昨年の秋に起きた、残忍な事件「島根県女子大生殺人事件」
今頃犯人はどうしているのでしょうか。
心理学の世界に「認知的不況和」という理論があるそうです。
矛盾した二つの出来事があったときに、人間はどちらかに(場合によってはありえないものも含めて)理屈を付けて矛盾を正当化させようとするというものです。
私は心理学者ではありませんが、自分で勝手に解釈して書きます。
・会合の席でうかつにもオナラをしてしまった
・公共の場で恥ずかしいことはしたくない
この二つの事象には矛盾があります。
私が小学生の時に、校長先生の挨拶を体育館で聞いていたときにあった実話ですが・・・。
私の前に立っていた女の子が、突然オナラをしてしまいました。
彼女としては相当にうかつだったか、体調が悪くてどうしても我慢ができなかったのでしょう。
不幸な事に、音が体育館に響きわたりました。
みんなが一斉に音の鳴った辺を振り向きました。
私も「えっ」と思って前の女の子を見てしまいました。
その時です。彼女は大げさに振り返って、私の方を凝視したのです。
そして、みんなの視線は、あろうことが私に注がれてしまった。
私は本当のことを話そうとしましたが、言葉が詰まりました。
彼女の気迫のオーラが私の目に突き刺さったのです。
結局、私は黙っていたので、しばらくの間、屁こき男になってしまいました。![]()
彼女は見事に既成事実を別のストーリーにすり替えました。
冒頭で少し書いた島根県女子大生殺人事件。
事件からもうすぐ10ヶ月を過ぎようとしています。
犯人は、どんな心境で生きているのでしょうか。
あれだけのことをして、その罪を全て受け止めて生きているとは思えません。平気なら精神異常者でしょう。
そこで「認知的不況和」の登場です。
・バラバラの遺体を発見して、このままだと私のせいにされるから山に捨てに行った。殺したのは私ではないのだ。
・私は彼女を知っていた。好きでたまらなかった。客として店に通ったが、ある日店をやめるらしいことがわかった。それで焦って自分の気持ちを伝えようとしたら断られた。だから、彼女が悪いのだ。
・付き合い始めていた彼女を車で送った、途中ホテルに誘ったら彼女は断った。だれか好きな人が出来たのかと疑ったが、そこから大ゲンカになった。気が付けば首を締めていた。彼女が抵抗したからいけないのだ。
こんな感覚から始まって、自分は事件とは関係の無い人間だと思い込ませるために、ストーリーを作り上げて自らの心理を変えてゆく。
しかし、トラウマが夢の中で出現する。そしてやがて、その深層心理を追求しない意思を育て上げる。
きっと、こんなことに必死になっているはず。
ほかにも沢山あります。会社の為を思ってやった粉飾決算、おれは間違っていないのだ、会社のためなんだと正当化させる。
しかし、月日が経てば、一体何が正しいのかすらわからなくなる。
一体、常識の中心とは何なのでしょう。過去の経験や判例?偉い人が言った言葉?自分の考えが常識で自分以外は信じない?・・・
沢山の本や人々の意見から判断しますか?もし、そのすべてが歪んでいたら?と書くと、「歪んでいようが、沢山の人が同じ考えなのだからそれが常識ではないか」と言う人が出てくる。これぞ認知的不協和かも。第二次世界大戦の日本は正しかったか・・・。
リビアという国は、カダフィ政権と国民が戦っている。ネット社会になって、リビア国民は自分の国が間違っていることに気づいた・・・ように見える。
果たしてそうなのか、リビアが正しいのか、フランスやイギリスが正しいのか。
今の世界はアメリカやイギリスなどホワイトアングロサクソン系の人々が常識の中心になっている。しかし権力や多数決が常識ならばいつかモスレム(イスラム教)が世界を席巻した時、常識というものは今とは逆になっているかもしれませんね。(今はイスラム教徒の人口が一番増えているのはご存知ですか?)
レオナルド・デカプリオ扮する連邦刑事が、精神疾患犯罪者を収容する孤島の刑務所「シャッターアイランド」の実態を暴くために乗り込んだ。
2010年2月公開
監督 マーティン・スコセッシ
製作総指揮 クリス・ブリガム
レータ・カログリディス
デニス・ルヘイン
ジャンニ・ヌナリ
ルイス・フィリップス
製作 マーティン・スコセッシ
ブラッドリー・J・フィッシャー
マイク・メダヴォイ
アーノルド・W・メッサー
脚本 レータ・カログリディス
出演者 レオナルド・ディカプリオ
マーク・ラファロ
音楽 ロビー・ロバートソン

