
人は、自分の知っていることしか認知できないと言われています。つまり自分が見ている世界というのは、その人がすでに知っていることに限られていて、特に何もしなければ、知らないことは頭に入ってこないということなんです。
そう考えると、自分の見ている世界ってのは、自分の頭の中にあるものがほとんどすべてであって、例えて言えば、頭からすっぽりかぶった箱の内側に投影された景色をみているようなものなんですね。それで、時々ピンホールカメラのような小さな穴から、外の世界をほんのすこしだけ覗いているような感じでしょうか。
その昔、イエス・キリストがこんな話をしました。
「わたしがこの世にきたのは、さばくためである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである」。
そこにイエスと一緒にいたあるパリサイ人たちが、それを聞いてイエスに言った、「それでは、わたしたちも盲人なのでしょうか」。
イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。」ヨハネ9:39~41
つまりこういうことです。
自分は見えてる! と言い張る人は、実は見えてないってこと。
そして、見えてないってことを認めた人には見えてくるということなんですね。
思考や判断や、それに伴う概念といったマインドは、目の前にスクリーンを展開して、自分の見たい世界しか見せてくれません。
そのスクリーンの映像をOFFにしない限り、ありのままの世界を見ることはできないということ。
それはすごく謙虚で、畏敬の念を持って世界を見るってことなんだと思うんです。
もちろん人間関係であっても同じことですね。