おはようございます
さて、前回の続きです。
今回脱線が多くていつもより、より!なが~いです。
飽き飽きされたら(残念ですが)離脱されてください・・・
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社寺&スピ友の
プルメリアさんとMさんと、ランチの後は六甲山へ向かいました。
まずは電車で移動。
車中、私達三人の「平家繋がり」の妙を発見し、ちょっと盛り上がりました。
さて
電車のってバス乗って、六甲ケーブル乗り場までやってきました~。
旅行みたい!
ランチ後の移動ルートは、
電車→バス→ケーブル→バス・・・なんだか随分遠い所まで来た気分になります。
標高はかなり高いところまできました。
気温が違う、よいお天気になりましたけれど、ちょっと寒いかも?
では移動のお写真載せながら、私が「六甲比命大善神社」さんを
知ったきっかけ(興味ないと思いますがすみません

)と
「六甲比命大善神社」さんの事、
六甲山の事を記させてくださいね。
もう10年以上前になると思います。
当時から氏神さんへの御朔日市詣りくらいは行ってまして、日常と神仏の繋がりについて独自に思うこと考えることがあったりで、神秘的な話は大好きでした。
色々調べている時にふと、六甲比命神社さんの事を知りました。
「六甲比命講」という崇敬団体さんの記事か何かだったと思います。
「行きたい!」と思いましたが、当時はダンナ様は神社仏閣に全く興味がなかったこと、息子が少年野球チームに入っていてお盆とお正月以外は毎週土・日は母として必ずお手伝い&応援に朝から夕方まで行かなくてはいけなかったこと、ダンナ様もコーチとして同じく必ず行かなくてはいけなくて、週末はどこかへ出かける時間の余裕などほぼなかった頃でした。
あの頃は神社仏閣めぐりなど諦めてましたねー
思いがけずプルメリアさんが去年六甲比命大善神社さんへ行った話をされていて、この度「ぜひ連れて行ってくださーい!」と私からお願いしたのでした

ケーブルの中↓
さて六甲比命大善神社さんの事。
御祭神は、
六甲比命大善神(ろっこうひめだいぜんしん)
=(弁財天・吉祥天)
=撞賢木厳魂天疎向津姫(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)
=(瀬織津姫)
と言う事のようで、時代とともに六甲山の山の呼び名が変わるとともに御祭神の呼び名も変わってきた、と言うことだそうです。
なにをどこからどこまでどのように書いたらいいのかちょっと途方に暮れてしまいまして、この記事しばし手が動かずにいたのですが・・・
いまだ頭の中纏まらずのまま記します。
ごめんね・・・

六甲山の名前の由来をまずはチラッと~
六甲山(ろっこうさん)と私達普段呼んでますが、もともとは「向津(むかつ)峰」と呼ばれていたそうで、その後「ムコノ山」、「武庫山」となり、「ムコ」には様々な漢字表記が使用されたことがあるのだけど、江戸時代ごろより「六甲」の漢字が当てられ、明治以降に「ろっこう」の音読みで呼ばれるようになって現在に至る、です。
「六甲」は訓読みで「むかつ」と読めますよね。
もともとの向津峰と言う名称は撞賢木厳魂天疎向津姫(長いので向津姫「むかつひめ」と表記しますね)からきたのだろうと。
または逆説もあり、向津姫の名前から土地の名前が向津峰になったのだろうとも。
六甲比命講さんでは神聖視されている、だけど学術的には偽書とされている「ホツマツタエ」によると、向津姫は瀬織津姫である、と書かれているそうで、なので向津姫=瀬織津姫なのだそうです。
しかし弁財天(吉祥天)が祀られている、とも言われているのですよね。
どちらにしろ六甲比命神社さん、と言うより六甲山は女神様がドーンといらっしゃると私は感じております

