あの日、あの時、あのタイミングで孔明先生に出会わなければ
今日、生きていなかった可能性爆大な玄子(げんし)の奇縁物語。
前回の続きからです。
人生を変える一大事が起きたのは、
気付けば私の部屋にあるカラーボックスは三国志専用となっており、
さらにふと我に返れば、
所狭しと押し込められた三国志関連の書籍の背表紙の大半が
「諸葛孔明」に埋め尽くされていると認識するようになった頃だった。
内容が難解そうでも、少しでも好きな人の情報を得るように、
近づけるように夢中になって関連書籍を買い漁った結果、
大勢いる英雄たちの中でも、
無意識のうちに諸葛孔明先生に惹かれている
自分の存在を胸の高鳴りと共に知った。
そんな時である。
それを待っていたかのようにタイミングよく、
中国ドラマ『諸葛孔明』が日本に上陸した。
陳舜臣氏が内容から文化考証に至るまで、大絶賛したほどの作品である。
諸葛孔明?ってなぜか疑問系になっていますが
間違っていません、自信を持ってください![]()
私が当時見たのはこの三部作でしたが後にダイジェスト版と知る![]()
言語化できない感動を覚えたのは言うまでもないが、
それ以上に私が強く感じたのは自分への失望と悔しさだった。
その理由はたった一つ。
「彼らの話している中国語が、ただの一言も分からない」
当たり前すぎる現実を思い知らされたからである。
まだまだネット社会とはかけ離れていた三十年前。
学校の授業で中国語は教えていないのだから、
他に自主的に学べる場はなく、
一言も中国語が分からないのは当然である。
が、どんなに、どんなに大好きでも、
想いだけでは超えられない壁があると初めて知った。
そんな地球規模の常識が、ただただ悔しくて、悔しくて仕方がなかった。
こうして、それまで何となく抱いていた三国志英雄たちへの淡い妄想と、
興奮は現実の壁を前に脆くも崩れ去った。
あんなにも妄想の世界で楽しく話していたはずだったのに、
それは机上の空論と変わらなかったことに愕然とした。
だが、この大いなる失望は生きる希望の原動力となったのだった。
現実的な失望が与えてくれた希望とは?
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ちなみに
今日ご紹介した私の人生を大きく変えた孔明先生のドラマ。
日本語タイトル「諸葛孔明」
今なら動画で見られます。
中国語・字幕なし(中国語の字幕もなし)
私が初めて古琴を聴いたのもこのドラマでした。
文化考証は、現在流行っている三国志関連のドラマよりも
かなり徹底している気がします。
中国の「孔明先生の人生を映像化」するに当たっての
かなりの気合が伝わってきます![]()




