籠神社と天橋立と徐福伝説 | misaのブログ

misaのブログ

遊びに来てくださって ありがとうございます!

「真名井神社」からの続きです。

元伊勢「籠神社」にやって参りました。(10月11日)

photo:01

photo:02


籠神社の極秘伝によると、神道には元初の根源神と言う概念があり、奈良時代以前は一神教だったそうです。

いろいろな神々がいるように見受けられますが、一柱の神さまが多彩な別名を持っておられ、様々な神話でストーリーを形成するために多神教に見えるのだそうです。

籠神社の海部光彦宮司はこれを「多次元同時存在の法則」と呼んでおられます。

神話の神々は同一神であり、最初に出現したのは、天之御中主神という神さまで、原始キリスト教のヤハウェと同じ神さまなんだそうです。

さらに籠神社の本来の社紋は「カゴメ紋」。

正確には「六芒星」の中に太陽と月が描かれています。

photo:03


六芒星とは「ダビデの星」であり、古代ユダヤ人の象徴ですので、籠神社はダビデの星をシンボルとする一神教を伝える日本最古の神社という事になるんだそうです。

おっ、話が難しくなっちゃいましたかね。

photo:04

photo:05


あら、珍しい屋根付きの狛犬さまがいらっしゃいます。

photo:06

photo:07


何でも、この狛犬さまは鎌倉時代に生まれ、あまりの出来のよさに魂が入ってしまったんだそうです。

その為、狛犬さまは夜になると天橋立へと出没しては村の人々を驚かせ、不安におとし入れていたと言います。

その噂を岩見重太郎という剣豪が聞きつけ、夜に待ち伏せして、狛犬さまの前足に斬りつけたんだそうです。

それ以降、狛犬さんはおとなしくなったということです。。

ホンマに脚に傷がありますね。

この狛犬さまは、重要文化財に指定されています。

photo:08


籠神社も、撮影はここまでしか出来ません。

だけど、また読者さまにお土産買って来ましたよん。

photo:09


小さな龍のお守りです。

八大龍王にあやかり、八つ購入しました。

すでにご縁のある方の元へいくつか嫁いで行きましたので、残り三つとなりました。

photo:10


3名の方にプレゼントいたしますので、またこの記事にコメントでご応募くださいね!

〆切は30日までとさせて頂きます。

★★★★★★★★

そして、籠神社のすぐ近くにあるケーブルカーに乗って「傘松公園」に行きました。

天橋立を見るためです。

photo:11


「丹後国風土記」によると。。

「はるか神代のころ、イザナギ命は天の梯子を使って、高天原と地上を行き来していた。

だが、ある時、強烈な風が吹いてきて、天の梯子がぐらぐらと揺らぎ、ついには地上にばったりと倒れてしまった。

これが今日でいう天の橋立である。」とあります。

ところが、この逸話と同じものが「旧約聖書」にあるのです。

ヤコブが旅をしていた時のこと、「すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも神の御使いたちがそれを上がったり下ったりしていた。」(「創世記」第28章12節) 

この「天使の階段」の事は、一般に「ヤコブの梯子」と呼ばれています。

photo:12


股のぞきもやってみましたよ〜!
photo:13


こないに見えまんねん。
photo:14

photo:15

ここでも「かわら投げ」のコーナーが。やりまへんがな。

photo:16


こちらから、「冠島と沓島」が見えるのです。

photo:17


由緒書によれば、「冠島と沓島(くつじま)」は籠神社の海の奥宮であり、籠神社の祭神・彦火明命と市杵嶋姫命が天降って夫婦となった神聖な島として、古代から特別視されているとの事です。

ニギハヤヒと瀬織津姫ですね。

photo:18

photo:19


室町時代に描かれた雪舟「天橋立図」には、本来ならば構図に入らない両島が絵の右下に描き込まれており、これは雪舟が冠島・沓島が特別な島であることを知っていたからだと考えられているようです。

photo:21


また、「籠神社」の近くには「新井崎神社」があり、徐福が祭神として祀られています。

「新大明神口碑記」によると、徐福の来意を不審に思う村長に、徐福が渡来の目的や秦の都咸陽宮のことなどを詳しく語ったと書き残されているそうです。

そう、蓬莱山の不老不死の霊薬を探していたんですよね。

その新井崎の岬に「ハコ岩」と呼ばれる四角い岩があり、地元ではそこが徐福の漂着した場所だと伝えられているのです。

その岩の洞窟に「秦の始皇帝の侍臣、徐福着岸の趾」と言う碑が立てられ、そこから海を望めば「冠島」と「沓島」が見えるのです。

道教の「尸解仙」という考えでは、死に際して沓と冠を残して地上より消滅して仙人になるといいます。

この思想を反映して沓島・冠島の名は付けられたと考えられます。

なお、冠島は別名「常世島」あるいは「竜宮島」とも言われており、死にまつわる聖地であったようです。

最近私は、島に行く事がとても多いのです。何度船に乗ったことか。

なので、島の重要性を思い知らされております。

冠島には海底遺跡もあり、徐福の伝承も残されています。

photo:22


その冠島に降臨したのが「彦火明命」つまり、物部氏の主神ニギハヤヒ。

飛鳥昭雄氏によると、「全国広しと言え、徐福と物部氏が一か所で関わる所はここしかない。」と言います。

元伊勢と称する物部系の籠神社が、徐福と重なっているのです。

つまり、「徐福=彦火明命=ニギハヤヒ命」となり、徐福と物部氏の祖ニギハヤヒが同一人物と推測されると言うのです。

と言うことは、徐福の子孫は秦氏ではなく、徐福の集団こそが物部氏だったことになるのです。

たまたま、龍神レイキの川島伸介さんが、同じ頃「新井崎神社」を訪れていました。

伸介さんのブログ

photo:20

photo:23

伸介さんが撮った両島

その後、私たちはモーターボートに乗り、対岸へ渡りました。

photo:25

photo:26

photo:24

photo:27


速くて楽ちん〜!それに楽しい〜〜!

photo:28

photo:29


しかも、事前に乗ることを予約しておくと、500円になります。安いっ。

photo:30

photo:31


ボートから降りたら、「知恩寺」というお寺があったので入ってみました。

photo:32


そしたら、何と、そこには多宝塔がっ!

photo:33


高野山の「金剛三昧院」にある北条政子が建てた多宝塔とそっくり!

photo:34


何故そこにあるのか分かりませんが、5・9・10・11日と、一週間のうち4日も「多宝塔」と遭遇しました(笑)

「多宝塔の謎解き」。。なんか宿題を課せられたような。。。

まっとにかく、これで3日の仙酔島から始まった9日間の旅のご報告が全て終わりとなります。

長かった〜〜(汗)

最後までおつきあい下さり、ありがとうございました。

各地で一緒に旅をして下さった沢山の方々にも感謝いたします。

ありがとうございました!

photo:35


でも、各地のお土産が、まだ全部出し切れていないので、少しずつ公表していきますね。

お楽しみに〜〜。