近藤沙織です。
引き続き、【私のライフ・ストーリー】をお楽しみ下さい。
【近藤沙織のライフ・ストーリー】
とても、くだけた人なのだ。
初めましての時から、
何とも明るく接してくれて、
ほんのちょっとのひとり言も、
ちゃんとキャッチしてくれて、
彼女の周りはいつも、笑いに満ちていて、
でも、なんだろう、
彼女の中へ踏み入っていくと、
ぎりぎりのところで、
最後のドアが開かない。
笑って話して、それでお別れなら、
何のさしつかえもないのである。
でも私は、彼女の明るさに惚れてしまっている。
このインタビューだって、弾みに弾んで、
実は3時間超えである。
ほんとうの言葉を聞きたい。
これは、近藤沙織さんのこれまでの人生と、
そしてそれに迫る取材者の、対話の記録だ。
(取材・文:小川志津子)
◆直接、言われてないからね
その日は、いたって普通に訪れた。
「春になったら小学生、っていう年の冬。
私は、特別支援学校じゃなくて、
普通の小学校に行かせたかったんですよ。
それまで障害児と、障害児の親しかいない世界にいたから。
それってひとつの社会として、不自然じゃないですか」
そうじゃない社会に出ようと、
街へ出ると、二度見三度見される毎日。
「だから、こういう子がいるんだってことを、
他の子どもたちにも知ってほしかったんです。
それでいろんな方に相談をして、
春から地域の小学校に行けることになっていて」
その前年の、12月。
いつもどおりにベッドで眠り、
いつもどおりに心拍のモニターをつけて眠り、
しばらくすると、アラームが鳴り出した。
「心拍のアラームが鳴るのは、日常茶飯事だったの。
痙攣の発作があった時とか、深い睡眠に入った時とか」
ああ、また、いつものだ。
夫が様子を見ると、しかし、娘の呼吸が止まっていた。
「救急車を呼んで、救急車が来た時は、
心肺停止の状態だったし、
結局、そのまま、だめだったの」
沙織さんは、普通に帰ってくるつもりだった。
救急車を呼んで、病院に行って、
元気になって帰ってきた子どもたちを、
周りに何人も知っていたから。
「何度も救急車を呼ぶような事態になったら、
気管切開を考えなきゃいけないかもね、
って病院では言われていたのね。
でも、しゃべれないこの子にとっては、
ほんのちょっと漏れる声が、生命線だった。
だから、声が出せなくなるのはあまりにもつらい。
そう思って、気管切開はせずにいたんです」
それが自分の過ちだったと、長らく思っていたという。
自分が、もっと早く決断していたら、
あの夜、あの子は助かったかもしれない。
「子どものことを一番わかっているのは母親だ、
みたいなことを、よく言われるでしょう。
私が気づかなあかんかった前触れが、
ひょっとしたらあったのかなあ、って思ったりした」
その思いは、つい最近まであったという。
「亡くなった時の話を、主人とはあんまりしてこなくて。
ひょっとしたら主人も、私に対して、
責める気持ちがあるんじゃないかなと思っていて。
でもそれを最近やっと話して、全然そんなことはなくって」
娘が使っていた車椅子や介助器具を、
ようやく手放す気持ちになれたのだと、
ブログにつづったのは今年の4月のことだ。
「だいたいみんな、言ってくれるんですよ。
『この家に生まれて、幸せだったと思うよ』って。
でもそういう言葉を、素直に受け取れなくてね。
直接、言われてないから。娘から」
直接、言われたかったですね。
「ですねえ。大きくなれば、
何らかのコミュニケーションが交わせるようになって、
『生まれてきてよかった』って言ってくれる時が、
来たらいいなあって思いながら暮らしてたから。
そこはね、やっぱり」
ここまで淡々と語ってきた沙織さんの声が、
ここへきて、ふるえる。
交わしたかった言葉。
交わしたかった思い。
「主人が、ちょっと不思議な人でね。
『なんだかんだで、あの子もこのへん、
うろうろしてるよ?』って言うんですよ(笑)。
すごくお世話になってたリハビリの先生も、
『このお仏壇の前に座ると、膝が重くなる』って。
座りに来たんだねえ、なんて話をして」
そう言われて、どんな気持ちがしましたか。
「ちょっと悔しい。
自分がわかれへんから(笑)」
そばにいる「感じがする」時は?
