プレッパーズ~世界滅亡に備える人々~
今回は、前回の記事の続き。
ケーブルテレビのナショジオ・チャンネルでは、時々「プレッパーズ」と言う60分番組が放映されている。今月、以前に放映されたシリーズの再放送が始まるらしいが、興味のある人は一度観ると良いかもしれない。
この番組は一風変わった番組で、現代社会の人間が、漠然とした不安から、いかなる行動を取りうるのか良くわかる。ところが、アメリカの場合、極めて少数でもなさそうなのである。
その理由は、ディスカウントショップなどでサバイバル向けのグッズが結構売られていることもある。また、この番組は来る?災害時に、プレッパーの人が今の準備で十分かどうかを第一人者?が採点までしてくれる。全くアメリカ人は変わった人が多いと思うよ。
ちょっと面白いと思うのは、あのような奇妙な行動は、ほとんどの日本人は取りそうにないこと。
プレッパーズとは、自然災害、経済破綻、人口爆発、放射能など、この世が終わる最悪の事態に備え、あらゆる防衛術を駆使している人たちである。従って、たいていの場合、誰にも襲われないような自然環境に要塞を作っていたりする。もちろん、銃などの武器は常備している。
アメリカは銃社会であり、そのために悲惨な事故がしばしば起こるため、銃規制を行うように働きかける人々もいるが、このような人たちがいる限り、なかなか世論がまとまらないであろう。

上の写真は、2012年7月20日、オーロラ銃乱射事件(コロラド州の映画館での無差別銃乱射事件)の犠牲者に対し、弔意を表すために半旗が揚げられた沖縄の米軍基地。この事件では、12名が亡くなり58名の負傷者が出た。アメリカでも最大規模の銃乱射事件であった。犯人は逮捕されたが、動機は不明とされている。
プレッパーズでは、様々な人々が紹介されている。あるプレッパーは、アメリカが電子パルス攻撃に襲われると確信しており、生き残るために輸送用コンテナを改造し、長期間身を潜め過ごせるよう準備している。また敵からの攻撃から身を守るため、子供たちにも武器の扱い方を教え、日々トレーニングしている。
高い山に移住し、家族全員で自給自足の生活をしている人もいた。たいていプレッパーは、十分な食物を保存し、また安全と思われるシェルターを作っている。ある人は、かつての冷戦時代のミサイル基地跡を買い取り、地下深くに住めるように改造していた。まさに地中深くに存在するマンションである。
あるプレッパーは、大幅な期限切れの保存食を食べて見せたが、そういうのは気にならないらしい。(自分の身を案じているのに、明らかにバランスが悪い)
また、シェルター内で野菜を栽培できるように大量の種子を備蓄したり、バッタなどの昆虫の料理を実演し食べていた。実際に昆虫は将来、人間の蛋白源として有望という話である。日本的には、昆虫食といえば「蜂の子」が有名だと思う。すぐにはそれくらいしか思いつかない。
たいていのプレッパーには奥さんや子供もおり、個人的に興味深いと思ったことは、ほとんどのプレッパーの奥さんも同じ思想を持ち、困難な境遇に置くことを受け入れていたことである。多分、プレッパーの馬鹿馬鹿しさに気付いた奥さんは、あまりの生活にあきれ果て、離婚したのではないかと思った。
しかし、これも興味深いと思ったことだが、番組で出てくる彼らの子供たちはそうでもないのである。一部の子供は、親の押し付ける思想を冷ややかに見ており、なぜ自分が他の子供のように学校にも通えない場所に住まざるを得ないのか、疑問を訴えていたのである。この子供の方が遥かに自然な思考と言えた。
つまりプレッパーズの人々は、自らの思想のために、少なくとも家族全員を巻き込んでいるのである。(重要)
最近では、2012年のマヤ歴由来の人類滅亡説もあった。あの騒動?では、あまりにも日本人が無関心なことを、世界の人たちから不思議がられていた。その理由として、日本では天災が日常茶飯事のように起こるので慣れてしまい、このような滅亡説に鈍感になっているのでは?と言うものもあった。「いちいち気にしていられない」といったところである。
ある時、診察時に、このようなプレッパー系の患者さんから、人類滅亡の不安を訴えられ、意見を求められたことがあった。
人類の99.99%が死亡するような巨大な災害が起こった際、皆と一緒に死ぬのと、偶然、生き残ることを比べた時、生き残る方がむしろ悲惨だと思う。
このブログ的には、自殺は否定しているし、過去ログでもそのような内容は多く出てくる。地球の磁場がずれたとか、巨大隕石の落下などの重大かつ甚大災害でほとんどの人と一緒に死んでしまうのは、自殺とは異なる。それは災害によるやむを得ない死である。
従って、その来るかどうかもわからない巨大災害のため、人生を支配され、やりたいこともできず、楽しめない生活を送るのは、むしろ人生の損失と考えるのが普通だ。
と言った内容のことを答え、逆に、
なぜそうまでして、自分だけ助かろうとするの?
