のクラスの男の子を
勝手にライバルに仕立て、
彼より早くは帰らないぞ
と別のところに闘志を燃やしたりしていました。
このように浪人生活は
一日の生活を自己統制する自分自身との闘い
やりくりとの闘いでもありました。
三年間の貯金には、
予備校代と毎月の家賃以外の
余裕はほぼありません。
予備校帰りは
最寄り駅前にあるスーパーに
閉店間際に立ち寄って、
半額になった惣菜を買い、
母が月一度
大量に差し入れてくれる
お米やレトルト食品などで
食い繋いでいました。
それでも空腹の時は、
アパートの目の前にあった
大家さんの畑から
大根を引っこ抜いて
お風呂場で泥とナメクジを洗い流し、
醤油で煮て、
ありがたくいただいていました。
あっという間に冬になり、
受験シーズンを迎えます。
センター試験の結果では、
医学部はかなり厳しいライン。
ただし、
志望校の看護学科であれば、
まだ可能性はある。
チャンスは一度のみ。
医学部か、看護学科か。
決断を迫られます。
自己紹介③「運命の合格発表、そして22歳の大学一年生へ」に続きます。
