夏羽と田油津姫、神夏磯媛の血を引く者  

第20話|穴門、開く

 
【あらすじ】
 
豊浦宮では、帯姫が人と物を集め、足仲彦天皇が各地を巡ることで、西国を繋ぐ基盤が築かれていた。
帯姫は、やがて穴門の海が広がり、大船が半島から瀬戸内へ通じる未来を語る。
そして地震をきっかけに海峡は実際に姿を変え、熊鰐を取り巻く情勢もまた、大きく動き始めるのだった。
 
――――――
 
【本文】
 
豊浦宮《とゆらのみや》には、絶えず人が行き交っておりました。
 
大海を渡って来る者。
筑紫より訪れる者。畿内より訪れる者。
運び込まれていく物資。
 
港には舟が並び、倉には穀や鉄が積まれていきます。
 
足仲彦天皇《たらしなかつひこのすめらみこと》は各地を巡り、
息長帯姫《おきながたらしひめ》は豊浦宮に留まる。
 
離れていることも多い二人でしたが、その役割は確かに噛み合っておりました。
 
帯姫は、人を繋ぐことに長けていました。
 
渡来人を迎え、
豪族たちと縁を結び、
物と情報を豊浦へ集めていく。
 
一方、天皇は自ら各地へ赴き、
兵を動かし、
諸国へ大王《おおきみ》の威を示して回っていたのです。
 
夫婦としては、なおどこか距離がありました。
けれど。
国を動かすという意味では、二人は確かに、良き妹背《いもせ》でありました。
 
当時、穴門《あなと》の海――後の関門海峡は、まだ今ほど広くはありませんでした。
潮の流れは速く、岩礁も多い。
大きな船が通ることなど、とても叶いません。
小舟であっても、海を知る者でなければ飲み込まれてしまうほどでした。
 
その海を支配していたのが、熊鰐《くまわに》でした。
潮を読み、岩を知り、海峡を渡る術を持つ者たち。
もし彼らを敵に回せば、これより先の海路は閉ざされるでしょう。
 
ですが、帯姫は静かに語っていたのです。
「まもなく、海は変わります」
豊浦の海を見つめながら。
「穴は広がりましょう。やがて、大船も通れるようになります」
その言葉に、武内宿禰《たけのうちのすくね》は目を細めました。
「外海を行き来する船が、そのまま瀬戸内へ入れるようになる、と」
「ええ」
帯姫は頷きます。
「そうなれば、海の流れも、人の流れも変わります」
 
半島や大陸から来た船が、穴門を抜け、そのまま畿内へ至る。
それはつまり、新たな道を握るということでした。
 
だからこそ、熊鰐を討つわけにはいかなかったのです。
必要なのは、滅ぼすことではない。従わせること。
しかも、できる限り傷つけずに。
 
その頃には、田川《たがわ》には夏羽《なつは》の兵。
宗像《むなかた》には、日本武尊《やまとたけるのみこと》の弟、国乳別命《くにちわけのみこと》の兵。
そして豊浦には、畿内より連れて来られた兵たちが集っておりました。
熊鰐を取り囲むような形になっていたのです。
 
熊鰐らもまた、その異変に気付いておりました。
海も陸も、いつしか大王の勢によって押さえられつつある。
もし背くような姿勢を見せれば、これまでのようには済まない。
その気配が、静かに広がっていたのです。
 
そこへ――
地震が起きました。
大地が低く唸り、海が揺れます。
宮でも、人々が外へ飛び出しました。
ですが、幸い大きな被害はありません。
 
ただ。海が、変わっていたのです。
 
「あれを……!」
誰かが声を上げました。
海峡の岩肌が崩れ、水の道が広がっております。
これまで岩に阻まれていた場所へ、白波が大きく流れ込んでいました。
 
狭く閉ざされていた潮の道が、今や、大船すら通せる広がりを見せていたのです。
人々は息を呑み、ただその海を見つめております。
 
武内宿禰が、ぽつりと呟きました。
「……まことに、見えておられたか」
 
帯姫は静かに、その海を見つめます。
揺れる潮。開かれた水路。その向こうにある、西の海。
 
「……時が来ました」
その声は静かでした。
 
けれどまるで、新たな時代の訪れを告げるかのように、波音の中へ広がっていったのです。
 
――――――
 
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次回、第21話「熊鰐の帰順」では
 
海の変化を前に、熊鰐は大和との対立ではなく共存を選び、新たな海路の時代へ加わります。
 
6月23日(火)21時公開予定。
どうぞお楽しみに。