「すごい」という言葉の裏側に、の巻 | カフェときどき読書

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そういえば、「すごいね」って言われるのが、
昔から結構イヤだった。

子どものころは、「頭が良くてすごいね」「まじめですごいね」
といったニュアンス。
でもそんなわたしは、そういう風に言ってくる
ほがらかな彼女の方がうらやましかった。
気の利いたおしゃべりができて、かわいくて。
場の雰囲気に合わせた会話ができなくて
自分がしゃべると、相手に意味が伝わってなかったり
空気に合わなかったりして、リズムが悪くなる。
まじめだからって距離置かないで、仲間に入れて。
・・・入ったら入ったで、やっぱり浮いちゃって、後悔したりもするのだけど。

今は「○○(会社名)にいるなんてすごい」・・・かな。
とはいっても、自分は表に出る仕事じゃない。
取材とか、みなさんが期待してるようなことはできないし。
それに、自分個人で仕事していたり、活動していたりする人の方が
よっぽど華やかでまぶしくて、「すごい」じゃないですか―。

先日の、山根真喜さんお茶会でご一緒した
金子マンサさんのブログを見て
あまりに図星で息が止まりそうだった。

自分がないことを押し付けないこと

>その人の「わたしなんて何もない」を押し付けられてうんざりします。

ああ、わたし、真喜さんのお茶会でやってたよ・・・

みなさんきれいで、おしゃれで、トークにキレがあって。
自分の服が、髪型が、すっごくもっさく見えて
自分が発した相槌が、どんどん上滑りしている気がして。
ああ、すごい人たちの前で、自分なんてお呼びじゃない-。

これこそが、上記の
「わたしなんて何もない」をぶつけていることなんだ。

「××をしてます」っていうのが、もごもご口ごもっちゃう自分、
でも、そういう状況を選んでいるのは結局自分だ。

それに、「会社員をしていること」
「セカンド活動を探していること」
それは恥じることではないはずだ。

会社に勤めて、産休育休取りながらも15年辞めなかった、
家族を養ってきた、
文章で人に喜んでもらえたことがある、
すごくていいじゃん。

すごい部分もあれば、すごくない部分もある。
わたしにも、ほかの人にも。

-自分をだめにしているのは、自分じゃないか。

ああ、この時間まで起きてると、冷えるなあ・・・
札幌の明朝の気温、氷点下に迫る勢いです。