と問うた。彼女の答えは「先生はそんな風に考えるんですね?」と言ったもので、それ以上の反論や意見はなかった。
これは自分の人生観からも来る。だって、あのようなプレッパーズの親に育てられる子供は、そうでない親の子供より、どうみても悲惨である。なお、99.99の人が死亡した後の世界は、アニメ「北斗の拳」に詳しい。
日本人が、プレッパーの思想にアメリカ人ほど染まらないのは、宗教も関係していると思う。つまりキリスト教と日本の伝統的な宗教の相違である。
日本人は宗教はないに等しい人がとても多い。葬式の時に初めて知るという人もいるほど。実際、自分の家は浄土真宗であることを、オヤジが亡くなった時に初めて知った。浄土真宗は、仏壇は金色で派手である。(←これも合わせて知る)
日本人の宗教だが、無宗教を自覚している人は、たぶん「サムライの心」くらいが宗教なんだと思う。だからこそだが、巨大災害の際に、こっそり自分だけ助かろうとしないのである。
従って日本人は、死に対する考え方や人の命の重さの評価が西欧人とかなり異なっているように思う。例えば、日本が第二次世界大戦であのように戦ったのは、
義務は山のように重いが、死はそれよりもはるかに軽い。
と言ったことが大きい。つまり、大日本帝国自体が1つの生物のようなものであり、個々の日本人はそのわずかな1部分のようなものだったのである。例えばゼロ戦は、開戦当時、世界的にも極めて優れた戦闘機で特に航続距離や機動性の良さに利点があった。しかし、そのせいであるが、被弾した場合、瞬く間に火が出て墜落するなど安全性に問題が大きかったのである。つまり、パイロットの生命を軽視していた。(アメリカ兵から空飛ぶ葉巻と称された)。また、カミカゼなんてその際たるものである。
この考え方、つまり「人より社会あるいは企業を優先する世界」は、現代社会でもたいして変わっていない。だから、水俣病などの公害病を生み出したし、安全性をおろそかにする価値観のために、重大な人災を引き起こすことが時々みられる(例えばJR福知山線脱線事故など)。
日本人が、このような思想になったのは、日本が島国であり、長い期間、ほぼ単一民族でやってきたこと、数世紀に及ぶ鎖国なども関係していると思う。
アメリカは多民族国家であり、他人は何を考えているのか予想できないところがあり、信用していないのである。だから、災害時に、他人から殺されるのではないかという懸念も生じやすい。銃も絶対に必要という心理にもなる。
だいたい、他人は何を考えているのかわからないと思うような事件が、銃乱射事件や、ボストンマラソンのテロなど、毎年のように起こっていることも大きい。
長くなるので今日はこれで終わるが、この話は面白いので、もう少し続きを書きたい。
参考
地球上の大量絶滅
ルカによる福音書10章38~42節
人の判断に興味がある
プレッパーズのナショジオサイト
ケーブルテレビのナショジオ・チャンネルでは、時々「プレッパーズ」と言う60分番組が放映されている。今月、以前に放映されたシリーズの再放送が始まるらしいが、興味のある人は一度観ると良いかもしれない。
この番組は一風変わった番組で、現代社会の人間が、漠然とした不安から、いかなる行動を取りうるのか良くわかる。ところが、アメリカの場合、極めて少数でもなさそうなのである。
その理由は、ディスカウントショップなどでサバイバル向けのグッズが結構売られていることもある。また、この番組は来る?災害時に、プレッパーの人が今の準備で十分かどうかを第一人者?が採点までしてくれる。全くアメリカ人は変わった人が多いと思うよ。
ちょっと面白いと思うのは、あのような奇妙な行動は、ほとんどの日本人は取りそうにないこと。
プレッパーズとは、自然災害、経済破綻、人口爆発、放射能など、この世が終わる最悪の事態に備え、あらゆる防衛術を駆使している人たちである。従って、たいていの場合、誰にも襲われないような自然環境に要塞を作っていたりする。もちろん、銃などの武器は常備している。
