みんな元気ですか![]()
きょうはちょっぴり歴史の不思議ミステリー・・・![]()
絶世の美女、楊貴妃のことをご存じの人は多いと思います。
しかし彼女の最後はあまり知られてはいないのです。
なぜなら彼女は日本で最後を迎えている可能性があるんです。

(中国傾国の美女楊貴妃/ウィキペディア)
楊貴妃についてウィキペディアによりますと以下の説明があります。
QUOTE:
楊貴妃(ようきひ、719年(開元7年) – 756年7月15日(至徳元載(元年)
6月16日))は中国唐代の皇妃。姓は楊、名は玉環。
貴妃は皇妃としての順位を表す称号。
玄宗皇帝の寵姫。玄宗皇帝が寵愛しすぎたために
安史の乱を引き起こしたと伝えられたため、
傾国の美女と呼ばれる。
古代中国四大美人(楊貴妃・西施・王昭君・貂蝉)の一人とされる。
壁画等の類推から、当時の美女の基準からして
実際は豊満な女性であった。
また、音楽や舞踊に多大な才能を有していたことでも知られる。
UNQUOTE:
そしてもう一つウィキペディアから引用します。
奈良時代に吉備真備という有名な学者がいました。
その吉備氏について書かれた記事です。
QUOTE:
吉備真備(きび の まきび、持統天皇9年(695年) –
宝亀6年10月2日(775年11月3日))は、奈良時代の学者、
政治家(公卿)。正二位・勲二等・右大臣。
下道真備(しもつみち の まきび)、吉備下道真備
(きびのしもつみちのまきび)などとも呼ばれた。
備中国下道郡(後の岡山県 吉備郡 真備町 、
現在の倉敷市 真備町)出身。
父は右衛士 少尉 下道圀勝(しもつみちのくにかつ)。
母は楊貴氏(大和国(後の奈良県 )の氏族 と
覚しき八木氏 の女性とされるが疑わしい 。
下道氏 は吉備地方で有力な地方豪族 。
吉備氏 の一族。異説として加茂氏 系図に、
吉備彦之孫・(鴨の)吉備麻呂 ・右大臣という記載があり 、
この人物が吉備真備であるという説がある。
また賀茂保憲 や賀茂光栄 は吉備真備の末裔とする文献もある。
UNQUOTE:
この「八木氏の女性とされるがうたがわしい」という部分の
疑わしい根拠は調べてもはっきりとは出てこないのです。
「楊貴氏墓誌」という古文書によると八木氏の先祖は楊貴氏とあります。
楊貴氏は「やぎし」と読みます。
つまり八木氏の祖先は楊貴氏だと言っているのです。
そこでこの人の登場です。
地震予知で有名になった照さんの2011年9月1日の記事です。
QUOTE:
楊貴妃(2) <2011.9.1安禄山が反乱を起こし、
彼は四川に逃れようとしたが自殺したとか。
この時、玄宗と楊貴妃も一緒だったとか。
サァて、此処までは歴史にお詳しい方はご存知かもしれませんが。
エェ~、楊貴妃が好きだった相手が楊国忠だった事は
知らなかったですって。
私はこの楊国忠なる人さえ知りませんでした。
楊貴妃は首を括り、縊死したと伝えられているそうですが、
どうもそこが違うようです。
彼女は日本にやって来たと云うのです。
揚子江から船で我国日本に到来したと云うのです。
この話は後々、熱田の神と云う伝説まで
作っているくらいですからあながち真実かも知れません。
オッと、何でこんな事を書いたのか分かりませんが、
日本に楊貴妃が来ていたとしたら面白いお話です。
此処で又、新事実登場。
八木と云う名前のルーツは「楊貴=やぎ」だったと云うのです。
吉備真備の母の氏が、この楊貴氏だったとか。
こうして教えられると不思議な事だらけですが、
まさか八木姓が「楊貴=やぎ」から来ているなんて、
実に楽しくなって来ます。
日本中の八木さ~ん、
もしかするとあなたの血の中に楊貴妃の血が
流れているかもしれませんよ!
もしかしてあなたの娘さんはベッピンさんではありませんか!
秋は近し、今宵は楊貴妃の膝枕でお休みになる夢でも、
殿方は見て見られては如何でしょうか。
以上です。
UNQUOTE:
信じるか信じないかは
はい
あなた次第です・・・![]()

(イッピー・・・急にふけた・・・?)