
「適当」という言葉は、日本語らしい曖昧な表現ですが、日常よく使う言葉です。
この言葉には3つ意味があるようです。
①ある性質・状態・要求などに、ちょうどよく合うこと。
②ほど良いかげん(度合がちょうどよいこと)
③いいかげん
①の例では、「適当な道具を見つける」など、うまく条件に当てはまっているときに使いますね。
②は、「適当な室温」という感じで、「悪くなくほどほどに良い」という意味で使います。
③は、「適当なことを言うんじゃない」というように、「いいかげんな」という悪い意味で使います。
しかし、日常的にどの意味で使うかとなると、①の意味で使うことはあまりなくて、③の意味で使う場合が多いような気がします。
①の意味で使う場合は、「適切」だとか「適度」という言葉を使うことが多いように思います。
「適当」というのは、本来どのような意味になるのか推測してみました。
「適」の字の意味を辞書で調べると、「1. ある所をめざして行く。頼って行く。2. ぴったり当てはまる。かなう」という2つの意味があります。
「当」の字の意味を辞書で調べると、「1. 道理にかなっていること。理屈に合っていること。2. そのものに相当すること」とあります。
私は、適当の「当」は、「程度がその物事にふさわしい」という「相当」の意味ではないかと思っています。
そこで私が推測した「適当」の本来的な意味は、「“あるもの”を目指しながら、程度がその“あるもの”にふさわしくなること」となります。
この“あるもの”がどんなものかによって、「適当」の意味が変わってくるように思えます。
“あるもの”が「好みの色とセンスでピッタリサイズの服」だったら、それを探して見つけた時、「適当な服が見つかった」となります。
“あるもの”が「ぬるめのお風呂」だったら、それを期待して入ったお風呂がほどほどの温度なら、「適当なお湯かげん」となります。
“あるもの”が「相手に迷惑をかけない程度に曖昧な返事をする」ことだったら、相手をうまくはぐらかす返事をした後で、「適当に(いいかげんに)答えておいた」となります。
ところが、相手が“あるもの”の正体を見破ったとき、「適当な返事をするな!」となる訳です。
私は、ある時期「適当」という言葉が嫌いでした。
それは、多分に、人が「適当にやればいい」と言ったりするときの響きが、「いいかげんにやればいい」という意味にとれたからだと思います。
完璧主義な性格はないのですが、いいかげんにやることはあまり好きではありませんでした。
でも、あるとき、誰かが「適当にやればいいよ、不適当でなければ!」と言った言葉をきっかけに、「不適当でなければ、適当でいい」ってどういう意味だろうと考え始めたのです。
そこから、先に示したような「適当」の本来的意味を考えついたのですが、要は、「適当」という言葉は、本来プラスの意味なんだということですね。
「いいかげん」という言葉も本来はプラスの意味でした。
もともとは、いい塩梅(あんばい)ということで、梅干の塩加減のことを意味していました。
梅干はその年の天候などにより毎年品質が違うため、同じ量の塩を入れるわけではないのです。
作る人が塩のさじ加減を調整して作ることから「調度いい加減」ということになったのです。
ですから、「いいかげん」も、本来は「程よい程度。手ごろ。適当」という意味があります。
現代の日本語としては、「適当」も「いいかげん」も、どうもマイナス的なイメージがあります。
特に「いいかげん」は、ほとんどマイナス的な意味が強くなっていますね。
「適当」という言葉については、自分のことについて「適当」を使うとき、マイナス的に感じてしまうように思えます。
仕事の報告をするのに、「適当にやりました」と言えば、相手に「いいかげんにやりました」と受け取られそうなので、ほとんどこんな言い方はしないですね。
「適当」という言葉をマイナスに感じることが態度にまで現れる人がいます。
いわゆる完璧主義と言われる人たちです。
だいたい完璧主義の人は、完璧にしないと済まない「ある面」があって、別の面ではかなり適当という人が多いようです。
私は、完璧主義ではなくて、何かを適当にやってこなしていくということができないタイプです。
言ってみれば、「不器用な一生懸命タイプ」という感じです。
今私は、「適当」という言葉にある種の魅力を感じています。
完璧主義にせよ、「不器用な一生懸命タイプ」にせよ、もう少し「適当」という考えを取り入れて、心に余裕を持った方が良いような気がします。
「適当にやればいいよ、不適当でなければ!」という言葉にすごく救われるような気がします。
この場合の「適当にやる」って、どういう意味が込められていると考えられるでしょう?
「“あるもの”を目指しながら、程度がその“あるもの”にふさわしくなること」が「適当」だとすると、「適当にやる」というのは、「ほど良いかげんにやりながら、程度がふさわしいものを見つける」という意味になるような気がします。
心の中で、最初に示した③の意味ではなくて、②の意味が復権を果たしているということです。
そして、“程度がふさわしいもの”というのは、「適当さ」を感じている当人の基準で決めれば良いと思います。
例えば、部長から「夜までに完璧な報告書を作っておけ」と命令されたとき、「今日は体調が悪いので、8割の出来まで仕上げておこう」と、「適当な仕事」を定めておくのです。
ここを「適当にやっておこう」と思うだけでなく、「適当」が目指す“あるもの”の程度を定めておくことが肝心だと思います。
そうしておけば、当然部長は8割しかできていない報告書をみて、「適当な報告書を出すな」と怒るでしょうが、自分は、自分がやった「適当」に納得しているので、それほどストレスは感じないかもしれません。
このケースで、「体調は悪いけれど、一生懸命やって完成させよう」として、結局8割しかできなくて、自責の念でストレスを強くしてしまうのは考えものです。
この人のやったことは、心理的に目指したものと到達したものの間に程度のズレがあった訳で、これを「不適当」と呼んでも差し支えないでしょう。
ほど良いかげんにやりながら何かをみつける「適当にやる」には、柔軟性があります。
「適当にやる行為」は、赤子を抱く母親のように、抱き方をいろいろ変えながら、ほど良い抱き方を見つけていくのに似ています。
いろいろ試した抱き方の中で、最適な抱き方というのも見つかるでしょう。
「適当」というのを、くじ引きに例えるとこうなります。
10本のくじがあって、一等と二等がそれぞれ1本ずつあり、三等が5本で、ハズレが3本です。
一等から三等までは「適当賞」という名が与えられていて、そのうち、一等と二等は「最適賞」となっています。
ハズレの3本は「不適当」です(「賞」という名はありません)。
10本のくじは全て、ある事をやる場合の(思考なども含めた)行動全部の数を指していることにします。
10本のくじのうち、「適当賞」を引く確率は相当に高いです。
何事も、それだけ「適当にやることの選択肢」が多いということです。
そのうち「最適賞」を引く確率は2/10です。
ところが、不適当を除けば2/7になるのです。
「適当でいいんだよ、不適当でなければ・・・」という言葉の意義はここにあるでしょう!
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