あの日、あの時、あのタイミングで三国志に出会わなければ
今日、生きていなかった可能性爆高な玄子(げんし)の奇縁物語。
前回の続きからです。
初めて三国志を読んだのは31年前ですが
初めて三国志を読んだ時の不思議な体験は
今でも鮮明に、昨日のことのように覚えています。
それは、こんな感じでした〜
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それは、デジャブでも前世の記憶でもなかった。
『三国志』と題された本の扉を捲ると、千八百年の時空を超える扉が開かれた。
私の目が文字に触れると、文字が空間に飲み込まれて三国志の世界が拓かれた。
舞い上がる砂埃や、緊迫した空気、固唾を飲み込む音さえも
私の五感を通して想像力では追いつかないほどの臨場感に支配され、
気がついた時にはもう、元の世界には戻れなくなっていた。
私の生活はいうまでもなく、
脈打つ鼓動の一つ一つが三国志の英雄たちと生きるために動き始めていた。
呼吸をするたびに、彼らの想いが私の体内に循環されていった。
その当時、巷では「三度の飯より三国志」ブームが巻き起こっていたが、
三度の飯さえ忘れさせる三国志である。
当然、生きるのに必要のない教室内での記憶は、
授業で得た知識とともに水洗トイレの水の如く排出された。
命と希望を捨てずに、
どんな状況下であろうとも
心を重んじて生き続けることの大切さを教えてくれる英雄たちの存在は、
私にとって命綱となっており、授業中も休日もオンもオフもなく、
三国志の世界に入り浸った。
三国志の世界だけが唯一、私の命を匿ってくれる生場所だった。
三巻の小説だけでは物足りなくなっていた私は、
川本喜八郎氏の「人形劇三国志」や、全六十巻ある「横山三国志」に没頭した。
幸い、父も横山三国志にハマったので、
私のお小遣いと、父の機嫌の良さが上手く噛み合うと、
破竹の勢いで読み進めることが出来た。
授業中はそれまでの内容を復習するかのように、
脳裏に焼き付いた三国志の世界に遊びに行っては、
妄想や想像を膨らませ、悦に浸っていた。
だが、そんな牧歌的な生活は、現実を前に、
いとも簡単に終焉を迎えた。
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三度の飯より好きなこと
まずは、どっぷり浸かって
「これでもか」ってくらい、
深掘りして行っちゃってください![]()
「底」まで行くと
次への扉が開かれます。
時には、悔しさや無力さという壁となって・・・
好きなことはあるけど
ちょっと自信がないって方が
「こんな奇人変人でも大丈夫なのね。
人生、楽しめるのね」
って情熱に自信を持っていただけたらと思い
孔明先生と私の奇縁物語を14時半に更新しています。
気が向いたらよろしくです![]()