アメリカは銃社会であり、そのために悲惨な事故がしばしば起こるため、銃規制を行うように働きかける人々もいるが、このような人たちがいる限り、なかなか世論がまとまらないであろう。

上の写真は、2012年7月20日、オーロラ銃乱射事件(コロラド州の映画館での無差別銃乱射事件)の犠牲者に対し、弔意を表すために半旗が揚げられた沖縄の米軍基地。この事件では、12名が亡くなり58名の負傷者が出た。アメリカでも最大規模の銃乱射事件であった。犯人は逮捕されたが、動機は不明とされている。
プレッパーズでは、様々な人々が紹介されている。あるプレッパーは、アメリカが電子パルス攻撃に襲われると確信しており、生き残るために輸送用コンテナを改造し、長期間身を潜め過ごせるよう準備している。また敵からの攻撃から身を守るため、子供たちにも武器の扱い方を教え、日々トレーニングしている。
高い山に移住し、家族全員で自給自足の生活をしている人もいた。たいていプレッパーは、十分な食物を保存し、また安全と思われるシェルターを作っている。ある人は、かつての冷戦時代のミサイル基地跡を買い取り、地下深くに住めるように改造していた。まさに地中深くに存在するマンションである。
あるプレッパーは、大幅な期限切れの保存食を食べて見せたが、そういうのは気にならないらしい。(自分の身を案じているのに、明らかにバランスが悪い)
また、シェルター内で野菜を栽培できるように大量の種子を備蓄したり、バッタなどの昆虫の料理を実演し食べていた。実際に昆虫は将来、人間の蛋白源として有望という話である。日本的には、昆虫食といえば「蜂の子」が有名だと思う。すぐにはそれくらいしか思いつかない。
たいていのプレッパーには奥さんや子供もおり、個人的に興味深いと思ったことは、ほとんどのプレッパーの奥さんも同じ思想を持ち、困難な境遇に置くことを受け入れていたことである。多分、プレッパーの馬鹿馬鹿しさに気付いた奥さんは、あまりの生活にあきれ果て、離婚したのではないかと思った。
しかし、これも興味深いと思ったことだが、番組で出てくる彼らの子供たちはそうでもないのである。一部の子供は、親の押し付ける思想を冷ややかに見ており、なぜ自分が他の子供のように学校にも通えない場所に住まざるを得ないのか、疑問を訴えていたのである。この子供の方が遥かに自然な思考と言えた。
つまりプレッパーズの人々は、自らの思想のために、少なくとも家族全員を巻き込んでいるのである。(重要)
最近では、2012年のマヤ歴由来の人類滅亡説もあった。あの騒動?では、あまりにも日本人が無関心なことを、世界の人たちから不思議がられていた。その理由として、日本では天災が日常茶飯事のように起こるので慣れてしまい、このような滅亡説に鈍感になっているのでは?と言うものもあった。「いちいち気にしていられない」といったところである。
ある時、診察時に、このようなプレッパー系の患者さんから、人類滅亡の不安を訴えられ、意見を求められたことがあった。
人類の99.99%が死亡するような巨大な災害が起こった際、皆と一緒に死ぬのと、偶然、生き残ることを比べた時、生き残る方がむしろ悲惨だと思う。
このブログ的には、自殺は否定しているし、過去ログでもそのような内容は多く出てくる。地球の磁場がずれたとか、巨大隕石の落下などの重大かつ甚大災害でほとんどの人と一緒に死んでしまうのは、自殺とは異なる。それは災害によるやむを得ない死である。
従って、その来るかどうかもわからない巨大災害のため、人生を支配され、やりたいこともできず、楽しめない生活を送るのは、むしろ人生の損失と考えるのが普通だ。
と言った内容のことを答え、逆に、
なぜそうまでして、自分だけ助かろうとするの?
