反魂香には龍馬が暗殺された時のお龍のことが載っています。お龍自身の話から記述されているからと言って真実かどうかはわかりませんが、私も始めて知ったことが多いので書いておこうと思いました。
龍馬が暗殺された日、お龍は妹の君江と一緒に下関にある海援隊の伊東肋太夫の所に泊まっていたそうです。翌夜は龍馬が血まみれになって血刀を下げてしょんぼりと枕元に座っている夢を見たそうですが、これは本当かどうか・・・しかし正夢と言うものは本当に見るとよく言われます。お龍はこの事を誰にも言わなかったそうです。悪い予感の夢ですから、不安でもあり縁起でもないので黙っていたのでしょうね。
二日後の夕方に海援隊の佐柳高次という人が早馬でやってきたそうです。
(以下青字は原文を多少アレンジして書き直した者です)
「ハーッ……ハーッ」
佐柳は息を切らせながら馬に鞭を打ち続けた。
(早く知らせねば……しかし何て言えばいいだろう…)
佐柳は馬上で何度も考えた。龍馬の訃報を伝えようと、京都を出てもう丸一日は過ぎていた。
(俺だって今でも信じられない、何でなんだよ…。俺ですらこんななのに、お龍さんには何て言えばいいんだ)
お龍は一人で外を眺めていた。屋敷塀の外に並ぶ銀杏はその葉を黄色く染め始めている。しかし木枯らしが時折銀杏の枝を激しく揺らした。黄色い葉は、その扇を吹き飛ばされまいと必死に枝にしがみ付いているように見えた。
廊下から大きな足音が近づいてきた。
(龍馬…)
お龍の顔は一瞬綻(ほころ)んだ。
「おりょう、帰ったぞー」
しかし障子の向こうから聞こえた声はそうではなかった。
「御免」
お龍は真顔になり膝を正して返事をした。
「どうぞ、お入りやす」
「……御免」
男はもう一度同じ言葉を返してから障子を開け、入り口に座ったまま両手で支え、勢い良く頭を畳に付けたまま動かなくなった。髪は崩れ苦しそうに吐く息の音が何時までも続いた。
(佐柳はん…)
お龍はその姿を見て悟った。そして最悪の事態を覚悟した。腹を据えたお龍は強い。
(これは・・・ただ事ではない)
暫く佐柳を見つめていた彼女だが、側にあった用箪笥の引き出しを開けて縮緬(ちりめん)の襦袢(じゅばん)を一枚取り出した。
「佐柳はん、お疲れでしょうからこれに着替えてひとまず隣の部屋でおやすみやす。用向きは後で聞きますよって」
そう言って膝をすすめ、佐柳の手に(龍馬の)襦袢を握らせた。
「ねえさん……」
佐柳は涙で溢れた顔を拭きもせず、恐縮して受け取るのを辞退しようとするが、お龍はそれを制し襦袢を無理に手に取らせてジッと佐柳の顔を見て言った。
「おまえ、これが形見になるかもしれないよ」
そういわれた佐柳は「ねえさん……」と言ったきり襦袢を握り締めて泣き崩れてしまいました。
時を同じくして吉井玄蕃は大宰府から、三好真三は長府から駆けつけて、しかしお龍には話すことも出来ず、佐柳を促して別室に連れて行きました。
お龍は、部屋の外から「残念だ、残念だ」と言う声を聞き、龍馬は殺されたに違いないと悟り、その晩は妹の君江と心ばかりの供養を行いました。しかし、それでも信じきれない気持ちが心に残っていました。
翌日からのお龍は見かけは気丈でも心はもぬけの殻でした。周りの人々は本当のことを言い出せず、彼女に酒を勧めて力を付けていましたが、とうとう八日目に三好真三が本当のことをお龍に話しました。
その翌日、伊東家で法事が営まれました。
お龍は黒髪を洗い髪結いを頼み、席に着き暫く合掌をしていました。
しかし、焼香を済ませるや否や、突如懐から鋏(はさみ)を取り出し、長い髪の毛を根元からばっさりと切り落としてしまいました。
そして、その髪を白紙に包んで祭壇に置いた時、
「りょうまぁ--」
そう叫んで泣き崩れてしまいました。
その後のお龍は、抜け殻のようになった彼女を三好真三が預かり、その後は下関にある福田屋仙助という質屋の二階を借りて住んでいたそうです。
長崎の海援隊からも誘いがありましたが、お龍は長崎には戻りたくなかったそうです。しかし同行していた妹が海援隊の管野と結婚することになり、長崎に戻ることになりました。
お龍は本当は京都の東山に家を建てて、そこにある龍馬の墓をずっと守ってゆきたかったみたいです。
そんなお金があるのかと言うと、実はあったのです。船の衝突事故で紀州藩から膨大な金が入ってきていたので海援隊員はしばらくはお金に困りませんでした。
妹の婚礼が終わると彼女は船に乗り、大阪の土佐堀にある薩摩屋のおりせ(女将)の所に泊まり、その後京都に着きましたが土佐の坂本家から誘いがあり、断ることも出来ずに坂本家に行きました。
続く
