平安時代の初期には宮中で「追儺(ついな)」という儀式があったそうです。
今の節分の元祖ですね。
最初は宮中で執り行われていましたが、そのうち飽きてきたらしく廃れて来ました。しかし儀式自体は宮中から外へ出て、平安中期ごろには大小の神社で行われるようになりました。
京都では、八幡神社等ですね。「鬼やらい」と言われるようになって、それが現在まで受け継がれてきたと聞いています。
節分というのは春だけでは無しに、春夏秋冬と年に4回ありましたが、旧暦の正月が一番大きな節目だったのでしょうね、昔風に言うと大晦日の厄払いの儀式でした。
この鬼の面は私のお気に入りです。
お面のことなら イノウエコーポレーション に聞け。と言うほど、お面を沢山見れるサイトがあります。(この写真も井上さんの了解をもらっていますので…あしからず)
大江山の酒呑童子の四天王の一人「金熊童子」のお面です。手作りで迫力がありますね。京都府の福知山市という所に住んで造っておられるみたいです。私の郷里の近くなので、福知山に行った時は寄ってみたいと思っています。ちなみに大江山は福知山市にあります。
だからというのではありませんでしょうが、福知山市の三和町という所に平安時代からある安産の神様「大原神社」という神社が、山の中にあります。
この神社の特徴は、「鬼はーそと、福はーうち」ではなくって、「鬼はーうち、福はーそと」なんですよ(^^)変わっていますけど、この辺りの人は鬼に親しみを持っておられます。
余談ですが、私の実家も福知山市の隣町なのですが、私の父が亡くなった次の日の夜に、嫁が私が寝ている枕元で、嫁に背を向けてなにやら本のようなものを一生懸命見ていた小柄な青鬼を見たそうです。もちろん翌朝聞いたのですが、私はなぜか怖くはありませんでした。
に載せています。
「童子」と言うのは、鬼のことではありません。子供の事も含まれますが子供のことでもありません。平安時代では髻(もとどり)と言って、後頭部で髪を結んで上に持ち上げたような髪をしていました。その髻を大衆にさらすのは恥だったそうで常に帽子を被っていました。
たとえ大人でも、髪の毛をバサッと垂らしたまま(現代で言うと普通の髪の毛なんですが…)でいる人を「童子」と呼んでいたそうです。
現代に生きる男性は皆「童子」ですね(^^)