六甲山は大きな磐座が多いお山です。
東六甲にある以前私も訪れました越木岩神社さんは、お名前からしてまさに大きな磐座がご神体の神社さん。
そしてここも女神さまの神社さんです。
御影石で有名な「御影」も越木岩神社あたりですしねー。
六甲山ってね、まぁすんごい岩石が多いのはさっきから書いてますけれど、なので、修験者が荒行するかっこうの地形を備えていて天狗とつく名の地名が多いのだそう。
修験道といえば役行者ということで、こちらでも修行をされていたのですね。
ところで六甲山に限らず、日本のお山の多くはわりと近年まで、江戸時代までなのかな、そんなに今みたいに木々に覆われていなかったみたいですね。
ぱっと見た印象が、禿山って感じ?
明治以降?どこの山も植林が進んだのですってね。
だから葛飾北斎さんだったかしら?が描く山って、驚くほど今と違う姿が描かれていることが多いのね。
山=緑、じゃなくて、土色な感じ。
と言う事で六甲山も昔はごつごつした岩山だったみたいで。
だからこそのかっこうの修行場だったといわれると、納得ー。
あ、でも「笹」は、結構いろんな山で昔から生息していたっぽいです。
だってね、役行者さんがいつも連れていた鬼の夫婦、「前鬼」「後鬼」の「前鬼」さんは釜を持っているのだけど、それは役行者さんの行く先にある熊笹などをその鎌で切り開いて道を作る役割をしていた、とのことですもの。
ということで六甲比命神社さんへ行く道中の山道は、今もやっぱり笹が多かったです。
この笹たちはいつからここにいる笹なんだろーなー?

六甲山には大きくて神聖な感じがする岩石だけでなく、滝や川といった水にも富んでいて、海が見える。
そりゃ古代から文明が発達する条件整いまくり。
自然を崇拝する古神道が発達するのも当然ですねー。
六甲山系金鳥山なんかはカタカムナが発見されたところですしね。
縄文時代、それ以前?の文化があったことを匂わせるカタカムナ。
六甲山の文化、深いなぁ、深いのにまだ分からないこといっぱい。
六甲山系にはここ六甲比命神社さんだけでなく、越木岩神社さんもあるし、廣田神社、鷲林寺(じゅうりんじ)、神呪寺(かんのうじ)、六甲山(むこやま)神社、多門寺、保久良神社などなど、それぞれが特筆すべき非常に興味深い謂れなどがある寺社がたくさんあります。
御祭神は同じだったりちょっと違ったりするけれど、全体的に女神さまが多め?
笹が生い茂ってますー↓
多聞寺の奥の院が六甲比命神社を含む磐座だそうですが、その多聞寺は平清盛公が福原を都とした時、六甲山が福原京の鬼門に当たるとして古寺山にある多聞寺を守護寺としました。
で、京都の鞍馬や八瀬の民をこの辺りの唐櫃(からと)と言う地域に移住させ、麓の坂本は門前町となり大いに栄えたのだそうです。
今は木々で視界をさえぎるところが多いですが、それでも時々見える六甲からの海の眺めはすばらしく。
清盛公もここから大きく包み込むような青い空と海と太陽を見て、この世の楽園を感じられただろうなと思います。
昔はこれほど背の高い木々もなかったでしょうからね。
ここぞ都!と思うのも当然でしょう。
1184年の源平合戦においての一の谷合戦の時、平家ゆかりのこの多聞寺は源氏側の道案内要請に応じなかったため、焼き払われたのです・・・
その後源氏の時代はもとより長らく再建は許されなかったのですが、室町時代に再建。
で、こちらのお寺「多聞寺」で盛大に行われる「お塔祭」や唐櫃の村を取り仕切るのは、役行者の命によって奈良県吉野郡天川村洞川からやってきた前鬼&後鬼の子供たちの「四鬼家」が移り住んで唐櫃村と西六甲の山を管理し、同時に六甲修験の山伏達を管理していたのですって。
清盛公、六甲、鞍馬、天川、前鬼・後鬼(役行者ではないのかいっ)・・・
でも前鬼後鬼の子供たち、なんとなく私的には『金峯山寺』のイメージなんだけど、天川村からこられたのね・・・
仰臥岩
向かって右:佛眼上人・熊野権現・花山法皇と刻まれている↓
左:雲ケ岩八大龍王が祀られているとの事。(越木岩神社境内にある六甲山社にそっくりだと思いません?そちらは菊理媛様をお祀りしていますが・・・)
いつもお供え物がちゃんとあるようです。
雲ヶ岩(紫雲賀岩)
法道仙人(インドの仙人?)がこの地で修行中、紫の雲に乗って毘沙門天がこの岩の上に現れたと伝わります。
と、かかれてます

