夕食は

サバの水煮缶を入れた

根曲がり竹の味噌汁を

頂戴しました。



月曜からも頑張りましょう!


^ ^



職場の同僚さんが毎年採りに行くのが好きで、


分けてくれる根曲がり竹。


数年前に一度だけ


この同僚さんに根曲がり竹採りに連れて行ってもらったことがありますが、


夢中で採っていると熊鈴を鳴らすのを忘れて移動して知らずのうちに自分が危険な状態になっていたり、


自分の背丈よりも長く伸びた笹薮の中を歩くうちに


方向が分からなくなったり同僚さんと逸れたりして不安になったりした記憶があります。


時々、この時期のタケノコ採り遭難のニュースを見ていても、


実体験として


私は根曲がり竹採りで山に入って遭難する理由がよく分かります。


そして


根曲がり竹を採りに行く人たちは


自分たち仲間内の


とっておきの場所を荒らされたくないので


私たちの様な半端な地元民には


根曲がり竹が自生している場所を簡単には教えないのです。



そんな風に


山菜採りやタケノコ採りにも


地元では色々とナワバリやしがらみがあったりするし、


熊さん対策なども必要だったり


採ること自体が命懸けですので、


私は食べる専門で良いかなぁって思っています。



こうやって


採ることそのものの山に入る活動が大好きで、


獲物(成果物)を上から目線?で


知人等にお裾分けするのが好きな人から


(私は自ら求めるのではなくて、相手が「分けてやるよ」という行動に)


私はありがたく頂戴して食べさせていただくことにしています。





週末なのに


朝採れの新鮮な根曲がり竹を自宅まで持参して届けてもらった時に


私が同僚さんの連絡を見ていなくて会えずに


お礼を伝えれなかったのですが、



お袋が玄関で対応して受け取っている時に


次女が帰って来て


根曲がり竹の袋を持って2階のリビングに上がってきました。



スーパーでは


皮を剥いて短く切ったり輪切りにして真空パックに入っている水煮加工パックが売られていますが、


地元で採れたばかりの


「根曲がり竹」は


最高です。




熊が大量に出没していることもあって、


メインエリアの志賀高原は


今年は「全面入山禁止」だそうですが、



正規な許可ルートで入山して採ってきたそうで、


貴重なそれを分けていただき


ありがたいことです。




流れ的に、


お袋にお裾分けしようと


私が一階に根曲がり竹を持って行ったら、


「昨日からご近所にもらった大きなタケノコを一人で食べてるから、タケノコは要らないかな…」と


まさかのお裾分けの断りに


あいました。



お袋としても自分でご近所ネットワークから


私たち子世帯が知らない中で


あれこれもらっているので余裕の様子です。



ではでは!遠慮なく


子世帯のキッチンに根曲がり竹の袋を持ち帰ってきて、


子世帯だけで


今回の「根曲がり竹」を料理に使うことにしました。




サバ缶は末っ子娘が妻からの


お使い司令に従って早速に


近くのスーパーに行って買ってきてくれたので、


「じゃあ日曜に食べよう」


ということになりました。



ところが土曜の夜。


そして夜。



私は


秋祭り祭典実行委員会の


役員懇親会に出かけたら、


そこに 根曲がり竹のタケノコ汁が!



我が家の家族よりも


ひと足先に今シーズン初モノの


タケノコ汁を一人で頂戴しました。



さすが、


お店で作ったタケノコ汁は


味噌ベースのかき卵スープで


具材も豊富で美味しかったです。




今夜は、我が家でも


末っ子娘が買ってきてくれたサバ缶を使った


根曲がり竹(チシマザサ)の


タケノコ汁が


食べれそうな予定です。



季節の食べ物で


初夏への季節の変化を感じる


毎年のシーンです。




オーバワークにならないためと、

途中まで順調に進んで来れているのか?

