の続きです。
登校が不安定なAちゃんの
支えになっていたであろうむーちゃん。
(小学校低学年)
ある朝、私のスマホに
Aちゃんのお母さんから連絡が入ります。
「むーちゃんは学校お休みですか?
今朝はAも登校できそうだったので
待っていたのですが
むーちゃんが来なかったので、登校できていません。」
Aちゃんのお母さんにも事情はありますが
その認識にはびっくりしました![]()
念のためむーちゃんにも聞きましたよ。
「ピンポンしても誰も出なかったから、先に行った」
毎朝のことなので、事実なんて忘れると思います。
むーちゃんには
迎えにいく義務も責任もありません。
この頃になると、こんな気持ちが芽生えました。
なぜいつもうちが迎えに行く側なの?
Aちゃんの家が、我が家と学校の中間なら
こちらが寄るのも理解できるんですよ。
でも、そうではないので。
学校に行く用意ができたら
うちに来たらいいじゃん?
ピンポンされるまで出てこないんじゃなくて
時間になったら出てきて欲しいな。
むーちゃんが欠席したらAちゃんも欠席するの?
今朝の不登校をうちのせいにされたようで
悪いけど、重い。
そんなこともありつつ
次の学年に進級しました![]()
Aちゃんの心の安定のためか
また同じクラスでした。
(私が学年の教員でもそういうクラス分けにします)
担任は変わりましたが、またもいい先生![]()
そして、家庭訪問にて。
担任の先生は
むーちゃんの頑張りを褒めてくれます![]()
しかし私は
毎日のようにAちゃんに配布物を届けるのは負担だと、伝えました。
先生はとても共感してくれました。
以来、Aちゃんへの配布物のお届けは
基本的になくなりました。
自分のしていることは優しくないよね?
そう自問します。
似たようなことは、多々ある気がします。
ーーSNSで読んだ話ですーー
中学時代、車椅子の友人がいた。
毎日4階まで、その友人の移動を手伝っていた。
その子にかける時間の分、
遊べないことも正直あった。
お礼を言って欲しかったわけじゃない。
でも実際、お礼を言われたことは一度もない。
なんとなくその友人から離れていった。
車椅子の生徒から見たら、
きっとまた違った景色がありますよね。
一方
障害者は謝って生きていかなければいけないの?
という議論もあります。
ちなみに
【配布物のお届けについて】
欠席期間に見通しが持てるなら、
毎日届けることに意味があります。
Aちゃんのケースはそこまでの必要はない。
後からなら判断できるのですが…
途切れつつもなんとか登校できている児童。
学校も線引きは難しかったと思います。




