緑の毒 桐野夏生 お彼岸の小さな葛藤 |         きんぱこ(^^)v  

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  きんぱこ教室、事件簿、小説、評論そして備忘録
      砂坂を這う蟻  たそがれきんのすけ

 大阪の玉造にある小さな本屋で、入口近くに平積みされている本をじっとみている男がいた。

 平積みしてあるのだから、よく売れている本なのだろう。

 男はどの本を買おうかと迷っているのではなかった。

『絶対に平積みしてある本は買わないぞ』

 小説が好きなわけでもない。

 男はこれから一人暮らしている母がいる実家に帰ろうとしていた。父が癌で亡くなって10年になる。それ以来一人暮らしの母の安否とお彼岸の墓参りを兼ての帰省だった。

 その道中が退屈だなと、いつも買いに行くブックオフに向かったつもりだったが、今日に限ってなぜか普通の本屋に入ってしまった。

『一冊1400円や1800円なんて本、貧乏な俺が買うものか』

 そう思いながら本の表紙をあれこれと見ていたのだ。


 作家の名前なんて全然知らない。その本屋に平積みされていた小説で知っているのは東野圭吾くらいのものだろうか。そんな中で奇妙な題名の小説が目に飛び込んできた。

『緑の毒』

(みどりのどく?)

 男はその本を手にして、考え込んだ。


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(どういう意味だろう…)

 視線を落として、帯を読んでみた。とたんに『レイプ』という言葉が目に飛び込んできた。

(なんだ、そんな話か)

 レイプ。興味のない言葉。

 連続レイプ魔、エロ本に近い性描写の強い話、お決まりのように刑事さんが出てくる話、犯人の犯罪心理描写、逆に被害女性の苦悩それともレイプ妄想の心理描写…。いずれにしたってレイプには興味がない。「女は喜ばせてナンボだろうが」そう思ったが甲斐性の無い自分に気づいて苦笑した。

 男はそう考えて、手にした本を元の場所に戻した。しかし、その場を動かずに考え込んでいる。

 ミドリ。そんな名の女が二人いた。ひとりは付き合っていたことのある女。もう一人は昔映画村でバイトをしていた時に指導してくれた年上の女性で、その時に男と一緒にバイトとしていた女性が森園ミルクの末っ子の妹だったのを思い出した。仲が良く気が合ったが付き合っていたわけではない。しかしそれがきっかけで私の友人が真中の妹と付き合っていたっけ。

 もう古い話だけど、どうして男はこうやってすぐに過去の女性を手繰って行こうとするのだろうか・・・。全てが付き合った女性でもないのに。

 

 男は再び『緑の毒』を手に取った。そして奥付を見開いて、著者の説明を観た。

 桐野夏生。「なつお……、知らんなぁどんな男(やつ)だろう」

 経歴を読めば、なんと華々しい事だろうか。直木賞は勿論の事数々の賞を取りまくっているではないか。

(…ふん)

 男は軽い嫉妬を覚えた。

 いや、強い嫉妬を覚えた。羨ましい。この人は私がやってみたい生き方を先にやった。悔しい。

 そうはいっても相当な苦労と努力はやったのだろう。『俺は努力しないからダメ』

 ブログも人生を立て直す意味で、自ら「砂坂を這う蟻」などと銘打ったのに、死ぬまで這い上がり続けるのだろうな。『それもいいか…』と思いながら砂坂の上を見上げたら、見たこともないはずの桐野夏生が笑ってこちらを見ていた。


 結局『緑の毒』を買ってしまった。

 本屋の店員が言った。「カバー付けますか」、男は即座に(絶対に)「付けてください」と答えた。

 JRに乗り、さっそく本を読み始めた。

(心理描写が細かいな…)

 こういう流れは嫌いではない。壊れかけた夫婦、浮気、表に出ない陰湿な嫉妬。

 しばらく読んでいて不審に思った。

 この作家はどうしてこんなに女性の心理描写がうまいのだろう。男性にこんな芸当が出来るだろうか。男が最も嫌うかもしれない女性同士が初対面でよく出す露骨な敵愾心。しかしこんな女性描写を男性が出来るわけがない。それにこんなにファッションブランドのことを沢山わかるだろうか。

 そう思った男は本を一旦閉じて胸ポケットに入れていたIPHONEを取り出した。SAFARIを開いてYAHOOから桐野夏生で検索した。

(なんだ、この作家は女だったのか)

(そうだろうなぁ。これが男性だったら、俺は自分の表現の貧弱さに打ちひしがれて、田舎でそのまま畑を耕して人間ではなくコオロギや雲雀と戯れながら余生を過ごしていたかもしれない)

「こんな有名な作家も知らないの」

 誰かに揶揄された気がした。しかし男は怯まない。

(俺の知ったことか)

 無意識に胸ポケットにあるタバコに手が行ったが、ここはJRの電車の中だった。

 更に経歴を読むと森園ミルクの名前が出てきた。10年ほど漫画のストーリーを作っていたらしい。

 森園ミルクとは会ったこともないけれど、顔立ちが似ていない二人の妹とは縁があったこの男は、人生のニアミスとそこに素人とプロという大きな壁を感じながら再び『緑の毒』を読み始めた。


 ストーリー自体はスラスラと読める軽快な小説だ。

 小説には犯人が崩壊し始めるまでのストーリーになっていたが、レイプの話は流れを作る「おまけ」に過ぎないのだろうか。

 かと言って、被害者の話を書いているようでも、この物語の芯であるわけでもない気がする。

 男と女の話。

 レイプ犯のおしゃれな服装描写を読みながら、男は自分の服を見た。黒いジャケットに白い襟付きだがボタンの無いシャツ、白いスラックスにブラウンのベルトそして茶色の靴。

 さしずめこの作家が見れば「ドンキホーテの靴を履き、上から下までユニクロで固めた中年男」ということになる。

「ふん」

 作家が私を見て、かすかに鼻で笑った気がした。

 余計なお世話だ。金があればブルガリを付ける。なければユニクロ。それだけのことだ。

 袖だってピッタリだし、出っ張った腹が気になるくらいでそれ以外は体のサイズに合っている。

 

 列車が田舎の駅に着くころに、小説を読み終えた。


 男は読み終えた表紙をじっと見た。

 そして、自分の才能にイジケた。


 結局

『緑の毒』

 って、なんのことだったのだ?