を確認するために

チェックポイントを設ける。


そして

それを休憩の道しるべにする。

そうすれば

サボらない自分に自分を誘導していける気がします。


最近、

なんだか

上り坂に差し掛かってきた様な気持ちになります。

気づかないうちに


坂が来た感じなのです。





今年も半年が経過しようとしています。


今年の峠というか


今が


頑張りどころなのかもしれません。



自分のパワーメモリや体調や意欲の現状と突き合わせながら、



次の目的地や通過点はどこなのか、


経由地を変えた方が良いのか


通る道を見直した方が良いのかを


考える時だと感じました。






気持ちがあっても心身がついて来ない。


計画通り理想通りにはいかない。






少しハードルを下げて


少しペースを落として


ゆっくりにしても、







継続する方向で


神経を休めさせる期間にします。





石の上にも三年って言いますが、

この歳にもなると

三年も待ってられなかったり、

三年も時間をかけてはいられないなぁと思うことが多くなってきました。


新しいことに取り組んだら

3倍速で密度が濃く集中した時間で取り組んで、

自分と取り組みを振り返って

それ以上に続けるか変えるか止めるか判断したい。


3年かかることを1年で達成しようとしたら

3倍速でやらなければならない。






私と同世代よりも年上の人なら分かると思いますが、

昔、VHSのビデオテープにテレビ番組を録画する時に、

標準モードと3倍速モードというのがありました。


画質を優先したい場合には標準モードで普通に録画すれば良いのですが、

120分のビデオテープカセットに3倍速モードで録画すると、

画像は粗くなりますが

同じビデオテープなのに

360分(6時間)もの長時間録画が出来ました。



あと残り120分しか録画が出来ないビデオテープの様な人生だと分かっているのなら、

老後はゆったり一つずつ高質な理想的な標準モードで

ゆっくり過ごしたい人と、


私の様に

粗くても3倍速で詰め込んで死ぬまで学びに努力したり

3つを同時進行させて密度を濃くして過ごしたい人もいると思います。


若い時から3倍速モードで酷使し続けた命のテープは

いつ切れるか分かりませんが、

私は

いつ自分のテープが切れても良いと思える様に

やれる時にやっておきたい。





自分で「正しい」と信じている戦略が、


相手に「この人といても救われない」と


思わせる不幸を生む。



口が上手くて気が強くて相手を打ち負かす人間が


さらに盛りグセがあって始末が悪い。


相手に壁を作るから


自然に人が離れていく。



間違ったことを言っていないのに


評価されず人が離れていく理由は、


その本人には分からない。



何をしても


勝てればいい!


自分さえ良ければ良い!


だって自分の人生だから!


という考えは


間違ってはいないけれど、


正解でもない。



そんな人物が近くにいたら落ち着かない。


いつ考えや意見が対立して、


そいつに攻撃されたり裏切られたり


やられるか分からない。



私の人生に「論破」は必要ない



私は思う様になりましたし、


合ってるとか間違ってるとか問題の時に、


一応は意見してみて、


明らかに相手が思い込みで間違っている時やネット引用や抽象的な理想論で相手が譲らないならば、


そういう人だと分かったら、


以降は遠ざけて勝手にやってもらえばいいって


思っています。






自慢したり誇るポイントがズレている人は


本当は実力がなかったりして


盛って自己防衛したりして


面倒くさいですものね!



一度、言い合いになった関係の人って、


間違いなく思考や判断基準が


こちらと違うから、


ものの考え方について


お互いに相手の話を聞いて自分の考えと比較しようとする関係性には発展出来ないと思えたなら、



建前で付き合えば十分!


いきなり無視はダメですから。


でも


無視は最終手段で


アリです。


知識不足なら


勉強して差を埋めればいい。



技術不足なら


修行して試練を乗り越えて


差を埋めればいい。



実力不足なら


経験を積めばいい。




でも


価値観の違いは


埋めれない,






反対に、


価値観が似ていて


お互いの価値観に共感したら、


あとは


物理的な差を埋めていけば


相手の期待に応えることが出来るし、


相手を信頼することが出来る。



あるあるですが、


自分に劣等意識や


自分には無い部分や足りないと思っていることがあると、


相手の技術やテクニックや知識に


感嘆して一瞬は尊敬する気持ちが生まれるけれど、


それは信頼が出来る根拠にはならない。



自分を補ってくれそうな相手に出会うと


依存の気持ちで救われた感覚が起こって、


衝撃的な運命の出会い!


