中国語を学び始めたのは浪人した時。
高校の先輩から「これからは中国」だとアドバイスされた時から。
だから40年を超えるお付き合いです。
中国語は発音が難しいと言われます。
確かに日本語にない「音」があってそれを自分のものにするのは正確に中国語の「音」を聞き、自分の発声する「音」を聞き、自分の「音」と耳にした「音」の違いを聞き比べ、自分の「音」を中国語に近づける。という作業が必要です。
この作業をし続けて思うのは、
「中国語を学ぶと言うのは自分自身について学ぶこと」
なのです。
中国語を学ぶと日本語と比べることになります。
発音にしても表現にしても。
そして日本語と中国語を比べる事でその違いを学ぶことが中国語を学ぶ事だと思います。
と言うことは中国語を学ぶと言うのは「自分自身について学ぶこと」だと思います。
私は若い頃空手を学んでいました。
空手を学ぶと言うのは「技術」を学ぶと言うことになりますが、人としての生き方というか、心の学びというか「技術」以外の学びもあります。
「礼儀」もそうですし、「争わない」ということもそうです。
空手を学ぶというのは、
自分自身を客観的に観察し、
欠点を見つけ、
それを改善すること。
自分自身への「理解」を深めること。
これは何も中国語を学ぶ事に限った事ではないと思います。
空手を学ぶこともそうですし、社会に出て人との交わりの中で自分を磨くのもそうだと思います。
自分自身が成長するには、いえ、成長しようと思うのは何かを学ぶということを意識する必要があるでしょう。
人の一生は短いもの。
それは何かを学び、自分自身を成長させるもの。
中国語を学んで思うのは、自分自身について知り、毎日少しでも成長することこそが大切だということ。
日本語って素晴らしいもののようです。
そして、自分自身も素晴らしい。
ただ、「学ぶこころ」があればそれでいいようです。
日本語が母語の人にとって、そんなことを教えてくれる一冊です。
『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』
ラジオで聞く「武田鉄矢の朝の三枚おろし」で紹介されていた本です。
日本語と英語やフランス語との比較から日本語の素晴らしさを教えてくれます。
中国語を学ぶということは、自分自身について知り、日々成長することであることに気づいていただきたいと思う今日この頃です。
