教室開設に燃えた夏⑤(最終回) | やさいのほとり

やさいのほとり

40代後半に離婚しました。
元主婦がなんとか再就職して自活。(現在は50代)
涙あり笑いありの再出発日記です^^

ブログはゆる~い駄文かな。(短歌は力入れてます)
多くの方に読んでいただけたら嬉しいです。

なんとか生徒18人が集まりました。


小学校の目の前に、すっかりエリア密着したK文教室があったり、少し足を伸ばせば有名進学塾が軒を連ねたりで、いささか分が悪かったですが、

小学校から徒歩3分というわたしの教室立地も負けていません。


(6月から数人でこぢんまりと始めてはいましたが)

夏休みの1週間前から、18人とともに、本格的に夏期講習をスタートさせました。

学校から近いため、ランドセルを背負った子供たちが、そのまま塾にやって来ます。


塾らしからぬ内装と、威厳の無い先生に、子供たちは初めからリラックスムードです。

近所に突然出現した「びっくりハウス」に入るみたいな好奇心もあったと思います。

「おおー」「こうなってるのかぁ」「先生これは何?」

と、あちこち勝手に覗いています。


子供が直接教室に寄るデメリットは、生徒が同じ時間帯に集中してしまうことです。

折り足テーブル3台と、補助机(布を張った段ボールに、白い合板を乗せただけのもので、

わたしもこれを使っていました)では、足りない状態でした。

でもそこは柔軟な体と心を持った子供たち。

団子みたいにくっついて、ひしめいて、文句ひとつ言わずに座っている姿は、かわいくてかわいくて、

授業中なのに「ちょっと失礼!さあ、みんなこっち向いて~」

と、写真やビデオなんか撮っていました。時々^^。


G研の学習の特徴は、自分のレベル・進度に合わせたプリント方式でした。

事前にテストを受けてもらい、その出来具合を目安に、一人ひとりのプリントを決定します。

だから、1年生が2年生のプリントをする場合もあれば、6年生が4年生のをする場合もあります。

同じ学年でも、その子によって、全員が別々のプリントをするわけで、

「なんだ、お前、まだそんなところやってるのかよー?」

みたいな事態も心配しましたが、そこはみんな良い子ばかりでした。


ただこのプリントのセッティングが、めちゃめちゃ大変でした。

一人あたり、国語4枚、算数4枚・・・授業分

        国語4枚、算数4枚・・・宿題分 (平均)

これの18人分、それぞれのレベルに綿密に合わせたプリントをそろえていると、

いつも決まって夜が明けていました。


働いているのは週に2回の3~4時間ずつでしたし、

この時間帯は楽しくて楽しくて、仕事とは思えない時間でしたが、

陰では長時間労働していました。


子供たちは自分のプリント計8枚を仕上げると、わたしのところに添削に持ってきます。

7割以上は出来るはずのプリントを渡してあるので、子供も「ぜんぜん、わからない」という無力感を持つことはありません。

このプリントじゃ簡単過ぎるかな?と思ったらもっと難しいのを渡しますし、

間違えた部分は、出来るようになるまで教えます。

完全オーダーメイドな学習スタイルなのです。


一人の子に、出来なかった部分を徹底的に教えている間に、

わたしの机の前に3~4人の順番待ちの列が出来てしまうことも珍しいことではありません。

しかし時間制ではなく、プリント仕上げ制なので、わたしも子供たちもゆったりとやっていました。


半分以上が男の子だったこともあり、やんちゃっ子どうしケンカが始まることもありましたが、

わたしの制止でおさまるくらいなのだから、まだまだかわいいものです。


取り込んでくると、どうしても自分の子が後回しになってしまいました。(ここは分け隔てなくするべきでした)

後でフォローするつもりで、なおざりにしたことで、途中で怒って教室を飛び出してしまったこともありました。

わが子もまだまだ幼かったのだから当然です。


「お楽しみ会」も開きましたワインカラオケ打ち上げ花火 (お酒もカラオケも花火もありません)