みたいな錯覚で


すぐに意気投合した様な勘違いになる。



けれど、


短い時間で


相手の全てというか本性や裏の姿や顔まで知る事は難しい。


だって、


短期なら自分の本性を隠せるから



表面を繕う事は出来る。


深く長い付き合いをしない相手とは


素顔を見せないで過ごすことも出来る。



人間、


いざというときに本性が出る。



毎日、色々な人に支えられて


お世話になる人も多い中で



感謝をしても


尊敬は出来ない人がいます。



人を見る目が無いと、


相手に対して


勝手に信用したり信頼して


頼ったりアテにしても


裏切られることもあるから、


頭が良いとか賢いだけの人とは


単純には


信頼関係が出来ない。



損得勘定や楽な方に向かうのは、


私も含めて人間だから仕方がないですけれど、


価値観が合う人とは


思考の仕方が似てるから


付き合えば付き合うほど


安心が出来る。



思い出したくもない過去の

古傷に触れられるのが嫌です。

でも

今の私も昔の私も

同じ同一人物ですから、

過去は切り離せない。


失敗して

成長する前の自分こことしか知らない過去の友人や同僚は、

ネタとして私の失敗の古傷に触れる。

彼らは

それしか私との過去の関わりしかないし、

その日から私との時間は止まったまま。


だから私の過去を知る昔の旧友や同僚は

私の昔しか知らないので、

成長した今の自分とは対話にならない。


友だちは大切にしたいし

貴重な仲間であるけれど、

今の私を知らない過去の人間関係は

私のこれからの未来には

不要な気がします。


損得勘定が働いて、

過去の人脈を繋いでおきたいだけで連絡している人とは自然に関係が廃れていく。


廃れていく古い人間関係には

こだわらなくて良い。


大切にしたいのは、

縁あって今現在の自分の周りにいる人と、

しばらく会わなくても

元々に価値観の共感というベースがある人!


頻繁に会えなくても

会った時には

お互いの近況アップデートをして、

今現在同士での価値観の一致が感じられると

なんだか嬉しい。


そんな風に

過去から変化し成長した自分自身と価値観が一緒で、

今に至るまでに残っている人間関係だけを大切にして、

反面、

私の過去だけを見て話をする様な古い人間関係に未来の損得を期待して

今後に

わざわざ復活させる必要は無い!

と思える様になった。







成功よりも

失敗から学んだ。


成功すると慢心する。

成功したことで図に乗って失敗する。


自分の過去の失敗経験や劣等意識を

必要以上に念頭に置きながら

縮こまって生活する必要は無いけれど、

失敗で人生が詰んだ思いをしたあの日々を忘れてはいけない。

あの日に

失敗した自分も自分自身!

あの日があったから今の自分がある。


人は忘れる生き物。

人は慣れる生き物。


あの日々の様なドン底の思いをしたことを考えれば、

忘れかけていた謙虚な気持ちや初心が蘇る。


そして

あの日のことを思い出すと、

当たり前の日々の様に過ごして忘れている感謝の気持ちや

日常のありがたみを感じて、

心の中が少しキュッと締め付けられるけれど、

それは

楽を覚えて楽な道に流れようとする気持ちや

傲慢で緩んだ気持ちを

引き締め直すための

アラームみたいなもの。


いつも普通に

いつも同じ目線にいてくれて

声をかけてくれる

身近な人に感謝しながら、

謙虚な姿勢で

過ごし直して生きたい。







アルバイト2日目を終えました。

習うより慣れろ!

とは言いますが、

最低限の情報やルールが分からないまま

仕事をすることになることが多く、

立場として勉強になります。


実は今、

私よりも20歳も歳下の正社員から

仕事を教えてもらう立場なのですが、

その人も異業種の現場技術から転職してきて2年だそうです。


で、感じるのは、

30歳前後になった人でも

人に物を教えれないのか?

ってことです。

教えれない時代なのか?


私だけおかしいのか?

