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見るだけで気持ちが整います^ ^



ドリーム「感謝ってあまりにも簡単に言いますけど、本当の感謝とはどういうことなのかな、と心の深い部分で考えています」

 
神様「究極の感謝とは、人にはできないことじゃ」
 
ドリーム「人に感謝するとか、よくある話で、言葉の中でも〇〇さんに感謝していますとか、よく日常でもあります。」
 
神様「それは、三次元的な話で、便宜上〇〇さんに感謝と言っているだけで、本来は、人は人に感謝するということはないのじゃ。
もっと深く言うと、感謝というのは、自分にしかできないことじゃ。
感謝というのは、自分自身が感じて謝る、シンプルにそれができた時に感謝と言えるのじゃ。
例えば、自分が手を使いすぎて、手を痛めたとする。
そしたら、それは自分の手なので、自分自身が痛みを感じる。
そして日々、手をさすりながら、大切にしなくてごめんねとか、その手をさすったり治療をしたりして、手の痛みが取れた時に、もう一人の自分が自分の手に対して、もっと大切にするねとか、痛みが治まった時に、日々当たり前に扱われている手が、本当はちゃんと痛みなく動くことがどんなにありがたいかを、自分自身が感じ取れた時に、そこで初めて感謝という」
 
ドリーム「でも例えば、自分が困っている時に、〇〇さんに助けてもらったら、〇〇さんに感謝します。と言いますよね
 
神様「それはさっき言ったように、三次元的なことで、本当はもう一人の自分が自分に対して、〇〇さんを引き寄せることができて、ありがたいと引き寄せた自分に対して、もう一人の自分が感謝しているだけのことだ。
前にも話したが、この世は自分以外の存在はないのと一緒で、人生の中では主役の自分しかいない。
周りに見える人たちは、単なる媒体で、実はその人がしてくれたことというのは、そういう現象が起きるように、自分が引き寄せただけの話じゃ。
ただこの話は四次元以上の話になるので、わからない人はわからないで、かまわない。
見方を変えれば、この世は自分だけしかいないという見方もあれば、全て存在する人たちは、自分自身だとも言える。
感謝のことで、前に言ったことを忘れたのか。
前にブログであげておる
 
ドリーム「わかりました。
この内容ですね。」
 
 
何年か前に神様から言われたメッセージの中で、とても印象に残っているのがあります。

よく神に、感謝しましょう!
と言うのを聞きますよね。
本でも何回も見たことがあります。
神に感謝です。とか、神に感謝しましょうとか。何度も何度もあります。
でも当の本人?うん?本人?!笑



神様は、言われました。

「私は、一度も人に対して、私に感謝しなさいとか、言った事はありません!」

うーん、深いぞー!

そうだよね。
人間が、神に感謝しましょう。って言うけど、確かに神様は、私に感謝しなさい!
なんて言わないし、聞いた事もないよね。

その後に、神様が、
「私を感謝しなさいとは、言いませんが、望んでいることが、あるとすれば、人間が、自分自身のことを感謝出来るようになることです。」
 

めちゃくちゃ感動ー!

深いー!

神様は本当に、愛そのもの。

ウル ウル。。。
 

そうなんです。
私が私の事を感謝する。
それは、この世で最も尊いこと。
私が、私のことを感謝出来ると振動数がぐーんと上がります。
つくづく、私を大切にしないとなー。

本当に頑張ってる私。
感謝しています。
本当にありがとう。これからも、ずっと、ずっと。。。ね。
 
 
ドリーム「この内容ですね。
 
神様「そうじゃ。
この大切なこと、神は決して神に感謝しろとは言わない。
神がつくった人間に対して、一番望むことは、その人間が自分自身のことを感謝すること。
これ以上のことはない。
これは究極な神レベルの話であるのじゃ。
常に自分というのは、もう一人いる。
これをどう解釈するかは難しいが、今のところは肉体をもった自分と、心をもったエネルギーの自分がいるという解釈でいい。
それ以上の深い部分は、いきなりは無理じゃ。
それは究極内なる神につながるが、頭で考えてわかることではない。
言いたいのは、何か起きた時に自分が感じて、自分自身に感謝することじゃ。
痛みや感情や辛さ、全て人は誰もそれを体験できない。
自分にしかわからない。
自分の代わりは誰も体験できない。
本当のお前のことはわからない。
何か嬉しいことが起きたり、人に助けられたり、色々な現象が起きたら、もちろん三次元的に〇〇さんに対して「ありがとうございます、感謝しています」という言葉を使うのは良いが、何度も言っているが、神レベルの感謝は他人には感謝することはできない。
全て自分なので、肉体的に起きたこともそれを感じ、その感じ方も痛みだったり、かゆみだったり、疼いたり、腫れたり、しびれたり、麻痺したり様々だが、それを感じ取り、そうなったことを自分自身が謝り、それが正常であったことを当たり前ではなく、自分自身が感謝できた時に、それが本当の感謝だ。
素晴らしいお医者さんに助けてもらったら、三次元的には「〇〇先生、助けてくれてありがとうございます。感謝します」でも神レベルだと、その先生に巡り会える現象を作った、つまりその先生を引き寄せた自分自身に、もう一人の自分が「この先生に巡り会わせてくれてありがとう」と言えば良い」
 
