地図を見ても、なかなかたどり着けない場所がある。

 

 

琴弾原白鳥陵(日本武尊陵)

奈良県御所市冨田

 

 

玉手駅から約25分の距離を歩いて行った。

途中、案内板あったのだけれども、描かれている矢印と道の形が全然違っていて困惑しかなかったガーン

 

 
Googleマップを見ても、最後まで道が続いていない。
こういうこと、ままある。
目的地へ繋がる本当の入り口は、全く別の場所であることも少なくない。

 

 

分からないので、遭遇した地元住民に聞いた。

今回の場合はGoogleマップの青い丸の場所まで進んだら、入口がちゃんとあった。よかった!

 

 

ちょっと小さいけど、「日本武尊白鳥陵」の文字。

 

 

日本武尊・白鳥伝説

 

「古事記」・「日本書紀」によれば、日本武尊は父の景行天皇から熊襲・出雲を征討するよう命じられ軍勢もないまま西国を平定、 やっとの思いで大和に帰ってくるが、すぐさま東国の蝦夷を征討せよと命じられた。

 

これはちょっと違っていて、

景行天皇は「熊襲」を征討するように命じているけれど、「出雲」については言っていない。ヤマトタケルが自己判断で倒しただけ。
 

また、ヤマトタケルが出雲を征討するのは『古事記』のみ。
『日本書紀』にヤマトタケルの出雲征討の話はない。(似た話が別の時代の別の人物の出来事として掲載されている。)

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「軍勢もないまま」ってのは『古事記』の方であって、『日本書紀』では軍勢連れているってところが違うね。

 

 

幾多の苦難の末、東国を平定されたが、大和へ帰る途中、伊吹山の神との戦いに敗れ、傷を負い、能褒野(三重県 亀山市)で故郷を偲んで

 

大和は国のまほろばたたなづく青垣い隠れる大和し美し

 

と歌い、崩じられたので御陵を造り葬ったところ、白鳥となって 大和へ飛び去り、やがて白鳥は琴弾原(ここ、御所市冨田)に留まった。

 

『古事記』では、白鳥は大和で留まっていない。

留まったのは『日本書紀』でのみ。

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上記の歌も、ヤマトタケルが歌ったことになっているのは『古事記』で、『日本書紀』だと景行天皇が歌ったことになっているのよね。

 

この地域独自の伝承、とかでもなく、単に『古事記』『日本書紀』等の古代史に詳しくない人が作った案内板。ってなっているのがなかなか寂しい。

前述のように、『古事記』にはない場所なので、ぞんざいな扱いなのかな。

 

宮内庁管轄の古墳にしては、あまりにも寂しい古墳だなぁと思うのであった。

 

 

そこに御陵を造ったところ、再び白鳥が飛び立ち、河内国の旧市邑(大阪府羽曳野市)に舞い降りたのでその地にも御陵を造 った。その後白鳥はついに天高く飛び去ったという。

 

俗に、これらを白島の三陵といって、三重県亀山市・奈良県御所市・ 大阪府羽曳野市は、白鳥伝説ゆかりの地という縁を基に幅広い分野で交流を図っています。

 

御所市

 

 

 

以下オマケ。

陵付近の草花たち。

 

 

 

 

 

 

 

 

≪ヤマトタケル白鳥伝説≫

ヤマトタケルの死地 能褒野(のぼの)王塚古墳

ヤマトタケルの墓決定後に出来た能褒野神社(のぼのじんじゃ)

ヤマトタケルの笠(かさ)を祀った加佐登神社(かさどじんじゃ)

歌川広重「五三次名所図会」等、浮世絵にも描かれた白鳥塚古墳

ひっそりと存在する琴弾原白鳥陵(日本武尊陵)

ヤマトタケルが羽を曳くように天へと飛び去った 伊岐宮(いきのみや)白鳥神社

白鳥伝説・最後の地 軽里大塚古墳(日本武尊白鳥陵)