労働契約書コピーの紙一枚以外は

何ももらっていない。

同じ職種で作業したり交代するメンバーが情報共有したり連絡用の大勢のグループLINEはありますが、

あとは放置です。


他の人と話をしたら、

やっぱり

30歳過ぎのその正社員は、

人に物を教えれないのだそうです。

私よりも2ヶ月前にアルバイトで入ったその同僚さんも、

私と同じ目にあって

そのまま今日まで来ているそうです。


私の場合は、分からない事は

こちらから質問して引き出していく。

でも、同僚さんは

大人しいタイプで分からないことがあっても質問しないから、

こちら側が

なにが分かっていないのかも相手に伝わっていない。



私より2カ月前にアルバイトで入ったその同僚さんに

2日目の私がたくさん質問出来て良かったです。



この仕事は、

他の職種のアルバイトさんは同時進行で一緒の場所にいるので助け合ったり情報交換しながら作業を進めることが出来るのですが、

私の職種は基本的には一人でやるので

他の同職種のアルバイトさんと一緒の空間になることがほとんど無くて、

会話する機会も

ほとんど無いらしいんです。

なので

今回に教えてくれたアルバイトの先輩さんにもたくさん分からないことがあって、

私が初日に見習いの時に社員から1時間で口頭で教えてもらった仕事のルールや情報を

反対に先輩アルバイトさんに教えたりしました。





人を育てても教えても評価されない会社

の社員や従業員は、

教えないで放置しますよね。

自分の時間が無駄ですもの。


あとは勝手にやってね

何かあったら聞いてね!