チーム対抗の室内ゲームを、いくつかやりました。

スポーツ用のジャグに冷たいジュースを詰めて、駄菓子もいっぱい用意しました。

この程度の企画では、今の子供たちを喜ばせるのは難しいかなと心配しましたが、

本来勉強する場所で勉強以外のことをするからワクワクするのでしょうね。

子供たちはとても喜んでくれました。


そうでない時も、教室では、うまい棒やキャンディーやラムネを常備して、しょっちゅう配っていました。

まさに「食べ物で釣る」作戦です。

日頃美味しいものを食べ慣れた子供たちですが、

勉強する場所で配られる食べ物はまた格別なのでしょう。

いつも素朴に喜んでくれました。

(※こういうのを嫌う先生も多いようです。G研のマネージャーさんも、あまり勧めてはいませんでした)



夏期講習限定の生徒も多かったため、夏休みが終わると何人かは抜けてしまいましたが、

その後新たに何人かが入会してくれたため、わたしの教室は16人で安定しました。

しかし経営のほうは、これでも実は赤字でした。

月謝8000円の約半分がロイヤリティー、広告代が相変わらず4万円、家賃光熱費、その他雑費でしたから。

広告代だけでも何とかして欲しいと交渉しましたが、開設初年度はG研の指導どおりにするのが普通のようでした。

3000軒の広告配布を2000軒に縮小する程度の、ささやかな抵抗しかできませんでした(笑)



季節は冬に入り、スキーウェアー姿の子供たちが通って来るようになりました。

教室にはストーブを買い、家からはジャンボツリーを持って行って飾りました。

部屋は雪やら濡れたウェアーやらでベチャベチャになりましたが、

子供たちが通って来る温もりで、幸福感は大きかったです。


ある時、プリントをやり終えて「さようなら」と帰って行ったTくんが、しばらくして戻って来て

「先生大変!ちょっと来て!」と言いました。

「えっ、授業中に何?そんなに急ぎの用事なの?」

と振り返ると、血相も変わっています。

「やだ、何?何事?」

悪い予感に心臓をバクバクさせながら、階下に降りて行くとTくんが言いました。

「先生、これ見て」

見ると、1階の玄関口の横に、クリスマス仕様のかわいい雪だるまが、ちょこんと置かれています。

「え?大変な急ぎの用って、これ?」

ニタニタしながらTくんはうなずきます。見ると、うちの息子と娘もニヤニヤしながら立っています。

「あんたたち~。でも嬉しい♪これを見せたかったのね。

でもTくん、君の演技力って、すご過ぎ!将来は俳優になりなさい」

・・・と、そんな事件もあって、最大の思い出になっています。


1月半ばには夫の転勤が決まり、教室を続けられなくなりました。

教室を閉めるのはあまりに無念と思っていたところ、G研で後任の先生を見つけてくれました。

子供たちと別れる淋しさや、わずかの間でも築いてきた絆のこともありますが、

せっかくG研の学習リズムが身に付いてきた子供たちから、その習慣を奪うのが一番無念でした。

だから、後任の先生が決まったときは、心からホッとしました。
(ただ後任の先生もこんな赤字経営とは知らないどころか、G研は初めから16人も生徒が揃っていることの幸運しか伝えていないでしょうから、騙しているような気分でした)


3月の末ギリギリまで、引き継ぎをしながら教室を続けました。

現在は、その教室もありません。1年後には閉室となってしまったようです。

理由の詳細はわかりませんが、どんな理由でも納得できる気がしました。


でもわたしの心にも、きっと後任の先生にも、素晴らしい思い出が残ったのは確かだと思います。


ご通読ありがとうございましたm(__)m





やさいのほとり やさいのほとり

特に写真がなかったので・・・グリーンにも氷!                 ポーチュラカ