自分で強制終了しちゃった ② | ありがとうございました

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【自分で強制終了しちゃった ②】

 

 

最初のうちは自分の状態を受け入れることができませんでした。

 

頭ではわかるんです。

ああなってこうなったからこうなってるんだってこと。

 

でも、頭と心(気持ち)が結びつかないっていうか、、、何か夢を見ているようでした。

この状態は世を忍ぶ仮の姿、本当の私はどこか別のところで暮らしてるんだ、っていう感じ。

 

そしてね、、、実は昨年の夏からいろいろなことがあって、

様々な人の怨念に突き落とされたんじゃないのかって気もしてたんです。

(これについては詳しくは書きませんが、あくまでもプライベートでの話しです)

 

でもね。伊達に心屋塾マスターコースに行ったんじゃないんだなぁって思ったのが、
それも含めて「自分の中に答えがある」んだって思えたこと。

怨霊・・・?と思おうとしているのも自分なんだって思ったのです。

 

いや、もしかしたら本当にそういうこと(怨霊)ってあるのかもしれないけれど、

怨霊説と強制終了説のどちらがいい?と自分に聞いたら

強制終了説の方がいいやと思ったのです。

 

怨霊に怯えるのは気持ちよくないしね。

それに実際、強制終了が必要なタイミングだったんだろうなって思えたし。

 

で、まぁ、怨霊だったにせよ自分で選んだ強制終了だったにせよ、

長めの入院生活でいろいろな感覚が変わったのは事実です。

 

以前よりは気持ちが楽になりました。


で、頭と心が一致し始めたのはリハビリが始まってからでした。
それまではベッドで寝ていることしかできなかったし、それはそれで楽しかったけれど、

(上げ膳、据え膳、掃除洗濯しなくていい! 天国と極楽が一度に来た感じ 笑)

リハビリでは別の楽しさが加わりました。

 

日々物理的に変わっていく自分を感じる楽しさ。
昨日までできなかったことができるようになる嬉しさ。

 

自分より先を行っている人を見ながら、

自分もああやって回復していけるのかと希望が持てる楽しさ。

 

明るく広いリハビリ室で、同じように回復に向けて頑張っている人たちを見ていると、

それだけで笑顔になっていく。

 

心屋では「頑張らなくてもいい」というけれど、

その意味は「頑張りたくないことは頑張らなくていい」っていうこと。

 

本当は嫌なのに、本当はしたくないのに、って思っていることを

「いやいや、それじゃダメでしょ!」って頑張るのなら、それは頑張らなくてもいいこと。

 

でも、頑張ることが楽しくて、嬉しくて、もっと頑張りたいと思えるなら「頑張ってもいい」。

 

とはいえ、リハビリで端的に現れるのが「頑張りすぎ」。

痛みが出たり腫れがひどくなったりするまで頑張らなくてもいい。

むしろ、そこまで頑張らないのが大切。

 

そんな、「頑張り」に関するオンとオフも学んだ気がします。

 

あと、誰のために頑張るのか? というところもポイントかな。

リハビリで頑張っていたとき、誰の笑顔も思い浮かばなかったもの。

 

頑張らなくてもいいことを頑張っていたときは、

今から思えば、誰かを笑顔にしたくて頑張ってたもんね。

 

それは母であったり、夫であったり、周りの人であったり、お客様であったり、自分自身であったり。。。

 

でもリハビリでは誰の笑顔も思い浮かばない代わりに、すでに笑顔になっていたもんな。

 

自分も含めて「誰かを笑顔にする」ために頑張ると無理が出るのかもしれないなぁ。
放っておいても笑顔になっているときが、頑張りたいことを頑張っているときなのかも。

 

これも学びの1つだったんだなと、今気づきました。
(続く)