ライブの席がイマイチで
ライブ自体はすごく良かったのに
心から楽しめなかったなぁ
なんかモヤモヤが残るなぁって
経験ないですか?
先日行ってきた
MAZZELのライブがそうで。
そのモヤモヤと向き合ってみたら
大切な気づきがあったので
今日はその話を
正直に書いてみようと思います。
モヤモヤが残った理由
MAZZELは、
BE:FIRSTが所属するBMSGの
2つ目のボーイズグループなんですけど
私、MAZZELも大好きなんですね。
今、2回目のワンマンツアー中で
先日その福岡公演に行ってきたんですが
〜ここから若干演出のネタバレあります〜
その席がなんと3階席で。。。
これ、あるあるだと思うんだけど
席が悪いだけで50%くらい
モチベーション下がりません?笑
3階席ってだけでもまあまあ
テンション下がってたんだけど
ある出来事で一気に落ちたんですよね。
それは「客降り」
客席をメンバーが歌いながら歩くってやつ。
私も経験したことあるけど
1階席はそりゃあもう天国なんですよ。
大好きなアーティストが近くを通るわけで
嬉しいし興奮するし楽しくないわけない。
でもね、
2.3階はあの時間まじで地獄なのよ。
ただでさえ近くて羨ましい1階席の人たちが
ギャーギャー言って盛り上がってる様子を
ただ見てるだけっていう。
ほんとどんな修行よ
で、さらに地獄なのがモニターも何もない場合。
今回がそうだったんだけど
下で何が起こってるかも見えず
悲鳴と歓声をただひたすら聞いてるだけの状態。
ステージに残ってるメンバーがいるとは言え
否めない置いてけぼり感。
ファンを喜ばせるために
考えてくれた演出だってこともわかるし
モニターだって何かちゃんと理由が
あってのことだってこともわかる。
MAZZELのパフォーマンス自体は
本当に素晴らしかったし
彼らの歌もダンスも熱量もしっかり届いてた。
だけど、
心から楽しめたか?と言われたら
ちょっとモヤモヤが残っちゃったんですよね。
"楽しかった"と言えないつらさ
でさ、こういう残念な気持ちって
なかなか吐き出しにくいんですよね。
なにしろ自分が認めたくないんです。
楽しめなかったって思うこと自体が
彼らを責めてるみたいで
それは嫌だったし。
ただ私の席がアレだったわけで
彼らのパフォーマンスには何の問題もないし
否定したいわけでも
文句を言いたいわけでもない。
だからこそツライ。
それにその気持ちを認めたら
なんか、自分が可哀想になる気がして。
あんなに楽しみにしてたのに
ガッカリする結果になってることとか
席運のない自分とか
やっぱり可哀想な自分って見たくないやん。
だから
楽しめなかった残念な気持ちや
悲しい気持ちを見たくなくて認めたくなくて
本当の気持ちに蓋をしてしまうんだと思う。
前にも感じたこの気持ち
それでふと思い出したのよ。
ビーファが初めて東京ドームに立った日のこと。
SS席が取れて喜んでいたのに
センターステージに立つ彼らの後ろ姿ばかりを
見ていたこと。
あの感動のMC中もずっと後ろ姿で。
私には届けてくれないんだなって
同じ場所にいるはずなのに勝手に疎外感感じて
帰りの飛行機で泣いちゃったやつ。
あの時も自分が
あの日を特別に思ってた気持ちとか
楽しみにしてた気持ちが大きかった分
悲しい気持ちを認めたくなくて
ビーファを悪く言いたくなくて
しんどかったんだよなぁ。
あの時の気持ちとまったく一緒。
あの時はブログに書かなかったけど
なんであんなに悲しかったかと言うと
こっちを向いてくれなかった
向こうばっかり見てたっていうのが
大切にされてないという私自身が持つ痛みに
反応したんだと思っていて。
相手が本当に大切にしてないのか?
という事実とは関係なく
私がそう受け取ってしまいやすい
という話で。
ビーファのライブの問題のように見えて
ステージングや演出の問題に見えて
本当は私自身の問題だったんだなと
わかったんですよね。
今回も同じで。
3階が蔑ろにされてるという
相手側の問題のように見えて
あの時と同じ傷の痛みをこの出来事を通して
体験しただけだったんだなと。
自愛力的に考えると
蔑ろにされている、大切にされてない
と感じる時って
自分自身が自分を大切にできてないという
サインでもあって。
私はどういう部分で
私のことを大切にできてないのかな?と
振り返ってみたら心当たりが。
それは自分自身に
"最高"を望ませてあげてなかった
ということ。
本当はステージに近い席がいいのに
推しの近くに行きたいのに
ステージやパフォーマンスも良く見える
最高の場所で楽しみたいのに
それが叶わなかった時に傷つかないように
これくらいにしとこって
無意識に望みに制限かけてた。
"近くなくても楽しめる"って
自分に言い聞かせてた。
現に過去のライブ記事でもそう言ってる。笑
そうやって
自分の本音を蔑ろにしてたし
大切にできてなかった。
望みを出し惜しみして
最高を望ませてあげてなかった。
それを教えてくれたんだなと。
モヤモヤの奥の"愛"に気づく
心から楽しめなかったと
残念に思う気持ちも
それだけ自分が楽しみにしていた
推しへの愛があるからだし
残念な気持ちを口に出したくないというのも
推しを大切に思う気持ちがあるからだし
可哀想な自分を見たくないという気持ちも
元を返せば自分への優しさだし
つまりはこの感情の根っこは
愛♡だったってことなんですよね。
なんか、そう考えると
自分って健気で愛おしいよね。笑
"最高"を望ませてあげていい
自分を大切にする方法や
自分を愛する方法の中でも
"自分がしたいことをさせてあげる"というのが
あるんだけど
"そもそも望ませてあげているか?"
"望みにオッケーを出してあげているか?"
という部分は
案外見落としがちなのかもしれないね。
その望みを叶えるかどうか?
実現させるかどうか?は別として
ただただ望ませてあげる。
美しい望みでなくていい。
ただただ自分が心から望むことを
望ませてあげる。
そうやって
妥協した望みでも遠慮した望みでもなく
自分にとっての最高を望ませてあげる。
これも大事な"自分への愛"。
いつも席運が悪くて...って思ってるあなた。
どんな席だったらハッピー?
どうだったら最高に楽しめる?
これを機にぜひクリアにしてみてね。
そして遠慮なくその望みを
自分に望ませてあげよう!
どんな望みであっても
あなたの好きにしな♡
あとは私がなんとかするから!
自分自身にこう言ってあげるのだ!
さぁ、あなたはどんな"最高"を望む?
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