小石川後楽園のお隣にある日中友好会館美術館では、
現在、“心惹かれるチャイナドレス”が開催されています。
チャイナ服の研究者にして世界屈指の収集家、
謝黎(しゃ れい)さんのチャイナドレスコレクションから、
1900~1940年代の代表的なドレスを展示・紹介するものです。
チャイナドレスのルーツとなるのは、
清王朝における満州民族の着用していた“旗袍”です。
“袍”は、騎馬遊牧民が着用する丈の長い筒袖の長衣(ワンピース)のこと。
チャイナドレスの裾に深いスリットがあるのは、
決して脚線美をセクシーアピールするためではなく、
馬に乗りやすいという実用的な理由からだったのです。
ところで。
満州民族の民族衣装であった旗袍を、
なぜ漢民族の女性たちが着用するようになったのでしょうか。
実は20世紀の初頭まで、漢民族の女性は、
伝統的に上下が分かれた服を着ていました。
逆に、男性の方が上下一体型の服を着ていたのです。
チャイナドレスの歴史が大きく動くのが、1912年のこと。
この年に、中華民国が成立します。
封建社会から民主共和国家へ。
近代化の過程で、西洋の文化や価値観が流入したことで、
「女性解放」や「男女平等」の思想も広がり、女性教育も普及します。
さらに、女性の社会進出も進みました。
その流れの中で、男女平等を掲げた女性たちが、
着用したのが、男性の衣服を連想させる上下一体型の旗袍。
チャイナドレスの原型とされる「新型旗袍」です。
ちなみに。
新型旗袍は伝統を無視した常識外れの奇妙なデザインとして、
保守的な男性や新聞雑誌などのメディアから“奇想異服”とディスられたとか。
いつの時代にもどの国にも、ヤフコメ民みたいなヤツはいるのですね。
なお、ちょうど同じころに中国で広がったのが、天足運動。
女性の足を縛って小さくする“纏足”を廃止し、
自然な足(=天足)に戻そう、という運動です。
会場では、纏足用の靴も紹介されていました。
参考のために、ものさしが添えられていましたが、
せっかくであれば、目盛りを靴のほうに向けたほうが良かったような(笑)
・・・・・さて、話をチャイナドレスに戻しまして。
1920年代後半に入ると、
上海は西洋文化を積極的に取り入れることで、
街には、百貨店やダンスホール、映画館が次々に建ち並び、
会社員や学生らモダンガールと呼ばれる新しい女性たちが現れました。
そのライフスタイルの変化が、女性のファッションにも変化をもたらせます。
西洋の立体裁断法を取り入れ、身体の曲線を強調したドレスへ。
それが、海派チャイナドレスです(海派の“海”は、上海の“海”)。
シルエットを強調したシンプルなデザインながらも、
襟元やボタンなどには、最大限のオシャレが込められていました。
印象的なチャイナドレスは多々ありましたが、
個人的にもっとも心惹かれたのは、真っ白なチャイナドレス。
これほどまでに現代的なチャイナドレスもあるのですね。
さらに1940年代になると、レースやウール、化学繊維といった、
新しい素材が海外からもたらされたことで、多種多様なチャイナドレスが作られました。
以後、戦時期になるまで、チャイナドレスは黄金期を迎えることとなるのです。
展示されていた中には、ファスナーを使用したものや、
ゴールドラッシュをモチーフにしたアメリカンな柄のものなど、
斬新なチャイナドレスも多々ありました。
とりわけ印象的だったのは、
1930年代後半から40年代前半にかけて、
大ブームを巻き起こしたという香雲紗のチャイナドレスです。
香雲紗(こううんしゃ)とは、漢方薬で染めた薄い絹。
この生地はそもそも、夏服用で、
男性や年配の女性たちがよく使っていたのだそう。
その激シブな素材に目を付けたのが、
当時のファッションリーダーであった上海の高級娼婦たち。
あえて男物の香雲紗のチャイナドレスを着ることで、逆に女性らしさを強調したのだそうです。
(↑女性が男物のワイシャツを着るとセクシー的な?)
ただ綺麗なチャイナドレスが並んでいるだけの展覧会かと思いきや、
中国の文化や女性の歩みを知ることができる学びの多い展覧会でした。
日本でモダンガールが台頭したように、
同時期に、中国でも女性たちが社会進出をしていた。
そのことに親近感のようなものを抱きました。
チャイナドレスを通じて、日本と中国の友好が深まったような気がします。














