夏羽と田油津姫、神夏磯媛の血を引く者  

第17話|山門の女王、田油津姫

 
【あらすじ】
 
香春岳を後にした一行は、田油津姫の案内で筑紫後・山門へと向かう。
熊鷲たちに熱狂的に慕われる彼女は、まるでこの地の女王そのものであった。
そして田油津姫は、かつて筑紫島を鎮めた女王の伝承を語りながら、自らの存在の重要性を天皇へ静かに示すのだった。
 
――――――
 
【本文】
 
香春岳≪かわらだけ≫を後にした朝、夏羽は峠の麓にて一行を見送りました。
「ここより先は、妹がご案内いたします」
その傍らには、田油津姫《たぶらつひめ》が立っています。
 
風に揺れる長い髪。
柔らかな笑みを浮かべてはおりますが、その眼差しには、ただの姫では終わらぬ強さが宿っていました。
「筑紫後《つくしのみちのしり》まで、お供いたします」
足仲彦天皇《たらしなかつひこ》は頷きます。
 
こうして一行は、さらに西にある筑紫後、山門《やまと》を目指します。
 
「こちらへ」
田油津姫はそう言うと、ためらいなく天皇の腕を取りました。
崖沿いの細道。
けれど彼女の足取りには、一切の迷いがありません。
「落ちられては困りますもの」
そう微笑む横顔は、美しく、それでいてどこか獲物を見る目にも似ていました。
 
後の世には秋月街道とも呼ばれる道でしたが、途中の道は険しい峠越えです。
その途上、幾度となく熊鷲たちの姿を見かけました。
木々の間を駆け、岩場を飛ぶように越えていく者たち。
山に生きる獣のような身軽さです。
 
彼らは田油津姫の姿を見つけるや、次々と膝をつきました。
「田油津姫様!」
「姫様のお通りだ!」
その声には、畏れと熱が混じっております。
 
足仲彦天皇は静かにその様子を見つめました。
熊鷲たちは、ただ従っているのではありません。
まるで、彼女そのものを旗印として仰いでいるようでした。
田油津姫は、その歓声を当然のもののように受け止めています。
馬を進めるその姿は、もはや一地方の姫ではありません。
山々を従える女王そのものでした。
 
夏羽と田油津姫。
兄妹は、周防灘より有明海へ至る道を押さえておりました。
 
夕暮れ頃。
一行は、山門へ向かう高台にて足を止めておりました。
眼下には、葦の広がる低地。
その向こうに、有明の海が霞んで見えています。
 
「この辺り一帯を、かつては葛築目《くずちめ》が治めておりました」
田油津姫が、不意に口を開きました。
 
「葛築目…女か」
足仲彦天皇が応じます。
「はい。強き女王であったと伝わっております」
風が、姫の髪を揺らしました。
「けれど、大足彦天皇《おおたらしひこのおおきみ》がこれを討たれました」
 
その後、大足彦天皇は、自らの御子をこの地へ置いたのだと田油津姫は続けます。
「ですが、うまくは参りませんでした」
「なぜだ」
「この筑紫島《つくしのしま》は古くより、女王を求める土地にございます」
 
武内宿禰が、わずかに目を細めました。
 
「昔、大乱があった折のことです。誰も彼もが争い、収まりがつかなくなりました」
田油津姫の声音は、不思議と静かでした。
「そこで皆で話し合い、一人の女を王に立てました」
足仲彦天皇は黙って聞いています。
「すると乱は収まり、人々はその女王に従ったといいます」
 
田油津姫は、そこで初めて天皇を見ます。
「今は、大王《おおきみ》を中心として皆で一つになろうという時代」
田油津姫は静かに続けます。
「それは良きことにございます。私も、そのために力を尽くしましょう」
 
そこで、わずかに笑みを浮かべました。
「……ですが」
その目が、真っ直ぐ天皇を射抜きます。
「筑紫島を治めるには、女の力が必要であることを、どうかお忘れなきよう」
 
その言葉は穏やかでした。
けれど、その奥には確かな熱があります。
まるで、
――この地を真に従わせられるのは、自分だ。
そう告げているかのようでした。
 
足仲彦天皇は、何も答えませんでした。
 
ただ、今は豊浦宮《とゆらのみや》を守る息長帯姫《おきながたらしひめ》のことを思い浮かべていました。
 
――――――
 
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次回、第18話「大王の勤め」では、
 
山門の女王・田油津姫に心を揺さぶられる中、足仲彦天皇は“大王として子を残す務め”を武内宿禰より突きつけられる。
 
6月2日(火)21時公開予定。
どうぞお楽しみに。