「ある、って言いたいんだけどね、
正直、全然、わからないの」
率直だ。
どこまでも率直な人だ。
そしてその率直さが、
どこかで誰かを、励ますのだと思う。
お母さんなんだから、
すぐに何でもわかるはず。
そんな美談や物言いが、
世のお母さんたちを、
追い詰めたりも、すると思うのだ。
くれぐれも言いたい。
母は決して、
万能の女神ではないのである。
◆何も否定をしないひと
「その時、今4歳の子が、9ヶ月だったのね。
上の子の介護があったから、0歳の時から、
保育園に入れていたの。
そして長女が亡くなって、周りの人たちに、
『絶っっ対に引きこもったらあかん!』って言われて。
保育園の送り迎えだけでもいいから、外に出ろと」
そうなのだ。
沙織さんのそばには今、
2人のちびっ子がいる。
「やっぱり、きょうだいが欲しかったんですよ。
でもその時点では、長女の介護が楽になるめどは立っていなかったから、
だったら私たちが年を取りすぎる前にと思って、
不妊治療をしたんです」
長女の時が大変すぎたので、
次の子の世話は全然大変じゃなかったと笑う。
じゃあ、長女ちゃんが亡くなって、
下の子への思いが変化したりはしましたか。
そう尋ねると、逆に尋ねられた。
「きょうだい児、って言葉、知ってる?」
障害児のきょうだいのことを、そう呼ぶそうだ。
障害児の下に生まれた子は、
親が何も言わなくても、
自分はお兄ちゃんお姉ちゃんを
世話するために生まれてきたのだと、
お母さんのことは自分が守らなきゃいけないのだと、
自分の存在価値は、自分の人生を生きることではなく、
ただ、「障害児のきょうだい」であることなのだと、
思いながら育つことがあるという。
「長女は重度の障害児だから、世話に手がかかるし、
もし親が先に死ぬようなことがあったら、
下の子に世話をさせることになるのかと思って。
それだけは、したくなかったの。
最初っから」
あなたはあなたで、
自由に生きてほしい。
ただただ、それを願う母。
「下の子の名前には『知』っていう字を入れたのね。
それは、勉強ができるようにっていう意味じゃなくて、
自分が生きていくための知恵や知識をちゃんと持って、
自分の人生を生きてほしいっていう思いがあって」
その子が、今は、4歳。
どんな子ですか。
「超慎重派の、ビビりな子(笑)」
顕著なのは、食生活なのだそうだ。
なんだかわからないものは食べない。
中から何か出て来るものも食べない。
おにぎりも、パンも、つい最近までアウトだった。
でも、そのことを語る沙織さんは、
めっちゃくちゃ楽しそうなんである。
そして末っ子は、今、2歳。
沙織さんは、4人きょうだいの母なのである。
「双子の1人は死産だから、戸籍に名前はないけれど、
私の中では4人きょうだいなのね。
でも最近出会う人たちは、下の2人しか知らないんだよね。
そのことによる、微妙な気持ちが、なくはないなあ」
「上の子と、下の子」って言われたり。
「1人めと、2人め」って言われたり。
「3人めは、まだ?」って聞かれたり。
その都度、何かが引っかかる。
なかったことにされている、
という、かすかな引っかかり。
けれどその引っかかりを伝えようとすると、
悲しかったことを逐一説明しなきゃいけないという困難。
「あー……
……ひとつ思い出しちゃった」
ああ。聞き手として、
「ごめん」とも「いいね」とも言えない。
「3人め」にあたるちびっ子を、沙織さんは、
長女を産んだいきさつを知っているはずの病院で産んだ。
産後のママたちを集めて、懇親会的な場が設けられた。
そこで助産師さんが言った。
「この中に、双子のママさんが2人おられるんですー♪」。
その中に、沙織さんは、カウントされていない。
沙織さんを、寂しさの大波が襲った。
私も、双子のママさんだったんだけどな……
この会に、いたくない。
沙織さんは、その場から立ち去る。
そういう、悪意のない人たちによる傷を、
沙織さんはいっぱい食らって、
いっぱい飲み込んできている。
こちらは、傷ついている。
でも、相手には、罪がない。
その、行き場のない思いの連鎖を、
沙織さんはどうやって、越えてきたのだろう。
「ああ、そういう全部を聞いて、
なだめてくれたのは主人ですね」
彼はそれを聞いて、
猛然と文句を言いに行くタイプではないという。
うんうん、って、まず、聞く。
「これは昔からそうなんだけど、否定をしないの。
私の言うことや、感じてることを。
ちょっと違う見方を提案してくることはあるけど」
二度見三度見されることが悔しかった日も、
普通の子どもとして扱われなかった日も、
彼は動じなかった。「気にしなきゃいいんだよ」。
「でもさ、気になるじゃん!って思うでしょ(笑)。
だけど私は私で、自分の考えが100%正しいとは思ってないので、
『そういう見方もあるのか』って思えちゃうんだよね」
夫婦揃って、筋金入りの「受け入れ屋」なのである。
もう一度、①から読みたい方はこちらへ♡
【近藤沙織のライフストーリー①】


