
著者の井上優氏は1962年生まれ。
私は1960年生まれですが、2年浪人して関西大学文学部中国文学科に入学したので、井上氏とはもしかしたら同学年なのかもしれません。
そして、井上氏は中国人と結婚され、同じ年に修士論文を書かれています。
結婚後は奥様と共に日本語と中国語の対照研究をされているとのことです。
著者はまえがきで次のように書いています。
「自分のことば」と「自分のことばと異なることば」。二つのことばを比べて考えることは、とてもおもしろく、そして、とても大切なことだ。本書はそのことを広く知ってもらいたくて書いた。
著者の専門は日本語の文法研究、文法の対照研究。
奥様が中国人ということで、自然と日本語と中国語との比較になっていますが、韓国語や英語も比較に入っています。
「ことばはコミュニケーションの道具」
人と人が交流し、わかり合おうとするときには「ことば」を使います。
また、
「ことばは思考の道具」
人が物事を考えるときにも「ことば」を使います。
そんな「ことば」について深く分析し、そしてその奥にあるものを見つけ出しているのがこの本だと思いました。
色んな例が挙げられていますが、個人的に印象に残っているのは日中の政府高官の話ぶりについて書かれた以下です。
政府高官の話ぶりも対照的だ。日本政府の報道官は、内容にかかわらず、淡々と話すことが多いが、中国政府の報道官は淡々とは話さない。非難声明を読みあげるときなどは、口調も厳しく、顔つきも険しくなる。日本人の目には大げさに見えるが、中国ではそうでないと非難していることにならない。
(P147)
続いてテレビの教養番組の講師の話ぶりや中国人の学者が学会で発表するときの状況も紹介されていますが、これらは著者によると、
中国人は何か立場を背負うとりきむ。人前に出るとなおりきむ。いばるのは嫌われるが、その立場にある人物らしくふるまわないのは軽く見られる。だから、自分を見る視線というプレッシャーに対して、「張り合いモード」で対抗する。
(P147ーP148)
政府高官が何かあるたびに激しい口調で日本を口撃する。
自分のことは棚に上げて一方的に口撃する。
私はそのことばや態度という表面的なことしか見たり聞いたりせずに、これまた一方的に「どうしてあんな態度であのようなことを言うのだろう」と思うけれど、著者の言うように「比べて考える」と、ちゃんと理由があるのですね。
私はこの本を読んで思ったのは「日本人も中国人も韓国人もアメリカ人もみんなみんな人間」だと言うこと。
「あんな言い方はないだろう!」
「なんて失礼な態度だ!許せない!」
表面的に見えたり聞いたりすることにはその元となるものがある。
どの大元となるのは「みんな人間」。
この本は私にこのことを教えてくれました。