レムリアが目覚める 30 レムリアの祈り | イッピーの独り言

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ボクの名前はイッピー。わんこのビション・フリーゼです。ボクが見たことや聞いたことを書きたいと思います。少し不思議なお話もたくさん出てくるかもしれないけど、みんなが気に入ってくれるといいな。

みんな元気ですかドキドキ

 

祈り・・・グッド!

 

少し横道にそれます。

 

物理学の世界には物理学以前の

 

大原則があります。

 

人間がいなければ宇宙は存在しない

 

という原則です。

 

それについて考える人がいなければ

 

その対象は存在しないという定義です。 

 

物理学はすべてこの原則に従って

 

理論構成されます。

 

この考えを突き詰めると人間が宇宙を

 

作ったと言っているようにも聞こえます。

 

同じような意味を持つ言葉に

 

「はじめに言葉ありき」

 

という聖書の一文があります。

 

世界が天と地に分かれる前に

 

言葉があったと言っています。

 

よく考えると物理学の原則も聖書のこの

 

言葉も両方とも何か少し違和感があります。

 

違和感の理由は両者とも極めて

 

人間中心だからです。

 

順番が違います。

 

人間がいて宇宙があったのではなく、

 

宇宙が人間を作りました。

 

言葉が宇宙を作ったのではなく宇宙が

 

人間を作りそして言葉が生まれました。

 

さて・・・

 

古代レムリアびとは祈りを祈る時に

 

自分の想いを伝えるために祈った

 

のではないような気がします。

 

大自然の想いを素直に受け取るために

 

祈ったような気がするのです。

 

何かを変えようとするのではなく、

 

自分が変わるための祈りでした。

 

自分を育んでくれている大自然と一体に

 

なり、大自然のこころをくみ取り、大自然に

 

深く感謝をささげるための祈りでした。

 

素直な自分を取り戻す為の儀式が

 

祈りでした。

 

祈りの原型はフラダンスのようなものだった

 

といいます。

 

「舞」を舞う事によって大自然と

 

一体になる祈りでした。

 

「舞」という漢字はそこから来ている

 

といいます。

 

祈りの社殿の前で踊り手が二人いま踊って

 

いる姿を表していると言われています。

 

ちなみに「無」という文字は、その踊り手が

 

今まさに踊り始める時の姿を

 

あらわしているそうです。

 

自分が無になって自然と同化している

 

姿かもしれません。

 

いにしえのレムリア・やまとびとは

 

この舞を踊りました。

 

大自然の声を聞くことができました。

 

大自然はいつも人間の味方でした。

 

食物など大自然の恵みに不自由することも

 

ありませんでした。

 

人間も大自然に常に感謝を

 

忘れませんでした。

 

魏志倭人伝に「卑弥呼は鬼道をよくし・・・」

 

とあります。

 

為政者はみな霊能力を持っていたと

 

言っているのです。

 

その時代には政治は「祀りごと」でした。

 

大自然と一体になると言う事は霊能力を

 

持っていることと同じだったと想像します。

 

いつしか順番に狂いが生じました。

 

人間が中心になりました。

 

大自然は時に荒れ狂うようになりました。

 

続きはまたね・・・グッド!

 

 

 

真実を見つめるボク・・・目