サンスカーラとカルマの話、私好きなんですよ ヨガスートラについて語ろう(76) | 何歳からでも可愛い愛される自分になっちゃおう!

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🪷 ヨガスートラについて語ろう (76)
サンスカーラとカルマの話をここまで続けてきて
今日、ひとつ整理しておきたいことがある。
ヨガスートラを読んでいると
カルマから自由になる、という表現が出てくるけれど
それは
何も起きなくなる
嫌なことが起きなくなる
問題のない人生になる
という意味じゃない。
むしろ逆で
出来事は、これまで通り起きる。
同じような人に出会い
同じような場面が巡り
同じような感情が顔を出す。
でも
「それに巻き込まれる深さ」が変わる。
ここが4章のいちばん静かで、いちばん現実的なポイントだと思ってる。
サンスカーラは消えない。
カルマも起きる。
ただ
それを
私だ
と握らなくなる。
反応が起きても
物語を続けなくなる。
4章前半で繰り返し語られているのは
出来事の停止ではなく
同一化の解除。
これが起きると
人生はコントロール不能になるんじゃなくて
むしろ
過剰に反応しなくなる。
嫌なことが起きても
人生全体が揺れなくなる。
嬉しいことが起きても
それにしがみつかなくなる。
フラットになる、というより
深くなる、という感覚に近いかもしれない。
ヨガスートラが面白いのは
この状態を
悟り
覚醒
解脱
みたいな派手な言葉で煽らないところ。
ただ淡々と
識別せよ
見分けよ
混同するな
と言い続ける。
サンスカーラが反応する。
カルマが動く。
でも
それを見ている視点は
反応していない。
ここに立てるかどうか。
これが4章全体の土台で
ヨガが宗教や思想にならず
実践哲学として残ってきた理由なんだと思う。
人生を良くしようとしなくていい。
自分を変えようとしなくていい。
ただ
起きていることと
自分を
同一化しない。
それだけで
人生の手触りは
驚くほど変わる。
4章は
何かを得る章じゃない。
自分だと思っていたものが
静かにほどけていく章。
派手さはないけど
ここを通らないと
ヨガは一生
修行ごっこで終わる。
だから私は
この章がいちばん好き。
明日もまた
ここから続きを書こうと思う。

白雪姫のつもりで
優しい気持ちで生きる🤣

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