荻外荘行ってみたらホントはこんなとこだった⁉ | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

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築地本願寺や大倉集古館の設計で知られる建築家、伊東忠太。

英語の「architechture」を「建築」と訳した“日本近代建築の父”です。

その忠太が荻窪に設計した邸宅が、

一昨年より公開されていると知って、足を運んできました。

善福寺川北岸の高台にあるこの邸宅の名は、荻外荘(てきがいそう)

かつてこの邸宅の一室で、昭和史を決する重大な会談が行われたそうです。

 

荻外荘公園の日本家屋と庭園

 

 

●公園の入り口に表札が掲げられていた

 

2024年に、荻外荘のある一角は、

杉並区立の荻外荘公園としてオープンしました。

荻窪駅から歩くこと10分強。

住宅街の中にある公園に到着すると、そこにあったのは・・・

 

荻外荘公園の門と緑豊かな庭園

 

 

公園の入り口というよりも、完全に人の家の入り口でした。

しかも、ご丁寧に表札まで掲げられています。

 

 

 

一瞬、入ってよいものか躊躇してしまいました。

当時の雰囲気を残すのも大事ですが、

もう少し公園感(?)を出してほしいものです。

 

なお、表札にあるように、ここはもともと、

三度にわたり総理大臣を務めた近衛文麿の邸宅でした。

いや、正しくは、大正天皇の侍医頭を務めた入沢達吉の別邸でしたが、

この建物と周囲の環境をえらく気に入った近衛が、口説き落として購入したのだそうです。

 

ちなみに。

入沢の別邸時は「楓荻荘(ふうてきそう)」と呼ばれたそう。

近衞の後見人であった西園寺公望によって、

「荻外荘」という呼び名に改められたのだそうです。

 

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●近衛文麿のあとにあの人物も住んでいた

 

廊下に何気なく飾られた2枚の写真パネル。

 

 

左の人物は、この家の主・近衛文麿です。

そして、右の人物は、吉田茂です。

吉田は近衛と個人的に仲が良かったようで、

近衛が亡くなった後、荻外荘に一時期住んでいたのだとか。

吉田といえば、旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館本館)に住んでいたことも。

いいところにばかり住んでいますね。

 

ちなみに。

吉田は、近衛が自決した書斎を寝室として使っていたそうです。

事故物件を気にしないタイプなのでしょう。

 

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●伊東忠太はやっぱり妖怪が好きだった

 

伊東忠太といえば、妖怪研究をしたほどの妖怪好き。

築地本願寺や大倉集古館をはじめ、

彼が設計した主な建築には、いたるところに、

妖怪のような生きものの彫刻が施されています。

ただ、さすがに人様が住む家に対して、

自分の趣味を押し付けるわけにはいかなかったのでしょう。

妖怪の姿は鳴りを潜め、普通に素敵な内装となっていました。

 

荻外荘の応接室、龍の天井画と敷瓦

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・・・・・・・と思ったら!

中国風の意匠でまとめられた応接室は、伊東忠太らしさ全開でした。

 

荻外荘の応接室、龍の天井画と敷瓦

 

 

上を見上げると、そこには龍の天井画。

(実際は4枚あります)

 

龍の天井画と敷瓦

 

 

描いたのは、清末民初に活躍した王一亭。

実業家・銀行家として成功を収めた一方、

書画家としての活動でも広く知られている人物です。

さらに、上だけでなく、下にも龍!

 

龍の敷瓦と異国風応接室

 

 

床一面に龍の敷瓦が敷き詰められていました。

応接に龍って・・・。

堅気とは思えない発想です。

 

 

●荻窪会談の客間が完全再現されていた

 

昭和15年。

第二次近衛内閣が組閣される直前、

近衞は大臣に就任予定であった松岡洋右(外相)、

東條英機(陸相)、吉田善吾(海相)の3人を荻外荘に呼びました。

そして、ドイツ・イタリアとの連携を強める方針が決まります。

その結果、やがて日本は太平洋戦争へと突入していくのです。

そんな昭和史を決する重大な会談、

いわゆる「荻窪会談」が行われたのが、こちらの客間。

 

荻外荘の応接室、龍の天井画と敷瓦

 

 

よく見ると、その奥の壁には、

ウミガメと巨大なエビが飾られていました。

実は、これらを含めて、内装や調度品は、

当時の荻窪会談の写真をもとに、完璧に再現されたもの。

テーブルクロスは柄の出方まで同じになるように、

京都の織物工房に依頼し制作されているそうです。

 

ちなみに。

荻外荘内には、荻窪会談が行われたその日の正午に、

日本太鼓工業会から贈られたという太鼓も展示されていました。

 

荻外荘の太鼓:荻窪会談で使われた歴史的太鼓

 

 

荻外荘に集まっている報道陣を集める際、

それまでは、拍子木が使われていたそうですが。

これ以降は、この太鼓に取って代わられたようです。

 

 

●荻外荘公園 展示棟がオープンしていた

 

昨年7月、荻外荘のほど近くに、

荻外荘公園 展示棟がオープンしたようです。

設計したのは、最近何かと話題の隈研吾さん。

たぶんこのルーバーは腐ったりはしないと思います。はい。

 

荻外荘公園の建物と入口

 

 

こちらの施設、1階はショップとカフェになっており、

杉並区内のいくつかの銘店のお菓子が頂けるようです。

2階は、荻窪にゆかりのある文化人や荻窪の歴史などを伝える展示室。

もちろん荻外荘や近衞文麿に関する資料も紹介されていました。

パネルの解説によれば、近衛はラジオの演説で絶大な人気を誇っていたそう。

近衛がラジオ放送をすると、政治に無関心な女性や子供まで、

『近衛さんが演説する』と大騒ぎをしてラジオに聴き入っていたそうな。

新たなメディアを活用して国民的人気を得る。

なんだかどこかの大統領のような話ですね。

こんなご時世だからこそ、荻窪会談を改めて考えて直してみたいと思いました。

 

 

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