「教える」ということは一体どういうことなのだろう?
武道なら師匠について教えてもらうこと。
落語家でも師匠について、四六時中師匠のそばにいて師匠のお世話をして、師匠の影響を受けること。
では、中国語を教えるというのはどういうことなのでしょうか?
一つの答えが、先日亡くなったダンスプロデューサー/指導者、夏まゆみさんの著作にありました。
『教え子が成長するリーダーは何をしているのか』
(サンマーク出版)
AKBやモーニング娘。にダンスを教えていた方です。
1962年生まれ。
私より二つ年下なのですが、若くしてこの世を旅立たれました。
この本は、そんな夏まゆみさんが人生で学んだことが書かれています。
夏さんがご自分の仕事である振付師の仕事について次のように書かれています。
振付師の仕事というと「ダンスの振りを考えて教える人」というイメージがあるとおもいますが、私の場合はそれだけではありません。むしろ仕事の比重としてより大きいのは「人を育てる仕事」です。
夏さんは一貫してダンスを教えるだけではなく、「人を育てる」ということを強調しています。
そして「人を育てる」には「言葉」が重要だとのこと。
ということで「言葉」について自らの経験・体験から学んだことを紹介してくれています。
「ほめる」「叱る」についても、「人を育てる」ということを考えるといいようです。
また「教えること」について夏さんは次のように言います。
「教える」ではなく
「伝える」でギクシャクを防ぐ
部下との関係作りがうまくいかない原因は、ほとんどの場合リーダー側にあります。なかでも多いのは、リーダーが部下を「格下」だとみなしているせいで関係が深まらないというケースです。
「自分はそんなことはない、大丈夫だ」と思う人がいますが、誰かに何かを教えるとき、心の中で「教えてあげる」と考える人はたくさんいます。それこそが相手を下に見ている証拠です。
また、
この問題は、親子の関係を同じです。
親子関係がギクシャクするのは多くの場合、親が子どもを対等な人間と見なしていないことに起因します。親はえらく、子どもは愚かだから、正しい方向へ導いてあげなければという気持ちがどこかにあるのです。
これをまとめると;
会社における上司と部下の関係も同じです。
部下をしっかりと観察して適切な指導をおこなうには、自分のほうがえらいという意識を捨てて、相手をひとりの個人として認めなければなりません。すると、自然と「教えてあげる」ではなく「伝える」という気持ちになるはずです。
これは中国語講師にも当てはまるとおもいます。
「先生」と呼ばれるとどうしても自分はえらくなったと思うようです。
「教える」というけれど、その内容はテキストの内容を説明しているだけ。
夏さん流に言うと、受講者は「教え子」なのですが、教え子が成長することを目的としている講師や教師がどれほどいるでしょう?
「教え子」が伸びないのは講師の責任だと思う講師はどれだけいるでしょう?
そもそも「(物事を)教える」なんて思い上がりも甚だしいのではないのか?
「教え子」が成長することを目的として「教え子」をしっかりと観察し「言葉」で勇気づけや自信をつけるように手助けしているのはカリスマ日本語教師、笈川幸司さんだと思うのですが、それはさておき、この本『教え子が成長するリーダーは何をしているのか』は、言葉の講師や教師にとって自分自身を振り返り、謙虚になり、自分自身を成長させることができる「言葉」がたくさんあります。
あらゆる「先生」に読んでもらいたいと思う一冊です。
