教室場所の問題も解決し、今度はいよいよ生徒集めに乗り出しました。
ある日、G研から段ボールの箱がドド~ンと何箱も送られて来て、中を見ると
チラシ!チラシ!チラシ!・・・めまいがするほどのチラシの山でした。
7~8種類のバリエーションのチラシと、ただチラシを配っただけではインパクトが足りないということで、
G研から買った(買わされた)鉛筆やシールをセッティングして、
これを小学校の校門の前で配ったり、各家庭へポスティングするのです。
どちらも初めてする、やや勇気の要る仕事でした。
まず、自分の子供が通う小学校に行き、校長先生にチラシ配りの許可を得ました。
いつも学校役員や絵本の読み聞かせのボランティアを通して、校長先生ともすっかり顔なじみでしたが、
「営利目的の・・・」云々となった場合、たちまち人々の態度は慎重になるのだ・・・
ということを、この経験から学びました。
それでも校門外の少し離れた場所でなら・・・と、許可をもらうことができました。
母親が校門の前でビラ配りをしていたら、子供が恥ずかしいかなという不安もあったので、
事前に子供たちにもお伺いをたてましたが、ぜんぜん平気でした。
それどころか、当日はわたしの姿を見つけると、喜んで自分の友達まで巻き込んで一緒に配ってくれました。
読み聞かせで日頃からさんざん顔を売っていたので、他の子たちも
「○○のお母さんだ~」「○○のお母さん、何してるの~?」と群がってきて、
不安だったビラ配りが、たちまち楽しいビラ配りになりました。
最も驚いたのは、それまでわたしがしていた一連を無関心というか冷やかともいえる態度で見ていた夫が
「ビラ配りするんだって?それなら明日はたまたま休みだから、一緒に配ろうか?」
と言ってくれたことでした。そういうのが、最も苦手な人なので尚更でした。
その時ばかりは、「嬉しい!助かる~」と、素直に甘えることにしました。
(※仕事にのめりこんでいったわたしに、だんだんまた冷やかになっていっちゃうんですけどね)
同期の他の仲間が「どうしても校門前で配る勇気が出ない」というので、手伝いに行ったことがありました。
自分の時もそうですが、何百人にも配るので、チラシは段ボール箱いっぱいです。
と、その段ボールの一つが、ふと目を離した隙に、わたしたちの視界から消えた瞬間がありました。
「わー、大変!どこに行ったんだろう」とオロオロするわたしに、
同期仲間が「消えたのは残念だけど、どこかの誰かが持って行ってくれたと思うとホッとするー」
と言うので笑えました。
その言葉は、当時のわたしたちの心境を実によくあらわしていました。
しょっちゅう何千枚ものチラシが送られてきて、
まだ前回の分も全然ハケていないのに、また次のが送られてくるのです。
資源ごみの日に出してしまうわけにもいかず、段ボールのチラシの山が、
胸を押しつぶすようなプレッシャーとなって、家の片隅に積まれているのです。
「だって、あのチラシにつけた鉛筆だって何千円分もかかってるのにー」
「鉛筆ムダになってもいい!この際、誰か持って行ってー」
(しかし結局それは、出て来てしまったのでした)
その点、わたしは結構たくましかったです。
小学校の校門前ビラ配り数回に加え、幼稚園や保育園も何軒も回って、
配らせてもらえる所では配り、チラシを置かせてもらえる所では、それをお願いしました。
子供が通っていたスイミング教室にまで頼んで置かせてもらいました。
使える物は使う・・・と、難波商人のようなたくましさです。
ポスティングにも燃えました。
鉛筆やシールの景品を付けるより、直筆の何かを書き添えた方がインパクトがあると思い、
「陽がサンサンと差しこむ明るい教室です
とびきりアットホームな雰囲気の中で
一緒に楽しく勉強しませんか?」
のような文面を添えて配りました。
たまたま遊びに来た字のきれいな友人も、手伝ってくれたりしました。
自転車の前かごとハンドルの両脇にドッサリとチラシの束を積み込み、
毎日せっせと配って回りました。
「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」「ローラー作戦で!」のようなノリでやっていました。
そんな時でも、エレガントのかけらくらいは持っていたいと思いました。
わたしの夏の定番はスカートです。
「スカート姿にめちゃめちゃツバ広の帽子を被った人が居たら、それはYasaiさんだよね。すぐわかる」
と言われていた通り、スカートと軽井沢マダムも顔負けのツバ広帽子をかぶり、
毎日せっせとママチャリを走らせました。
炎天下の作業で、日焼けを気にしながらも、楽しい作業でした。
今日もここまでしか書けなかった~
まだ続きますので、良かったらまた明日もお付き合いください♪