みたいな感じで、

教えないで自分の仕事をしていた方が評価されますもの。

何か無ければ聞けないわけです。

何を聞いて良いのかわからないまま

仕事に突入することばかりです。


中小企業の現場は

もはや

人を育てるどころか最低限を教えることすらも出来ない人しかいないのか。

人手不足なのに

せっかく応募して採用した人に教えないで

当人に辞められる。


働く側も今時は安易に辞めますしね。、

特にこうやって人を大切にしない組織や職場だと、

働く側も辞めやすいですし。


凄い時代になりました。



営業職としての余談です。

不動産業って

取引金額も大きいですし、

土地や建物ってことになると

関わる人も多い。


だから自己防衛や記録って大事。

でも

いちいち全てを脳で対応してアナログでやっていたら

負担が大変です。




仕事に限っての話ですが、

私は禁止されていない限りは

自己防衛のために

会議やミーティングは録音します。


それを聞き直す事は

ほとんどありませんが、

録音のおかげで何度か救われました。


電話も、

業務用の携帯電話は相手と私の通話を録音してくれていて、

通話の後に、録音を残すか残さないか携帯電話が質問してきます。

残しておいた方が良いと思った重要な通話だけ残します。

本当に必要になった時にだけ、音声データでパソコンに取り出して

あとで「電話協議メモ」として文書化して次に何をすれば良いのかを可視化することがあります。

最近はAIが「電話協議メモ」を仕上げてくれるので

時間的に

だいぶ楽になりました。


メモも必ず取りますが、

理解しながら聞くことと相手への相槌や対話をするために、

要点や数字や結論だけに抑えるようになりました。

メモも必ず見返す訳ではなくて、

困った時や確認のために部分的に見返します。

メモでは表現できないものは写真を撮らせてもらいます。

スケジュールの話が出た時には

その場で直ぐにGoogleカレンダーに日時と場所と参加者を仮入力します。

もちろんメモにも簡単に書きます。


習慣にして慣れれば手短に出来る様になりますし、

それを見て

相手も安心すると思います。







今の時代は楽です。

写真や録音した日時は自動的にデータに記録されますし、

ミシン目が付いたレポート用紙のメモの冒頭に

打ち合わせの日時と参加者と業務タイトルや打ち合わせテーマを書いておくと、

あとでGoogleカレンダーを検索すれば

いつの誰との打ち合わせだったか振り返ることができます。


取引先やお客様とのリアル打ち合わせの時は

アナログの手書きメモスタイルですが、

聞くのがメインの会議やセミナーの受け身の場合はスマホやiPadのメモ帳アプリなどを使います。


人は忘れる生き物です。

それを防ぐためには

ひと工夫が必要だと思っています。


その

ひと工夫で

コツコツと大きな差が付きます。


真剣に仕事に向き合っても

成果や報酬に繋がらないこともありますが、

私には

やはり今の様な

田舎の中小企業の不動産営業職が

合っていると思っています。

先日、


県内の遠くの役所へ出かけてきました。


事務員さんは父親の実家がこの街の出身だそうで

幼少期は父方の祖父母の家に来ていたこともあって懐かしがっていました。




道も分かるとのことで、


事務員さんがナビゲーションしてくれました。


午前の現場調査を終えて状況からを把握して、


お昼に腹ごしらえしてから


役所調査に行くことにしました。





もう1人の若手の部下と私は


この街の役所の本舎には初めて訪れました。







役所の玄関のインフォメーションにいた女性職員の方々は、


とても丁寧で親切に声をかけてくださり、


気持ちよく案内していただきました。



ところが


担当部署の窓口で対応した職員の態度は、それとは正反対でした。


何より残念だったのは、インフォメーションの方々が非常に親切だっただけに、その後に訪れた部署の窓口の受付の職員が終始表情が硬く、


仏頂面というか不思議そうな顔つきで対応していたことです。


こちらが要件を伝えると、さらに顔がこわばったように見え、その後、奥から交代で上司が出てきて対応する流れになりました。


その一連のやり取り全体からも、あまり歓迎されていないような空気を感じ、窓口対応との落差があまりにも大きかったことです。


再度、要件を伝えたところ、こちらの話を十分に聞こうとする姿勢が感じられず、結論を急いで


「それはこうでしょ」


と決めつけるような対応が目立ちました。


相談内容を理解しようとするよりも、評価や指導をするような話し方が多く、


「無理だと思います」


といった言葉も淡々と返されました。


私たち3人は、その対応に本当に驚きました。



人の態度は、言葉だけでなく表情や雰囲気にも表れるものです。


今回の対応からは、


「自分の方が正しい」


「自分の方が分かっている」


という前提で話しているような印象を受けました。


世の中には、相手を自分より劣っている存在だとみなして、


「どうせ知らないでしょうけど」


という空気を漂わせながら話す人がいます。


また、相手の能力や判断力を低く見積もり、


「君はまだ分かっていない」


「普通はこうだけどね」


といった上下関係を感じさせる話し方をする人もいます。


今回の対応にも、そのような雰囲気を感じました。


相手の話を聞きながら評価し、自分の方が上であることを示そうとする心理が、態度や言葉の端々ににじんでいるように思えたのです。


もしかすると、その背景にはこちらの専門カテゴリーの質問に対しての保身というか、劣等感や不安を隠すための優越感のアピールがあるのかもしれません。


きっと知識もあり、仕事のできる方なのだと思います。


しかし、こうした言動は相談に来た人の自律性を脅かし、強い不快感や反発を生みます。


約束やアポ無して遠くから来た小さな会社の初見対応ですから、余計に、企業差別の対応をされたなぁって思いました。


(アポ無しで役所に行くと、「アポ無して来ないでください!」って言われるのですが、アポ入れ電話しても対面で会う約束を受け入れてくれないですよね??


だから目的達成できる人物に会えないことも覚悟で、アポ無しで役所に行くのもこちらの営業戦略なのです。


私たち民間会社は時にあえてアポ無しで役所に行って、担当専門部署の職員の対応を試します。


でもそれは職員さんの個人の見解を聞きたいわけではなく、こちらは一般論や規定や都市独自のルールを調べに役所に出かけているので、回答してくれるのは誰でもいいのです。


役所の職員の実力を試すのではなくて、対応を試します。


なので、


「異動して2ヶ月だから分かりません」とかのままでは困ります。


「いま、詳しく分かるものが外出しておりますので、また担当からまたお答えします」ぐらいの対応は、最低限、してもらいたい。)



今回の対応を受け、


その結果、私たちの中では、


この役所全体、さらにはその自治体や街に対するイメージまで一気に悪くなってしまいました。






相手ときちんと向き合い、まず話を聞こうとする姿勢があれば、受ける印象は大きく違ったのではないかと思います。








感じの良さとは、結局のところ、相手を一人の対等な人間として尊重する姿勢から生まれるものなのだと改めて感じました。