ドリーム「今聞いたことはやはり、深い部分で知っていて、内なる神から教えてもらっていた気がしています
 
神様「すでに内なる神から聞いて知っていることしか、神は伝えることはできない。
つまり、ブログにあげる前にドリームは知っていることを後付けで、神からのメッセージとして伝えている」
 
ドリーム「言っている意味はわかります。
三次元的には、ドリマーの皆さんが「ドリーム先生感謝しています」と言ってくださいますが、本当の神レベルの感謝だと、ドリマーの皆さんが自分に対して、もう一人の自分が「ドリーム先生に出会わせてくれてありがとう」と言うことですよね。
つまりドリーム先生は関係なく、ドリーム先生に感謝するのではなく、ドリーム先生を引き寄せたことに、もう一人の自分が自分に感謝する、ということですね」
 
神様「ドリームにとっては、不服だろうが、それが正解じゃ
 
ドリーム「不服だなんて。。。」
 
神様「ドリーム先生は関係なく、ドリーム先生に感謝ではなく、という言葉は、本人は楽しくないじゃろう。
三次元的には「ドリーム先生に感謝している」が嬉しい気持ちになるが、それは錯覚じゃ。
全て感謝は自分自身じゃ」
 
ドリーム「わかりました。
こうやって神様からメッセージをいただける自分自身、私はドリーム先生に感謝します」

ドリーム先生のブログより


究極の感謝というのは

他人に対しては出来ず

自分自身にしか出来ない


誰かに助けてもらって

三次元的には

○○さんに助けて貰った、有り難いとなりますが

究極の感謝は

『○○さんを引き寄せた、私、ありがとう』

しかないというお話ですね。


今日、1日思い出して有り難かったこと


•心身の調子変わりなく目が覚めたこと

•家族が元気でいてくれていること

•家族が自分をサポートしてくれること

•食べるもの、水、空気があること

•寝る場所があること

•お風呂に入れること

•身の危険を感じることなく出かけられること

•穏やかな休日を過ごせたこと

•必要な物が買えること


などなど

有り難いなと思った数々のことを

創造した自分、引き寄せた自分に感謝ということですね。


勿論、三次元的に

『○○さん、ありがとう』と思うことが悪いわけではなく、三次元的に人に接する時には必要だと思いますが

『○○さんを引き寄せた、私、ありがとう』という視点を自然に持てると、自分の世界は自分自身で創造しているということが、より、直感的に掴めていけるのかもしれませんね。


『見方を変えれば、この世は自分だけしかいないという見方もあれば、全て存在する人たちは、自分自身だとも言える。』


⬆️の一文の内容、まだ、体感的に腑に落とせてない所もありますが、今よりも人にどう思われるかを意識していた多感な時期に、この世に自分しかいないという見方に触れた時に、気持ちがとても楽になったのを覚えています。


前にも話したが、この世は自分以外の存在はないのと一緒で、人生の中では主役の自分しかいない。


この世は自分以外の存在はないのと一緒という言葉は、究極的な視点だと思いますが、周りのことは気にせずに、自分がどうしたいか?、ただそこだけを見つめて行動していけば良いのかもしれませんね。

勿論、自分以外の存在はないのと一緒だから、好き勝手生きて、周りに迷惑をかけて良いというような表面的な視点ではありませんが。


明日、仕事で

休み明けの仕事を少し億劫に感じる自分もゼロではないですが


この世に自分しかいないから、仕事に行きたくないから行かないという選択をして、誰かに迷惑をかけることは、私の望むことではなくて、仕事で人に必要とされるということも有り難いことですし、働きたくても体調が優れずに働けない人も世の中にはおられますから、働けるということも当たり前ではなく、明日の仕事も、私自身が引き寄せてくれた、ということで、自分自身に感謝をして、有り難く、全うさせて頂きたいと思います^ ^