と問うた。彼女の答えは「先生はそんな風に考えるんですね?」と言ったもので、それ以上の反論や意見はなかった。
これは自分の人生観からも来る。だって、あのようなプレッパーズの親に育てられる子供は、そうでない親の子供より、どうみても悲惨である。なお、99.99の人が死亡した後の世界は、アニメ「北斗の拳」に詳しい。
日本人が、プレッパーの思想にアメリカ人ほど染まらないのは、宗教も関係していると思う。つまりキリスト教と日本の伝統的な宗教の相違である。
日本人は宗教はないに等しい人がとても多い。葬式の時に初めて知るという人もいるほど。実際、自分の家は浄土真宗であることを、オヤジが亡くなった時に初めて知った。浄土真宗は、仏壇は金色で派手である。(←これも合わせて知る)
日本人の宗教だが、無宗教を自覚している人は、たぶん「サムライの心」くらいが宗教なんだと思う。だからこそだが、巨大災害の際に、こっそり自分だけ助かろうとしないのである。
従って日本人は、死に対する考え方や人の命の重さの評価が西欧人とかなり異なっているように思う。例えば、日本が第二次世界大戦であのように戦ったのは、
義務は山のように重いが、死はそれよりもはるかに軽い。
と言ったことが大きい。つまり、大日本帝国自体が1つの生物のようなものであり、個々の日本人はそのわずかな1部分のようなものだったのである。例えばゼロ戦は、開戦当時、世界的にも極めて優れた戦闘機で特に航続距離や機動性の良さに利点があった。しかし、そのせいであるが、被弾した場合、瞬く間に火が出て墜落するなど安全性に問題が大きかったのである。つまり、パイロットの生命を軽視していた。(アメリカ兵から空飛ぶ葉巻と称された)。また、カミカゼなんてその際たるものである。
この考え方、つまり「人より社会あるいは企業を優先する世界」は、現代社会でもたいして変わっていない。だから、水俣病などの公害病を生み出したし、安全性をおろそかにする価値観のために、重大な人災を引き起こすことが時々みられる(例えばJR福知山線脱線事故など)。
日本人が、このような思想になったのは、日本が島国であり、長い期間、ほぼ単一民族でやってきたこと、数世紀に及ぶ鎖国なども関係していると思う。
アメリカは多民族国家であり、他人は何を考えているのか予想できないところがあり、信用していないのである。だから、災害時に、他人から殺されるのではないかという懸念も生じやすい。銃も絶対に必要という心理にもなる。
だいたい、他人は何を考えているのかわからないと思うような事件が、銃乱射事件や、ボストンマラソンのテロなど、毎年のように起こっていることも大きい。
長くなるので今日はこれで終わるが、この話は面白いので、もう少し続きを書きたい。
参考
地球上の大量絶滅
ルカによる福音書10章38~42節
人の判断に興味がある
プレッパーズのナショジオサイト