平安時代は貴族は藤原だらけですね。藤原が藤原を生みまた藤原が出来て、藤原通しか天皇の血縁がまた子供を生んで藤原・・・・・・・。
今のお金持ちがベンツやレクサスやアルファロメオに乗っているように、平安貴族は牛車に乗っていました。
どこへ行くにも貴族は牛車に乗って、歩くことはあまり無かったと聞きます。
この頃は武士(もののふ)を除いては四位以上の貴族でないと剣を帯刀しませんでした。
基本的に、血が吹き出るような出来事は嫌った貴族なので、普段は剣は持ち歩かなかったと思われます。
しかし、そんな時代でも揉め事は起きるものでして…。
貴族が怖いものはなんでしょう。妖怪や鬼も怖いでしょうが最も怖いのは家系を閉ざされたり住むところが無くなったり位階を失ったり、はたまた遠いところに飛ばされたりすることではなかったかと思います。
大喧嘩になると、まず従者を使って石を投げつけさせて自宅に逃げ込ませて、その家を取り囲んでまた石を投げまくって、その後その家の中に押し入って家具調度品その他を全て奪って家を壊して帰っていくそうです。
沢山の人から思い切り石を投げられて家を壊されるというのはかなり恐怖を覚えるのではないでしょうか。
女性の場合はどうだったかと言うと、どちらかと言うと家や位階を持っていませんでしたが、十二単(ひとえ)のように、高価な服を着ていました。
当時の服や紙はとても高価で、金や銀に相当したみたいです。だから現代風に言うとミンクのコートにダイヤモンドをちりばめたような高級服を着ていたのでしょうね。
よく盗賊に襲われる話が残っています。盗賊は通りに連れ出した女性の身ぐるみを剥ぎ取ります。大概は素っ裸か赤い襦袢だけの姿にしてしまいます。
そうすると、女を犯してやろうとか女を武器にして貴族から金を巻き上げてやろうかとか考えそうな気がしますよね。
ところが、この頃の盗賊は服を剥ぎ取って素っ裸になった女性はそのまま放ったらかしにしてさっさとどこかへ逃げてしまったそうです。
検非違使(警察)につかまらないように、欲をかき過ぎないようにと言う意味では、冷静な盗賊が多かったのでしょうか…(笑)
それにも増して、服が高級だったのでしょうね。相当な値で売れたんだと思います。
路上で素っ裸にされた女房や女性はその後どうだったのでしょうかね。恥ずかしいやら腹が立つやら、・・・何に腹が立つって? 素っ裸にされて無視されたことでしょうかね(笑)・・・冗談冗談。
女性同士の喧嘩もまたそうです。エスカレートすると、相手の服を剥ぎ取って素っ裸にして辱めることもあったそうです。
それが平安時代の貴族に仕える女房の喧嘩だったのでしょうかね。(^^)
ある日、右大臣藤原実資(さねすけ)の下女と藤原兼隆(かねたか)の下女が喧嘩を始めました。
実資は今で言えば警察庁長官のような感じ。兼隆(かねたか)は藤原道長の兄道兼(みちかね)の息子です。兼隆(かねたか)は位は実資より下で若かったがボンボンで気が荒くて自分の従者を殴り殺すような人だったそうです。
「なにしはるの、この井戸はうちとこの井戸え!」
「なに言うてはんの、この井戸は元々兼隆(かねたか)様の井戸え、泥棒呼ばわりせんとって!」
「何してんの、ここは実資(さねすけ)様の井戸や、勝手に触らんとってっ!どきいなっ!」
「ひゃっ!何すんの、あんたこそ…いやっ!触らんとって!」
っとまあ、こんな感じで喧嘩が始まりました。
何でも女同士ながら取っ組み合いの喧嘩になったとか。
とうとう兼隆(かねたか)の下女が服を剥ぎ取られて素っ裸になったそうです。
兼隆(かねたか)の下女は辱めを受けて兼隆(かねたか)に報告したらしい。
兼隆(かねたか)は怒って、「あの土地はわしの土地だ、不当に住み着いている女はゆるしてはおかぬ」と(いったかどうかは知りませんが 笑)従者を使わせて下女の住まいのものを全て略奪して、最後に下女の住まいそのものを取り潰してしまったそうです。
下女からすると、相当に怖かったのではないでしょうか。
実はこの事件、兼隆(かねたか)の勘違いで、この土地はれっきとした実資(さねすけ)の土地だったそうで、あとで平謝りに謝ったそうですが(だって実資(さねすけ)は警察庁長官ですもんね)。
細かいところは想像するしかありません。しかし、お家を取り壊された下女はどうなったのでしょうか…。
実資(さねすけ)は警察庁長官なので「小右記(しょうゆうき)」という事件簿日記を書いていました。私は直接読んだことはありませんがいろんな本が抜粋で載せています。
平安貴族や女房は品があっておとなしくなよなよしている印象が強いですが、男も女もなかなか気が荒いみたいですね。
どんなに強そうでもお化けはからっきしだめな人も居ます。