からの3話目です
いつも旅に出る直前まで
全く準備が進まないわたし
本当にギリギリになるまで準備しないし
とりあえずテキトーにスーツケースに
いりそうなものを詰めて
実際に旅の気分が盛り上がるのは
現地に着いてから
実際に荷造りが微妙で
あれ?と思うことはあっても
現地であれが足りないこれが足りない
ということはあまり言いません
あるものでなんとかします(笑)
これは旅慣れて来た最近になって
の方が顕著なのだけど
準備しない
で旅に出る方がいい結果を生む
ということが経験則から
わかって来たようです
なきゃないでいい
用意周到に旅に出るより
その場でなんとかするのを楽しむ
面白がる
方がいいんじゃない、という感じです
子供が小さいとそういう訳にも行きませんけどね
おむつが外れた親子旅が対象です〜
※近いうちにこれまで親子旅に出た場所を
まとめてみますね〜
直感に従い導かれるまま
誘われるままに
思いつきで旅を進めて行くことに
ようやく快感を得られるようになりました
そんな感じで全く準備せず訪れた
東マレーシアのボルネオ島
サバ州のサンダカン
2日目の夜
たっくさん親戚がいるOちゃんに
お誘いを受けご実家にお邪魔することに

その日のお家のゲストは
50名を軽く超えてます


ただ5歳の息子にとっては
もう嬉しくて嬉しくて
笑いが止まりませんでした

なぜなら
行く先々でこんな素敵なものが
いただけるからですね〜〜

紅包(アンパオ)
旧正月中に子供やお年寄り独身の方に
配られるご祝儀袋のこと
相場は5から多くて20リンギット
(120円から500円)
日本のお年玉のような物ですが
もっと気軽に見ず知らずの方からも
いただけたりします
その期間中に出来るだけ多くの人に
紅包を手渡すことで幸運を呼び込む
と言われているそうです
我が家もリサーチして
しっかり準備して行きましたよ‼️
大量のアンパオを
縁あって出逢う人達に配っていくうちに
何とも言えない一体感??
が生まれて来るから不思議です
気軽に配れる金額というのもウレシい
今回の旅で、気持ちいいな、と
思ったのは
中華系の皆さんのお金に対する
ポジティブな姿勢
本当に気持ちよく受け取り
気持ちよく与える
日本特有の
お金に対する遠慮とか
謙遜というものは全く存在せず
こんな習慣って人生を豊かにするよねっ
って心から思ったのでした
お金=愛=水
だと思っているわたしには
この場で気持ちよくお金が
サラサラと美しく循環していく様子を
肌身で感じて
わたしの親友Oちゃんの実家は
愛がしっかり溢れている家庭なのだろうなぁ
と感じずにはいられませんでした

とにかく出し惜しみがないんです
まるで・・・
お金も愛も
永遠に枯れることのない噴水のよう
この写真は
Oちゃんパパ(子供達にとってはおじいちゃん)が
ウイスキーのグラス片手に
キッズに麻雀をレクチャーする様子
立派なお宅には
ずらりとウィスキーボトルが並ぶ棚がありました!
ご夫婦で楽しむゴルフの
トロフィーもずらり
旧正月ではみんなで
賭けマージャンを楽しむらしいので
教育は早い時期からってことで〜
ママさんの手料理がズラリと並ぶ食卓!!
どれもびっくりする程美味でした!!!!!
子供たちは
ライオンダンスに夢中になり!笑
家の敷地内にはいくつもの立派な
ご両親が育てるオーキッド(蘭の花)が
すっかりお世話になった翌日
Oちゃんがサンダカン観光に
連れて行ってくれることに
イギリスの保護領であった頃の北ボルネオの
様子が書かれた本
「風の下の国 Land Below The Wind」
の著者であるアグネス・キースが住んでいた家が
資料館となり観光スポットになっているのですが
その敷地内にあるレストラン
わたしと息子は
パイナップルサラダとミーゴレン(焼き麺)
Oちゃんたちは
アフタヌーンティーのスコーンを
素晴らしい景色で行く価値あり!!!
クアラルンプールではなかなか見られない青空の下
芝生の上を走り回る子供たち
左手には海が広がっています
戦後にオーストラリアから
寄贈されたステンドグラスが
今も神々しく祀られています
空港までOちゃん一家に送ってもらう前に
わたしには
どうしても立ち寄っておきたい場所がありました
・
・
・
第二次世界大戦中、日本軍が
1942年から1945年の終戦を迎えるまで
当初2700名近くいた
オーストラリアとイギリス人の捕虜を
シンガポールから北ボルネオのサンダカンに移送し
空港建設などの肉体労働に従事させました
日本軍は戦況が芳しくなくなるにつれ
その捕虜をサンダカンから
約300km西に位置する
キナバル山の麓ラナウという場所まで
ジャングルの中捕虜を必要な装備なしで歩かせ
移動させるという作戦を決行し
脱走した6名を除くほぼ全員を
死に至らしめたという非常にやるせない歴史があります
この悲劇は
後にサンダカン死の行進 "Sandakan Death March"
と呼ばれるようになりました
この死の行進で多くの犠牲者を出した
オーストラリア政府はこの地に
メモリアルパークを建設
戦死者を追悼しています
Oちゃん一家の案内で
空港へ向かう前に訪れてみました
クアラルンプールで生まれ育ったOちゃんの旦那様と
日本人の私と
アメリカ人のわたしの旦那様
そしてその子供たち
第二次世界大戦終戦から72年を経て
当時は敵対していた国の国民が
こうして平和に友情と愛情を育んでいて
昔起こった悲劇の場所を訪れ
祈りを捧げることができる今
わたしたちの置かれている
この調和の保たれた平和な世界を
ずっと守り続けていこう
決意を新たにしたひとときでした
クアラルンプールに居ては
得ることのできない貴重な時間を
過ごさせてもらい感謝の気持ちでいっぱいでした
クアラルンプールに戻るため
その捕虜たちが建設に駆り出されたという
空港へ
緑に囲まれたサンダカン空港
複雑な思いでその地を後にしました
またもう一度訪れてみたい場所
4泊5日で
わたしたちにたくさんのことを教えてくれた
サンダカンへの旅
直感に導かれるまま
訪れてよかったな、と思います
この学びを
今後の人生に生かして行きますね
旅は多くのインスピレーションをくれる
・
まだ5歳の息子の世界が少しずつ広がって行く
・
思い出を一つずつ重ねる度に親子の夫婦の絆が深まって行く
・
今年もまたたくさん旅をしよう
・
今日も最後までお付き合いくださり
ありがとうございました
大好きなマレーシアのクアラルンプールに
移住して7年目
根を生やしてマイペースに活動しています
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