鬼滅の刃に出てくる岩みたい~と思うのは私だけ?
なぜかボケボケですが~
雲ヶ岩に注ぐお天道様の光線が素敵ですね
六甲比命神社
大きな岩のところに小さなお社。
向かって右に大きな磐座。
その磐座がずりずり今も動いていてお社は大丈夫?って心配になります・・・
「ご注意:拝殿横の大岩が少しずつずり落ちて拝殿屋根と接触しています。 個人責任においてお気をつけてお詣りください。」
地震も多い地域ですが一生懸命踏ん張ってくださっているのではないでしょうか。
拝殿の中は誰でも入ってお詣りできます。
私達も入らせていただき、存分にご挨拶させていただきました。
中には書置きの御朱印やお守り、他に様々な授与品やこちらの神様や地域の資料がありました。
ですが神社の方はいらっしゃいません、無人です

ご親切にもお供えのお下がりも置いてくださっていて、「お参りに来られた方にお1つどうぞ」との事です。
私達もありがたく1つづついただきました。
拝殿裏には岩間に小さなお社が祀られています。
とても神聖すぎて、お写真とるのは遠慮しました。
拝殿の中の張り紙のひとつ
「平成28年10月19日比命神社護摩焚き法要後、昼食場所の六甲山の上美術館さわるみゅーじあむで、奇跡が起こりました。 展示作品「平和の詩」女神像の両眼が開眼しました。 女神は、目の中の黒目を決して彫刻していないとのことでした。」
神秘的ですね

そして拝殿の中で、私達は素敵な六甲比命神社のお守りを見つけました。
下記のような御神徳&御利益があるそうです。
これはぜひいただきたいと言う事で、皆でいただいてきました。
改めて神様の前に持って行って、しっかり御神気を入れていただきました
実は・・・
この時、1つ多めに頂いてきました。
ご縁のある方の手に行きますようお願いして、「御神気を入れてください」とお願いしてきました。
びびっときたらどうぞ、「六甲比命神社のお守り希望」でメッセージください。
えっと・・・
六甲比命神社さんのこと、結局ほとんど書いてないじゃないかーと思われるかもですが・・・
ええ、六甲山のこととか周辺の社寺、清盛公のことだけで、肝心の神社のふかーい話しがないことに気がつかれました?
実はですね、拝殿の中にはたーくさんの六甲比命大善神を崇敬する団体である六甲比命講さんの書かれた資料や地元の広報のコピー、この辺りのことがかかれた新聞のコピーなどが置いてあり、ご自由にお取りくださいとなってます。
かなりの量の読み物になりましたが、ざっくり全部読みました。
重複していることは多々ありましたが、興味深い資料です。
が、神社に関して、神様に関しての記述は全てをそのまま言われる通り「そうか」と、しっくりこないことも私的にあったりで・・・
これは読む人がそれぞれに判断することかなぁと思います。
なにせそこを崇敬して心から愛する人が調査すると、どうしても肩入れする部分は出てくるのは当然ですもの。。。
それはすごく分かります。
ホツマツタエ、メノミチ、トノヲシテ、天照大神和魂、オホヒルメムチ、不動明王、如意輪観音、貴船、うさぎ、滝、海・・・えーっと、挙げるとキリがないですけど・・・
そんなこんなの関係性、他にもいろんなこととの関連性を説かれています。
なるほど~、ほぉ~、う~ん、それぞれに思うことは様々です。
ご興味ある方は、いつかぜひ足を運ばれてこちらの資料を手に取り読んで見られてはいかがでしょうか。
さて、やっと終りが見えてきましたよ。
長々とお付き合いありがとうございました。
私の頭の中同様、全然纏まりない神社訪問記ですみません。
そうそう、この日は寒い日でね。
なのに薄着で山へ行ってしまった私は、帰りのケーブルの中で凍え死にそうでした

山を下りた時の心地よい気温、ほっとしました~。
超古代に思い馳せる地、六甲山です。
めちゃくちゃ魅了されてます~~。
長々~