「教え」と「学び」 | SC神戸中国語スクール 京都校

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では音読や暗誦を重要視していますが、よく、貝原益軒の話が出てきます。


どの本でどのように言っているのか。それを探していると次に出会いました。


『学びの身体性』に学ぶ


京都大学大学院 教育学研究科・教授、辻本雅史先生の2009年の講演ですが、この中で次のように紹介されています。


(江戸時代の寺子屋では四書を素読する。という話の後に)


 次いで、『大学』『中庸』『論語』『孟子』、これが四書です。この四書、漢字の数は総計およそ52800字ほどです。貝原益軒は、これを一日100字ずつ100回、声に出して読み上げ、そして手で100回書きなさい。そうすると、どんなに頭の悪い子でも、100回100回100回やれば覚えられるよ。と言っています。52800字を100字ずつやるとすれば、およそ528日で四書は終わります。2年かからない。2年ぐらいで、意味もろくに分からないけれども、『論語』のある一節の頭のところが出てくれば、その後の文が自動的にすらすらと出てくるのです。これが「素読」という学習です。


辻本先生はこれを「テキストの身体化」と呼んでおられます。


テキスト(ここでは四書)一冊を丸ごと、身体のうちに刻み込むことです。


これをするために(というか江戸時代の寺子屋の学び方)寺子屋ではどのような学習方法を採られていたかの説明があるのですが、


江戸時代を見た時に、実は「教え」と「学び」の関係が、今とは逆になっている。


というのです。


江戸時代の「学び」は、学ぶ時間も生徒の都合、学び方も個別対応、一斉授業はあり得ずバラバラ。


つまり、子どもの生活の時間に「学び」が組み込まれています。子どもの生活に合わせて「学びの時間」が入っている。今の学校は、学校の都合に合わせて子どもの方が動かなければならない。豆腐屋の子も居酒屋の子も、同じ時間に来なければならない。つまり学校に合わせなければならない。いまの学校はいわば、いかに教えるか、という「教える側の都合」によって教育が成り立っている。他方、江戸時代は逆に、子どもがいかに学ぶかということで教育が成り立っている。この成り立ちの基本が違うのです。


さらに、


近代学校では、子どもは「教える」ことによって「学ぶ」ことができる、という考え方です。対して江戸時代は、良い環境を与えれば子どもは自ら学ぶことができる、という考え方です。環境をいかに準備するか。そうなると、江戸時代においては、先生という存在が学ぶ「環境」の一番大事な要素です。


寺子屋での実際の学び(素読のやり方)は、


素読の光景を図で示しておきます。テレビなどで、素読といえば、一人の先生が20人~30人くらいの子どもたちを相手に、「師曰く、学んで時に之を習う」と言えば、子どもたちも一斉にオウム返しで復唱する。こうした場面に出会うことがありますが、あれは間違いです。この図のように、先生と子どもが一対一ですよね。次の人がすぐ手前で待ち、別室になっている控えの間では、そのあと来た順に、子どもたちが待っているのです。


テキストを挟んで、一対一で差し向かって、先生がテキストの一節を読み、子どもがオウム返しで声に出していきます。一日では数行程度読むだけでしょう。益軒によれば、100字くらいが適切となります。それを2、3度繰り返して、後は家に帰って自分で復習するのです。翌日には待っている間に、昨日習ったところがちゃんと言えるかどうか、何度も繰り返して復唱している。そして、先生の前に出ると、昨日習ったところを復唱させられます。もし正確に言えなかったら、もういっぺん最初からやり直し。うまく言えたら、ようやく次に進みます。一回の分量は少なく、また指導時間も短時間です。先生はモデルを示して子どもが真似をして覚えます。模倣と習熟、それを繰り返しているのです。


これが「学ぶ」ということなのですね、決して「教え」ているのではない。(「知の伝達」)


この話を聞いて私は次の3つのことを思いました。


1つは、英語の学習方法でネイティブ・スピーカーが一年間かけてABCからXYZまでをただ発音の練習をする。

最初は多くいた生徒も面白くないし、間違えたらそれまででまた来週となる。そんなやり方についていけず多くが辞めていき、最終的に一人になったけれど、Zまでちゃんと発音できたら、「さあ、もうあなたは英語がわかるでしょう?」と言われて改めて英語を聞くと不思議なことに意味がわかったという話。


2つ目は落語家・噺家の落語の覚え方です。


師匠と一対一で向き合います。

そして、「三編稽古」というらしいのですが師匠が同じ話を三回する。

弟子はそれを聴き取る。

その後は「くる」というのですが、街をあるきながら一人でぶつぶつと落語を話して覚えるそうです。


3つ目は、今の京都山科中国語学習会 の学習方法。


一対一の個別方式です。

音源を渡し、それを聴いて聴いて聴きまくって(100回が目標)それを一週間に一回か、一ヶ月に一回自宅に来ていただき、私が日本語を言う。それを中国語にしていただく。そして文法の説明もしますが、主に発音の矯正をします。

どのように発音すると日本語が母語の人が中国語の発音ができるようになるか、日本語の知識を活用すればかなり早く中国語をマスターすることができるなど「教え」ることもありますが、京都山科中国語学習会と名前があらわすように「学び」を重視しているということです。


寺子屋方式(辻本先生は「手習い塾」とおっしゃっていますが)。


京都山科中国語学習会 は中国語で、そして今に適した学習方法をこれからも目指します。